“もったいないおばけ”って知ってるかい?
ふふ、分かるよ。どうにも子供っぽい響きだものね。
そもそも、これは1982年に制作されたCMの中で語られたモノでね、キミが思った通り、子供向けに作られた怪異だ。この食べ物が苦手だ嫌いだって食事を残す子供たちへの啓発が目的だ。
大きな人参やら茄子やら大根やらを顔につけたしたおばけのデザインはかわいらしくて滑稽で奇妙で。きっと、これを見たどの子供にも傷を与えないような作りになっている。
でも、子供というのは大人よりも、遥かに影響を受けやすい生き物だ。このCMは長いスパンで流されていて、きっと、これのおかげで食事を残さなくなった場合だってあると思うよ。
かつて、あらゆる栄養が欠如していた時代では食事を残すなんて有り得なかった。今も世界のあちこちでは飢餓に苦しむ子供たちがいるだろう。わたしは観測したことは無いがね。
さて。本題に戻ろうか。
キミの依頼は無敵の軍隊だってね。あるいは他国に対して強力なアドバンテージを持つ兵士を量産すること。この条件をクリアするのは全盛期の呪術であっても難しい。それは承知しているはずだ。だから、わたしが提案出来るのはあくまでその一歩さ。
他国へ軍事侵攻をしたとしても、一切の
……ふふ。夢のような話かい。でも、現代では突出した火力があれば、この軍隊も簡単に吹き飛ばされてしまう。その辺りのダメージコントロールは指揮官であるキミたちに任せよう。
あぁ。そうだね。いま、わたしが話したような効果を出せる呪術、あるいは怪異は存在しない。でもね、無ければ作ればいいだけの話さ。その答えが“もったいないおばけ”だ。
これまで影ながら人類を苦しめてきた怪異たちはたいてい、かなりの歴史を持っている。累積する神秘の力が怪異に力を与えるのさ。だから、新たに怪異を作るとなれば、現代の人間が知っている概念から要素を取らねばならない。
“もったいないおばけ”を子供のときに見ていた世代は40代、50代くらいかな。けれど、一般的な人生を送ってきた人は一度くらいは親や教師に言われたことがあるし、子供に言ったことがあるだろう。「食事は残してはいけません。もったいない」ってね。
最近では食品ロスの問題は社会全体の課題でもある。新たな価値観を抱きつつある現代の若者たちも理解しやすい概念だ。そして老人たちなら、余計に身に染みている考えだからね。
人間から神秘の力を搾取する
その程度の教育は盟約では禁止されていない。だいたい、わたしの存在は
でも、プロジェクトを動かすとなるとまずはサンプルが必要だろう。“もったいないおばけ”の素体となり得る怪異は“
和歌山県の大雲取、滋賀県の御斎峠辺りにはよく群生していたし、絶滅するような存在でもない。その辺りに生息しているはずだよ。怪異を生け取りにする方法は……あぁ、知っている?
なら良い。分からなくなったら、尋咲家か葛城家か
……うん? あぁ、説明が必要かい。なぜ、“足る否”が“もったいないおばけ”に改造出来そうか。わたしがキミに説明した無敵の軍隊はね、ひとつの強迫観念を植え付ければ済む話だからだよ。そう、飢えだ。
人間に出会えばこれを喰らえばいい。人体は大量の水分と栄養素を含んでいるものだ。人間は敵ではなく、所詮は食い物だと思い込めば、すべての問題は解決するのだ。
キミはジャガイモに恐怖するかい? パック詰めの豚肉を忌々しく思うかい? 林檎を切ってグロテスクさを感じるかい?
そういうことさ。
そして、言うまでもなく、人間が支配するこの世界において、人喰いは禁忌だよ。禁忌を犯せば、怪異に変ずるのも比較的簡単だ。あとは神秘の力を混ぜ込めば、人間を喰えば喰うほど、その肉体は尋常ならざるものへ仕上がっていく。……あぁ。分かりやすいね。鬼さ。
ふふ。キミも良い顔をするようになったじゃないか。さぁ、出発したまえ。鬼の軍隊を、わたしと共に作り上げようじゃないか。
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どうでしたか、ぼっちゃま。
これは……本当のお話なの?
さて。ばあやがするお話はすべて真実でもあり、あるいは虚実でもあります。ですが、いまのぼっちゃまならば、ある程度は判断出来るのではないですか?
うん……。たまにお話に出てくる神籠町のお姉さん。怪異に詳しく、オカルトにも精通している人だよね。でも、これまでの情報を合わせると、彼女が人間であるとは思えない。
では、何なのでしょう。
……分からないな。怪異が人に化けてるって感じでもないかも。でも、これだけは教えてよ。このプロジェクトは成功したの?
いいえ、失敗いたしました。
なぜ?
この指揮官が“足る否”の実験中に命を落としたからです。彼だけではなく、幾人もの命が失われました。ゆえに上層部は“もったないおばけ”計画を凍結せざるを得ませんでした。
なるほどね。……もしかして。あぁ、でも、これに答えを出すのは怖いな。
いつでもよろしいのですよ。
……。ばあやのお話ってさ、視点人物が死ぬことが多いよね。
ですね。
死ねばお話はそこまでおしまい。死ねば、その体験談を誰かに語る機会も訪れない。ぼく、覚えているよ。“アサヒナさん”のとき。視点人物は最後に誰かに向けて「ごめんね」って言ってた。ばあやはさ、このお話を誰から聞いたのか。いつ聞いたのか。そこがおかしい。
気付かれましたか。
ぼくは馬鹿じゃないよ。ばあやはきっと死者の魂と会話しているんだ。巫女ってやつなのかも。でも、そうなるとね。お話の中には明らかに時代が現代で、そして視点人物が死亡していないものもある。だとすると。
……。
ぼくはさ、生きてるのかな?
……と言うと?
ぼくは毎日、眠る前にばあやのお話を聞いているよ。でも、この状態ってさ、ぼくが死んでいても成立する。ばあやは巫女で死者とも会話出来るんだから。
そうなりますね。
答えてよ。ぼくの考えが正解のなのか、全く違うのか。ばあや、教えて。
ぼっちゃまは思い出さなければなりません。わたしがとやかく言えることではないのです。しかし、それは長く仕えている主人に対して、あまりにも無作法というもの。……問うだけにいたしましょう。ぼっちゃま。あなたは誰ですか?
え。
あなたはどこにおられるのですか?
……ぼくは
なんでしょう。
眠いよ。ぼくは眠らなくちゃいけないの? 嵐堂グループのために、ぼくは毎日勉強しているよ。友達がひとりもいないまま、楽しくない学校生活を送っているよ。好きでもない子と婚約させられて、お喋りしているよ。こんなに頑張ってるのに。これは……偽物なの?
いいえ。この世界の誰が否定しようとも、わたしだけは言い続けましょう。ぼっちゃまの想いは本物であると。いまはお眠りくださいまし。
……明日。……本当に明日かどうか分からないけど、ばあやのお話が聞きたいな。
もちろんですとも。
あやふやな記憶の中で、これだけは断言出来るよ。ばあやだけは本物だって。
ええ。
おやすみ。
おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。