目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第40話 廃家〜魂を込める儀式〜

 いつだってフスマが微妙に開いている。



 ぼくの成長を祝うためにおじいちゃんが買ってくれたという五月人形が和室に飾られている。その事情を知っているので、あまり言いたくはないんだけど。その五月人形はとっても不気味だ。いつも、ぼくの目をじっと見ている。お母さんやお父さんがぼくに向けてくれていたような温かい眼差しではない。



 道端でアリに喰われるスズメの死骸は気持ち悪いのに何故だか見入ってしまう。アスファルトに照り付ける熱線にじりじりと焼き焦がされながらも、ぼくは道の端から視線を動かせない。



 黒くてじゅぶじゅぶした縦長のもの。赤くてぞぶぞぶする丸いもの。白くてかちかちした四角いもの。体内のありとあらゆる穴からアリたちは這い出る。気持ち悪い。頭がクラクラするのに、そこから動けない。早くプールに行きたい。プールで泳げば、爽快な気分になるはずなのに。



 ちゃぷちゃぷ。ちゃぷちゃぷ。



 想像の中でぼくは水に浸かる。けれど、次第にその水は赤黒く濁っていく。じゅぶじゅぶ。ぞぶぞぶ。じゅぶじゅぶ。ぞぶぞぶ。なのに、なんだか心地良い。知らず、ぼくはスズメの死骸に指を突っ込んでいた。



 気持ち悪いのに気持ちいい。



 激しく死骸を犯す感覚。どんなものよりも、暴力的で背徳的な行為にぼくは溺れた。



 いつの間にか、お母さんとお父さんがぼくを見る目が変わっていた。五月人形はぼくのためのものではなくなった。最近生まれた妹のものになっていた。妹は赤ちゃんだ。お母さんとお父さんが向ける愛情のことなど、分かりはしない。



 ずるい。



 妹に向けられる目はこれまでぼくがずっと独占していたはずだ。なのに、奪われた。ふたりはぼくのことをまるで幽霊のように扱う。見えていない、聞こえていない、触れてくれない。何度謝っても許してくれない。



 ただただ五月人形がじっと見つめてくるだけだ。和室のフスマはいつも微妙に開いていて、ときどき、ぼくと目が合う。気持ち悪いのであれば、フスマを閉じればいい。でも、お母さんとお父さんに愛されなくなったぼくを見てくれるのはもう五月人形しかいないのだ。



 見つめ返す。見つめ返す。見つめ返す。



 それがいつのことだったのか分からない。ぼくの手は小さくて細くて真っ黒になって、ヒモみたいにニュルニュルとしていて。ぼくは妹の首を絞めた。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり。湧き出るような悲鳴を愉しみながら、ぼくは妹を殺した。これで、邪魔者はいない。お母さんとお父さんが目を向けてくれるはずだ。



 ねぇ。ねぇ。ねぇ。見てよ。ぼくを見て。





「……薄気味悪いところだなあ」


「確かに。いつもとはまた雰囲気が違う」


「ハハ、何言ってんだ! それが肝試しの醍醐味だろうが」



 友人の狩沢から肝試しのために召集された。アロハシャツに短パンという夏らしい格好をした狩沢とぴっちりした黒髪にモノクル姿の尋咲。何も珍しいことはない、いつもの姿だ。今日はG県にある廃墟に来ていた。



 僕たちはそこが私有地だろうが、捨てられていようが関係無く、肝試しのためになら軽犯罪くらい簡単に犯すモラルの無い集団だ。さすがに花火をし始めたり落書きするようなことはないが。けれど、もし、それがルールに追加されれば、なんだかんだ言いつつやってしまうだろう。狩沢が定めた肝試しにおけるルールは3つ。



 1、必ず夜に行く。

 2、別れて行動しない。

 3、終わったあとは点呼を行う。



 このルールのおかげなのか、狩沢が宿しているという強力な守護霊の恩恵なのか、僕たちはまだ祟られたことも呪われたことも、そして警察のお世話になったこともない。ゆえに、この肝試しは少しずつスリルの無いものへと変貌していたのは事実だ。この前、集まったときに行った廃トンネルなど、怖くもなんともなかった。



 少しシラけた雰囲気。狩沢はもしかしたら、それを感じて、今回は本気の場所を探したのかもしれなかった。今までの人生で僕は一度も幽霊を見たことは無い。でも、ここは何か違う。そう感じた。



