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第39話 機械仕掛けの神

 静謐せいひつな空間だった。空気を引き締めるような無音が形作られている。誰に気を遣う必要など無いのに、俺はそろりそろりと歩いた。


 教会堂。この田舎には相応しくない洒落た造りの建造物だ。色とりどりのステンドグラスが砕け、壁はひび割れ、白い壁は崩れていた。かつてはここにも多くの人が集まったという。この日曜日を楽しみに思っている子供すらいたらしい。彼らの視線を一身に集めていた存在。


 落ちた十字架の前に美しい女がいた。


 女は……いや、彼女は人間ではないのだ。露出した歯車、錆びた肌、抜け落ちた眼球。


 “機械仕掛けのアリア”。それがこの人型オルゴールに付けられた名前である。


 ここは神籠かごめ村の一角。およそ80年前、令和に作られた教会だ。駅が作られ、前にはデパートがあり、地下鉄まで建設された。市長は積極的に移民を受け入れ、人口が飛躍的に伸びたことから、そこまでの開発が進んだ。ここはクルス教の教えを布教するための場所であった。


 アリアは神籠市が政令指定都市になったことへの祝いとして、姉妹都市のルルドから贈られたオルゴールだった。ルルドの人形師、ヴァネッサ・ロダンが手掛けた代表作のひとつであり、歌唱用のアンドロイドを彼女なりに改良した逸品である。


 俺が令和時代の人間だったら、アリアの生声を聞けただろうに。残念だ。インターネットは情報が多すぎて本物と偽物の区別なんて誰にも出来ない。廃村となった神籠村の教会堂に訪れなければ、絶対に聞けないのだ。


 廃村なのだから、誰もいるはずがない。昼だろうが、夜だろうが、同じこと。俺は自らの身を危険に晒してまで、こんな辺鄙へんぴな土地までやってきた。記録端末もたっぷり持って来ている。“機械仕掛けのアリア”。その美声を聞くためにここまで来たのだ。24時間、聞き続けてやろうと思っている。


 それにしても美しい。


 パーツは朽ちている部分もあるが、オリハルコン製ではないので、仕方ない。神への祈りのために跪いている彼女が顔を上げた。ミサの時間だ。いったい、どんな歌が聴けるのか。俺は嬉しくて胸が張り裂けそうだった。



「助けて」


「え」


「助けて。お母さん。助けて。苦しい。熱い。お父さん。逃げて。潰れちゃう。熱い。助けて。助けてええええええええええええ!!!」


「え。どう、なってる!?」



 アリアはその喉を震わせ、悲鳴を上げていた。知っているさ。それくらい。この教会堂は火事になったんだ。神に祈りに来た人々が将棋倒しになって50人以上が死んだ。やって来た消防団が教会より、燃えるアリアの消火を優先的に行ったせいで死者も増えた。


 それからいくつか神籠市には不祥事が続いた。警察署署長や市長も輩出した尋咲じんざき一族の横領、殺人の隠蔽、死体損壊。移民による連続強盗殺人事件。葛城病院が患者に人体実験を強要していたこと。眠っていた虎の如き巨悪がすべて白日の元に晒された。


 市から町になり、町から村になり、やがては誰もいなくなった。そのキッカケとなったのが教会堂の火事だった。アリアを破壊しようと企む八つ当たり野郎たちは大勢いたらしいが、その美しさに呑まれてしまうのだという。



 だが、こんなことは聞いていない。



「やめてよ! やめてよ! なんで、わたしたちより人形を優先するの! 熱い。熱い。熱い。助けて。お母さん。お父さん。助けて。助けて。熱い。熱い。熱いよおおおおお!」



 アリアは涙を流していた。冷却液を眼球に入れるとは思えない。そもそも火事のときに蒸発しなかったのだろうか。幽霊などこの世界には存在しない。死後の世界など存在しない。怪異など世界には存在しない。俺の中の当然の常識がいままさに崩れようとしていた。


 熱い。


 じわっと額から滲み出す汗は教会堂の周りを焼き尽くす炎のせいだ。とても幻には見えない煉獄の火炎。黒く炭化した亡骸につまづいて転んでしまう。将棋倒しになって圧縮された男の子の目と合う。目の端からは血液が溢れ出し、圧力で眼球が飛び出る。伸びた視神経を誰かが狂乱の中で踏み潰していく。



 ここは地獄だ。



 逃げようとすれば、俺もまたこの狂乱に巻き込まれるに違いない。突破口はひとつ。記録用の端末を振りかぶり、アリアを思い切り殴り飛ばした。倒れるオルゴール。途端。


 元の静謐な空間に戻った。汗が止まらない。床に倒れたアリアは喉を震わせ、「ありがとう」と言った。何が何だか分からない。


 無音な空気に刺されているような感覚がして、ぼくは子供たちの憩いの場であったという異塚ことつか神社の前までやってきた。休憩出来るよう、ベンチが置かれている。誰も整備していないせいか、ぎしぎしと耳障りな音を鳴らした。





