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第32話 エミュレート

 秘密基地ごっこというものを小学生のときにやっていた。


 とは言え、地元は住宅地ばかりの郊外であり、おあつらえ向きの山や森などは無かった。


 その代わりに、使われている様子の無い倉庫を根城として、毎日のようにそこで俺は友達と遊んでいた。お調子者のAと頭の良いTと冷静なD。互いにおやつを持参し、学校での出来事を面白おかしく話し、日が暮れるまで鬼ごっこやチャンバラごっこで汗を流した。


 しかし、その遊びも終わりを告げるときがやってきた。倉庫が正式に取り壊されることが決まったのだ。秘密基地で遊ぶのもこれが最後という日。


 俺たちはAの提案で記念に肝試しへ行った。場所は秘密基地から目と鼻の先にあるマンションだ。そこは火事になって何人かの死亡者が出ており、毎日のようにお供え物が置かれている。


 燻んだ赤色のマンションは秘密基地から見ても威圧感を放っているように思えた。友達の中ではリーダー格であるAの提案であるからこそ、受け入れられる。そうでなければ、断っていただろう。


 さて、肝試しのルールはこうだ。2組に分かれて最上階である5階へ階段で向かう。5階に着いたら階段の踊り場から下で待つふたりに手を振るという単純なものだった。


 階段の辺りはあまり焼けておらず、倒壊の危険は無いとTが判断した。

 そもそも、口では偉そうに言いながらも所詮は小学生である身ゆえ、みな初めての肝試しにビビっていたようで、これくらいの緩さでちょうどよかった。


 また、夜遅くに出かけると親に勘繰られてしまうため、肝試しが始まったのは夕方の5時からであった。それでも、冬の半ばである季節の5時は暗く、一歩も歩かないうちから俺は既に怖かった。


 俺はAと共に先発組となった。最初こそ戦々恐々としていたのだが、廃墟とは言っても火事が起きてから、そう年月が経ったわけでもないマンションは中に入ってさえしまえば普通だった。しかも、5階まで階段で上がるという行動は小学生である俺たちには重労働で、道中の怖さなど感じている暇がなかった。


 Aも「熱い」と言い、コートやセーターを脱ぎ始めるくらいだった。やけに足が重い。体力の限界に達しつつある頃、ようやく目的地に辿り着いた。地べたに座って休憩を取っていたらAがセーターどころかズボンまで脱ぎ出しているのが見えた。



「おいおい、ふざけすぎ。風邪引くぞ?」


「いやいや、だって熱すぎるもん。ここ、ぜんぜん風も当たらないし、もっと涼しいところ無いかな……」


「TとDに合図を送ろう。下に戻ったらまた寒くなると思うし、それで我慢しろよ」


「……熱い。熱い。あつい」



 そこでようやく俺はAの様子がおかしいことに気付いた。熱さを告げる彼の顔は真っ白で能面のようだった。風に当たるために踊り場にいた彼は身を乗り出し、下に落ちていった。



 俺は慌てて踊り場から顔を出してAがどうなったか見ようとし、そこで壁の高さに驚いた。これまでここを登ってきたので知っていたはずだが、改めて見るとここから身を乗り出すのは背が低い彼では不可能に近い。俺がAを肩車でもすれば届くだろうが……。


 だけど、そんなことを考えている場合じゃない。Aが落ちたのだ。すぐに救急車を呼ばなければ。そうは言ってもまだ子供は携帯電話など持っていない時代のことだ。近くの家に行って電話を借りなければならなかった。


 慌てて階段を降りるとAが倒れているところに驚愕の面持ちでTが座り込んでいた。俺もAのところへ歩こうとすると、いきなりDに胸ぐらを掴まれた。彼の顔は怒りで満ちている。



「おまえらはさっきからいったい何やってんだよ! 悪ふざけにも程があるだろ!」


「何言ってんだよ……? 早くしないとAが」



 大東は憎々しげにAの体を指差した。



「あれがAに見えるのかよ?」



 Aは……服を脱いでいる。肌色が見える。しかし、不思議なことに血が出ていない。あらぬ方向に曲がった腕や足からは悲愴感が漂うものの、それ以上の不自然さを感じてならなかった。そして、なんだかくさい。プラスチックが焦げたような不快感のある臭いだ。


 俺はAに近寄り、思わず「ひぃっ」と悲鳴を上げた。折れ曲がった首から上が黒く焼け爛れている。どう見ても……どう見ても、これはマネキンであった。どうなってるんだ? Aは?