「狩沢……“ディティール”を教えてくれ」


「……いいのか?」



 僕の問いかけに尋咲が確認するように呟く。コイツがこんなことを言うのは初めてだ。尋咲もまた、この廃墟の異様な雰囲気に呑まれているのだ。……上等じゃないか。これこそが肝試しだ。怖い思いをしなければ、意味が無い。



「あぁ……聞いてくれ」



 これはルールではないが、狩沢はいつも心霊スポットに入る前に噂を(脚色して)語ってくれる。僕たちはそれを“ディティール”と呼んでいるのだ。いつも勢いよく喋ってくれる、その噂を狩沢は慎重に語り出す。彼の目はいつになく真剣だ。ごくりと唾を飲む。……怖いな。



 ここには一家が住んでいた。どこにでもいるような家族で、苗字は……ここでは山吹としよう。サラリーマンの父親と専業主婦の母親、利発な小学生の息子。普通の幸福を享受していた善人たち。だけど、ある日、その歯車は狂ってしまった。原因は何だったのかって、この辺りまで人形の呪いだって言うやつがいるが、オレは違うと考えている。



 それは夏の暑さだよ。



 小学生の息子は夏休みに開放される学校のプールへ行く途中、熱中症で亡くなった。息子の忘れ物に気付いた母親が彼を追いかけて、アスファルトの地面に倒れていた息子を発見した。さぞ、ショックだっただろう。



 悲しみにくれた山吹さんたちもやがては立ち直る決心をする。それは新たに生まれようとしていた子供のためでもあったと思う。夏の異常なまでの暑さで息子を失ったふたりはベビーベッドをリビングではなく、いつも陰になっている和室に設置することにした。もちろん、エアコンが完備されてる。



 母親の父がくれた五月人形の加護は息子を守りはしなかった。そう思いながらも両親は毎日のように仏壇に手を合わせ、五月人形に祈った。どうか娘を守ってくれるようにと。



 ……しかし。ほんの5分、ふたりが娘から目を離したとき、娘は死んだ。まだ生まれて数ヶ月しか経っていない柔らかな首に黒々とした髪の毛が巻き付いて、首には赤い索状痕が残っていた。索状痕っていうのは、絞め殺されたときに残る痕のことさ。もちろん、山吹さん夫妻には何の心当たりも無かったが、警察にはさんざん疑われたらしい。



 あまりにも異常な死。誰かがわざわざ和室に忍び込んできて赤ん坊を殺すか? 金を取るでもなく、誰にも気付かれず侵入して脱出出来るか? ろくに葬式もあげられず、警察からの疑いが晴れても、近所の住人からは噂される。



 すっかりノイローゼになった母親はその恨みを五月人形にぶつけた。五月人形の黒髪を見ていると、娘の首に巻き付いていたあの髪の毛を思い出してしまうからだ。鎧を砕き、ボディを踏み付け、兜を拳で潰した。そう丈夫なわけじゃないが高価な五月人形の細工には良質な金属が使われている。当然、母親の手は血だらけだ。



 でも、生き物を殺しているわけじゃない。自分のモノを自分で壊しているだけだ。



「痛いよ」



 そんな声が聞こえたそうだ。その声は熱中症で死んだ小学生の息子の声によく似ていた。母親は今しがた自分が破壊した五月人形を、その目を見て、絶叫を上げた。見間違うはずもない。造られた目ではなく、それはどう見ても息子の目だった。



 仕事から帰ってきた山吹さんが和室で見たのはさんざん辱められた死骸の如く転がった五月人形と兜の金属片で自らの眼球を抉り出して死んでいた妻の姿だったという。



 ……正直、どこまでを“ディティール”に含めるべきなのか、オレにもよく分からん。あまりにも凄惨で酷い死に方だった。山吹さんはすべてを霊媒師に話し、お祓いをしてもらった。どうやら、すべては五月人形の呪いだと考えたみたいだな。和室の畳を剥がし、コンクリートを流し込み、塩を撒いた。



 だが、ふと気づくと襖が微妙に開いている。和室には何も無いはずなのに、何かから見られている気がする。その視線は冷ややかで侮蔑の籠もった眼差しなのだと山吹さんは言う。



 1年も経たないうちに山吹さんは死んだ。その五月人形が売られていたという古道具屋に車で突っ込んで。……皮肉にも山吹さんの死体の周りには古道具屋で並べられていた五月人形の死骸がバラバラになって転がっていた。



 やっぱり五月人形の呪いなのかね? 人形っていうのは本来“ヒトガタ”と呼ぶ。人間の代用品……ってほどでもないが、人間を模して造られたもの。形が似ているからか、よく人を惑わす。他の道具よりも圧倒的に魂が籠りやすいからだ。