「何だったんだ」


「こういうのは初めてかい」


「え」



 いつの間にかベンチに少女が座っていた。どこの学校の制服かは分からないが、高校生くらいに見えた。有り得ない。ここは廃村だぞ。



「あの教会はひどい事故だった。わたしと仲良くしている子もいたのに。けれど、人々は私腹を肥やすことに血眼ちまなこになり、悪神あくしんを封じることをおろそかにしてしまった。当然の末路かもね」


「お前は誰だ。何者だ」


「わたしはただのおねえさんさ。全国の怪異や怪現象に詳しくて、神籠のすべてを知る者」


「名前を聞いているんだ」


「名前なんていくらでも偽名が名乗れる。確かにキミとわたしなら、キミの方が歳上に見える。おねえさんとは言い辛いのは分かるよ」



 答える気が無いのは分かった。俺は護身用に持って来た拳銃を取り出す。銃の使用が一般人に認められて10年ほどが経つ。それでも、銃口を人に向けたのは初めてだった。


 いや、こいつは人間じゃない。


 これ以上、言葉を交わす気は無かった。俺は迷わずトリガーを引く。黒い弾丸がこいつの胸を、腹を、腕を、腰を、頭を貫く。噴き出る赤い血液を見て、こいつが俺のようにただ物見遊山をしに来ただけの人間なんじゃないかっていう恐れを持った。



「は? か、影が……」



 少女は倒れたというのに影は倒れず。それどころか膨張していく。巨大な飛行船へと。翼の生えたドラゴンへと。百足のように手足が連なる禍々しい虫へと。そうかと思えば、小さな犬になり、奇妙な舞を演ずる猫となる。



 そして血塗れの彼女がニッコリと笑う。



「ありがとう。わたしを解放してくれて」



 俺の記憶はそれまでだった。気がつくとリニアに乗っていた。ゆっくり息を吸って吐いた。あれは夢だったのだろうか? しかし、記録端末が大きく凹んでいる。夢ではない。


 あの少女は何だったのだ。俺はもしかしてとんでもないことをしてしまったのではないか。神籠。この地は本来、悪神を封じていた場所なのかもしれなかった。


 日本から出よう。


 いずれ沈みゆく泥舟に乗っていても仕方ない。ロスだ。ロスには友達がいる。今から準備しなくては。





 悪神は放たれた。数日後、アメリカという国家が消滅した。少女の高笑いが響く。神ほどシステマチックな存在はいない。機械仕掛けかどうか、疑わしくなるほどに。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 未来のお話だね。時が移ろうとも怪異は存在するし、人間は怪異を知らないまま生きてる。いや、生きてた、になるのも近いのかもしれない。おねえさんは相当強い怪異なんだね。あぁ。でもね。ぼくは気になってならないよ。


 何がでしょうか。


 過去も未来もそこで死したすべての魂の声を巫女であるばあやは拾えるっていうの? そんなに神籠町の巫女って凄いのかな。そうは思えないよ。ここまで便利な力があるのなら、何だって出来たはず。


 ふふ、さすがです、ぼっちゃま。冴えていらっしゃる。では、わたしがしているお話は何だと思いますか。……いいえ、これではダメですね。直しましょう。なぜ、わたしはぼっちゃまにこんなお話をしているのだと思いますか?


 ……難しいね。ぼくはばあやにしてもらったお話は全部覚えているつもりだけれど、よく考えたら、その始まりは知らない。なぜ、この“妖し怪し語り”をばあやがしてくれているのか、そのキッカケは覚えていないんだ。


 考える時間はたっぷりございます。しかし、この事実だけは覚えておいてくださいまし。わたしはぼっちゃまに忠誠を尽くしております。あなたの為にならないことはけして行わない。


 うん。もちろん、それは信じている。


 ありがとうございます。


 でも、この楽しい日々もそろそろ終わるんじゃないかって思っているよ。


 なぜ、そう思われますか。


 アメリカだって唐突に終わっちゃったんだよ? 大国ですら、力ある怪異には叶わなかった。それなら、ちっぽけな子供の娯楽なんてすぐ終わるよ。何だっけ。“機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ”。世界という箱庭を終わらせる神の出現。おねえさんはそれに近いのかもね。


 その表現は正しいかもしれませんね。けれど、わたしは神籠町の悪神を“機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ”にしたいわけではありませんよ。


 どういうこと?


 考えるのです。ぼっちゃまの思考が浮かぶのがこの時間だけ、ということであれば、わたしはすべてをなげうってでも、お話は続けますとも。


 ……。うん。ぼく、頑張るよ。でも、眠くなってきちゃった。おやすみ、ばあや。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

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