『肝試し! 行こうぜ』
友人の
『どこへ行くんだ?』
『C県の廃ホテル。おまえの車で行こう』
『了解。他に誰か呼ぶのか?』
『
『オッケー』
尋咲
狩沢が定めた肝試しにおけるルールは3つ。
1、必ず夜に行く。
2、別れて行動しない。
3、終わったあとは点呼を行う。
シンプルで分かりやすい。これまで、肝試しは50回以上はしたが、このルールを守っているおかげか、そう悪い目に遭ったことはない。いや、理由はもうひとつある。霊感のある友人曰く、狩沢は強力な守護霊を持っているらしい。本当かどうかは分からないが。
7月の夜は暑い。僕たちは廃ホテルに来ていた。近くにあったコンビニの駐車場に車を停めて、少し歩いたところにそれはあった。
時代がかった洋館のような見た目だ。後ろには鬱蒼とした森が広がっており、誰も手入れなどしていないせいか、ホテルのあちこちを森が侵食していた。すっかり肝試し専用の道具となった懐中電灯の電源を点ける。
狩沢は派手なアロハシャツの上から藍色のストールを巻いていた。普通ならイタい仕上がりになりそうだが、こいつは顔が良いからサマになるのだ。尋咲の方はというと、ピッチリとした黒髪とモノクルのせいで怪しい風貌に見える。
ふたりともいつも通りだ。
「うわあ、雰囲気あるなあ」
「ハハ、肝試しにはピッタリじゃねえか」
「狩沢。“ディティール”を教えてくれ」
「お、待ってました!」
「よしよし、聞け!」
これはルールではないが、狩沢はいつも心霊スポットに入る前に噂を(脚色して)語ってくれる。僕たちはそれを“ディティール”と呼んでいるのだ。狩沢が息をひそめて語り出す。
ここの歴史は江戸時代まで
ある日、クリーニングサービスをしている係から支配人に緊急連絡が入った。曰く、「お客様から預かった服を紛失してしまった」と。有り得ないミスだわな。ホテル業ってのは信用商売。ホテルマンが客を害さないという絶対の信頼が無ければ成り立たない。当然、支配人は激怒した。……だが、それと同時に疑念も抱いた。
服を洗ったり乾かしたり、その過程で傷付いたっていうなら理解出来る。でも、紛失なんてするか? 外部に委託しているわけでもないのに。その係に泥棒でもいるんじゃないかとも考えた。だけどさ、服なんて盗んでどうする? 売ったって二束三文だぜ。時計やらネックレスやらを盗むっていうなら分かるが。
結局、クリーニング係の所に何人か送り込んで探したが、客の服は見つからなかった。で、支配人が直々に出て客に謝った。管理体制を改めさせ、そんな間違いが二度と起きないように徹底させた。ホテルマンも努力したし、防犯カメラも付けた。それなのに、二度目が起こった。三度目も、四度目もだ。
紛失するなんて有り得ないような状況でも服は無くなった。支配人は諦めて、クリーニングサービス自体を取り止めることになった。インターネットなんて無い時代だが、人の噂ってのは怖いもんだ。ホテルとしての品質は確かだが、クリーニングを頼むと服が無くなる。そんな評価が根付いてしまったからな。
でも、支配人としては心配でたまらなかった。もうその時点では人間の仕業だとは思っていないわけよ。そして、予想通り。客の部屋にあった服が消えた。当然、真っ先に疑われるのは客室係だ。けどな、さっきの話に戻るが、服なんて盗んでどうする? 真っ当にホテルで働けば、そんな服は何十だって買えるんだ。
それで収まってくれればいい。その祈りは無駄になった。式場からウエディングドレスが消えた。そこらの服とは訳が違う被害だ。弁償する、代わりの物を買ってくる、そんなわけにはいかない。花嫁と花婿にとっちゃ、人生における一大イベントだ。信用は失墜した。
その事件が契機となってこのホテルは潰れた。悪評を挽回出来なくなったのは間違いない。でも、それ以上に支配人は無理だと悟ったんだろうな。お祓いをしたって、効果が無かったのもそうだし、そのときには原因も分かっていた。
かつて、ここには宿坊があった。裏の山を抜けてもうちょっと歩くと、そこには評判の修行地があったおかげか、高名な僧や修験者がよく利用していたらしい。そして、ここからは裏の歴史。この宿坊、実は盗賊の根城だったんだ。
盗賊と言っても金品を奪うわけじゃない。やつらの狙いは僧とか修験者とか……いわゆる霊能者が着ている服なんだ。霊能者が普段から身に付けている服には神秘の力が凝縮されており、それを“聖衣”として崇めている好事家に売っていたんだそうだ。……まぁ、本当かどうかはさておき。
でも、ホテルの客も盗まれたかも?って思ったくらいだ。当然、霊能者連中も同じこと考えるわな。特に自分の服には神秘の力が流れてるって考えてるやつは余計に疑う。