 人形に魂を入れる儀式ってのはたくさんがあるが、一番簡単なのは人形を“見る”ことらしい。儀式だとか呪術だとか、そんな大仰なことをやるつもりなんて無かったのに、結果的に人形に魂が宿ってしまう……。それによって、多くの悲劇が生まれた。オレは山吹さんの家族もそうやって死んだんだと思う。



 だけどよ、どこからが人形の呪いでどこからがそうでないのか、それは誰にも分からねぇだろうよ。今からオレたちが踏み入ることになるこの家にもう五月人形は無い。それどころか、和室もコンクリートで固められてる。でもな。おまえらも分かるだろう? ここは本物だぜ。



「……。おい、狩沢、やめないか?」



 尋咲の声が震えていた。僕も話の途中から怖気を感じていた。僕たちがいるのは、その家の庭だった場所だ。割れた窓ガラスの向こうにはリビングがある。そして、目を凝らす必要も無い。狩沢の話ではリビングと和室は繋がっているはずだ。……見られている。



「ハハ……ビビったのか?」


「さすがに趣味が悪いんじゃねえの」



 尋咲は青い顔でリビングから目を逸らしていた。いつもは怪しく見えるその風貌も、この異常な家では霞んでいた。



「……灰島はどう思う?」


「う。ぼ、僕も。ちょっと気分が悪い……」


「そうか。じゃあ、帰ろうぜ」



 ……っ。



「いいのか?」



 僕の弱々しい確認に狩沢は笑う。



「じゅうぶん、肝は試しただろ?」



 安堵のあまり、膝を突きそうだった。尋咲は嬉しそうに崩れた塀の間を走る。すぐにでも、この場を離れたいのだろう。僕もまったく同じ気持ちだった。狩沢はその背中を……冷ややかな目で追っていた。今まで見たことがない、まるで彼のものではないような、そんな視線だ。



「ねぇ」



 あまりにも自然な声につられて僕は振り返る。リビングの向こう、取り壊されたはずの和室の襖が微妙に開いている。気のせいだ。そうに違いないと僕は自分に言い聞かせながら、狩沢たちの後を追う。



 ……そう言えば、点呼をしなかった。このルールで僕たちはこれまで自分の身を守ってきたのに。恐怖で我を忘れそうになっていた尋咲はともかく、何より“ディティール”にこだわる狩沢がルールを忘れるわけがない。



 でも、結局、僕は狩沢に何も聞くことは出来ずにその日の肝試しはお開きとなったのだ。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 この人たちの視点の話は前にも聞いたね。だけど、狩沢さんはもう……。


 ぼっちゃまの想像の通りです。この家に渦巻く死の連鎖はあまりにも深く、たとえ歴戦の呪術師であっても、瞬く間に心を乗っ取られるでしょう。自業自得とは言え、恐ろしい話でございます。


 誰が心を乗っ取ったの。熱中症で死んじゃった息子? 彼が妹さんもお母さんもお父さんも憑き殺してしまった……。でも、彼を見ていた五月人形の中には何かがいたはずだよ。


 怪異とは可逆的な存在でございます。本来、よほどの状況にならなければ、起こり得ぬ逆転ではありますが、醸成に足る条件が整ってしまった。


 じゃあ、彼を見ていたのは五月人形じゃなくて。


 ええ。他ならぬ彼自身の眼差しです。初めは五月人形に見られている気がする……程度の認識でしたが、やがて人形と目が合うたびに少しずつ魂が人形に宿っていく。彼に嗜虐的な一面があったのか、あるいは極小の部分が切り取られ増幅していったのか。ほんの僅かな違和感と憎悪が膨らみ、その家には五月人形を中心に死の連鎖が出来上がってしまったのです。


 ……恐ろしいね。ねぇ、ばあや。もしかしてなんだけど、怪異がよく出る地域ってこれと似たサイクルで作られているんじゃないかな。


 さすがの賢明さですね。そう、わたくしの語りによく登場する町。神籠町もまた、中心には死の連鎖がございます。ここに住まう悪神も、かつては善き神でした。


 悪神を倒すにはどうすればいいのかな。ぼくに何かが出来るとは思えないよ。山吹さんのこの家という限定的な場でさえ、とうてい手に負えない。ぼくは無力だ。


 ひとりの人間に出来ることなど、たかがしれています。であれば?


 ……? 眠くなってきたよ、もっと考えなくちゃいけないのに。ばあやの問いかけで何かが掴めそうだったのに。


 いまはお眠りくださいませ。


 うん。……おやすみ、ばあや。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?