だけど、疑われた盗賊も狡猾だった。この地には神秘の力を喰らう怪異がおり、高い能力を持つ霊能者だからこそ、服を奪われるだけで済んだのだ……という噂を流した。こう言われたら不思議なものでな、霊能者連中は気分を良くしたんだ。自分には実力があるから狙われ、いま命があるのは実力の証明になっていると。
ホテルマン以上に霊能者ってのは信用商売なのさ。その噂のおかげで自分の力を誇示したいやつらが増えて、盗賊は大儲けだ。
だが、あるとき。正義感のある修験者がその怪異を退治すると言い出したんだな。まぁ、それでメシ食ってるんだから、いずれ、こんなやつが出てくるよな。だけど、これの裏を引いているのは盗賊なんだぜ? その修験者をもてなしつつも、誰の目も届かないところで惨殺するのも難しくなかった。
ある意味では見せしめか。事情は何となく分かっているが、実力のある霊能者という評判欲しさの為に黙っている連中へのな。
修験者は全身の皮を剥がされていた。実力の足らぬ者が退治に失敗して、このような姿になったのだと
しかし、ここで思わぬことが起こる。怪異の目撃情報が次々と出て来たんだ。そして、同様に皮を剥がれた霊能者の死体もふたつみっつと増えていく。自分の取り分を増やすために殺したんじゃないかっていう疑心暗鬼を抱く者が増え、やがて盗賊は自然消滅した。でも、深い事情を知らぬ支配人の曽祖父が犠牲者のための塚を立て、宿坊をホテルに改装した。
それから何の問題も起きていなかった。だけど、支配人は分かっていたんだ。古くさい塚を壊して結婚式場にした父の日記を読んだから。今からでも新たな塚を
ホテルの経営が終わった日の夜。支配人は自室で死体となって発見された。……全身の皮を剥がされた姿でな。それ以来、怪異を見たっていう噂が相次いだ。ウエディングドレスを着た首無しの花嫁、あるいは熊に似たサイズの真っ白い四足獣。肉を剥き出しにした亡者の群れ。
怪異の本当の姿は分からない。
でもな、この廃ホテルは間違いなく、出るぜ。
「おお……そんなすごい場所だったのか」
「あぁ。雰囲気が暖まって来たな」
狩沢の“ディティール”がどこまで本当なのか、あるいはすべて嘘なのか、それは僕たちには分からない。尋咲も承知していることだ。ただ、彼の話は怖かった。それだけでいい。
「よし、肝試しへいざ行かん!」
ひとまわりしたが、特に何も起きず。狩沢はガッカリした顔をしていた。尋咲と顔を合わせ、狩沢に隠れて笑う。いつも通りの流れだ。
「はぁ……ここもダメかぁ」
「でも、楽しかったよな。せっかくだから、夜食でも食いに行こう。近くに評判のラーメン屋があるんだ。……おっと、忘れるところだった」
「点呼! 狩沢学。ここにいるぜ」
「尋咲久志。生きてるぞ」
「灰島了。運転手だ」
点呼を終えてぐっと伸びをした。ふと、狩沢の違和感に気付いた。
「おまえ。ストール巻いてなかったか?」
「あ! 本当だ。無くなってる」
「おい、それって……」
「へぇ。もしかしたら、ここ本物だったか?」
僕たちは廃ホテルを振り返るが、何もいない。かつては栄えていた場所は衰え、無人の廃墟が広がっているだけであった。
♦︎♦︎♦︎
どうでしたか、ぼっちゃま。
気になるね。ここは本物だったのかな?
そうですね。結末を曖昧にして恐怖を抱かせる手法もございますが、ここでは肯定します。わたくしがこのホテルを知ったのはすっかり奪衣館と悪評が付いたあとでしたが。
最初に怪異はいなかった。でも、人々の中では怪異が
ええ。そもそも怪異というのはそういう風に生まれるものが大半ですからね。この怪異はわたくしたちの間では“
うわぁ……怖いな。でも、花嫁さんってウエディングドレスを盗まれて、何で首無しに?
彼女は自殺もしておりませんし、別の場所でちゃんと結婚式は挙げました。けれど、噂の中ではそうではなかった。それだけのことでございます。
確かによく考えてみれば時系列がおかしくなっちゃうよね。ウエディングドレスを盗まれる前から、“奪衣獣”は存在したはずだから。
怪異とは可逆的な存在ですからね。時系列など無視しております。とは言え、ウエディングドレスを着ていないときの“奪衣獣”がどんな姿であったのか、今では想像しか出来ません。
肝試しかぁ。ぼくは行きたくないな。
行かぬ方が賢明かと。犯罪ですしね。
だよね。ロマンはあるけど。眠くなってきたよ。たぶん、何百年も経ったらこのお屋敷も心霊スポットになるんだろうなあ。
不吉なことを申してはなりません。
そうだね。おやすみ、ばあや。
おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。