 するとDが吐き捨てるように言う。



「Aがさ、転校して寂しいのは分かる。でも、おまえらおかしいよ! 秘密基地にあったマネキンにボロボロの布着せたやつをAとして扱って。ここまで背負って来て。突然肝試ししようなんて言い始めて。そして、マネキン焼いて、下に向かって投げ落とす! 何のつもりなんだよ? わけ分かんないよ!」



 わけが分からないのはこっちの方だった。思わず、Tを見ると彼も混乱している顔をしていた。辺りを見回す。お調子者のAがドッキリでも仕掛けようとしているのかと思いたかった。しかし、周囲には俺とTとDと壊れたマネキンしか無かった。



「もういいよ。おまえたちとは絶交な」



 そして、Dは去っていた。彼の言葉を信じるなら、俺は異常な行動を取っていたのが分かる。でも、さっきまでAが側にいたはずなのだ。秘密基地で彼の差し入れであるポテトチップスを食べて、体育の時間の失敗を話し、このマンションまで一緒に来た。そして5階まで登った。



「なぁ、T。おまえは見てたよな? この、マネキン。さっきまでAだった。俺がおかしくなっちゃったんじゃないよな?」


「うん。……落ちて来たときは間違いなくAだったはずだよ。近寄ったらマネキンになってたけど。で、でも、確かに今日のあいつ口数少なかったよな。いきなり肝試しとか言い出すし、ちょっとおかしかった」


「…………どうなってるんだよ。Aが転校? そんな、いつ? ……いつの話をしてるんだよ。Aは1ヶ月前に大阪へ行っちゃったじゃん」



 自分でそう呟いて、絶望した。なぜ忘れていた? あんなに泣いて送り出したじゃないか。TやDと共に秘密基地でAの思い出を語り合ったじゃないか。

 俺の発言にTは信じられないと首を振る。



「な、なぁ。秘密基地に戻らないか? 今日は家に帰らずAは直接ここに来たって言ってただろ。あいつの分のランドセルがあるはずだ」


「……行ってみよう」



 Tの提案に乗りつつも俺はそこにAの荷物など無いと確信出来ていた。階段を登るとき、妙に足が重かった。もしかしてそれはマネキンを背負っていたからではないか? そんな気味の悪い想像に怯えた。



「こいつ、どうする?」


「置いていこう。気持ち悪いし」



 秘密基地に向かうまで俺たちは無言だった。たぶん、Tも本物のAが転校したときを思い出しているはずだ。

 秘密基地に着いた。荒れ果てた倉庫の中。ボロいブルーシートを敷いて錆びた脚立。慣れている場所のはずなのに無人のそこは廃墟のマンションよりもよほど不気味で怖かった。


 もちろんAのランドセルなど無い。拾って来たマンガ雑誌の横に4人で食べたはずのポテトチップスの袋が落ちている。これはAが持って来たはずだ。でも、どうして。などと考えるまでもなく何かを踏み潰した感触を覚える。


 それは花束だった。吐きそうになる。じゃあ、これはマンションへのお供え物? Aが持って来たと言い張って、俺かTのどちらかが拾って来たのだろうか。一刻も早くここから逃げ出したかった。Tの方を振り返って、俺は叫び出しそうになった。



「……何の冗談だよ、T? そ、それ」


「え?……あ、わぁぁぁ!!」



 Tはあのマネキンを背負っていた。投げ飛ばすように放られたマネキンが脚立に勢いよくぶつかる。こんなときにそんな笑えないふざけ方を彼がするはずがない。


 俺たちはこいつに憑かれている。そう直感し、逃げ出した。俺もTも必死になって走り、何度も背中を振り返った。あのマネキンを背負っていないかどうか互いに確認しながら、すっかり陽が沈んだ街を駆け抜けていった。


 言葉通り、それっきりDとは疎遠になってしまった。いかに言い訳をしたところで信じてくれはしないだろう。Tとの親交はそれ以降も続いたが、あの日のこと、Aのことを話題にするのは徹底的に避けて来た。


 それでもひとりでいるときは考えてしまう。あれは何だったのだろう。マンションの火事で死傷者は出たものの、それらはすべて俺たちとは何の面識も無い大人だった。


 あの倉庫でマネキンを見た覚えなど無い。あれはどこから来たのだ? いや、これだとまるでマネキンが自主的に移動してきたように聞こえる。そんなはずはない。俺かTのどちらかが拾って来たのか? いつ? どこで? なぜ?


 なぜ、あのマネキンは焼けていたのだろう。Dの口振りからすると、やはりこれも俺がTの仕業だということになるのだが、全く身に覚えが無い。ライターもマッチも持っていないのにどうやって火を熾こせるというのだ。


 説明が付かないことだらけだが、最も得心のゆく回答をひとつ考えた。マネキンはAの振りをし、人間“ごっこ”をしていたのではないか。会話を楽しみ、供えられた菓子を食らい、肝試しを企み、友を驚かせる……つまりはお調子者のAの人格をエミュレートして。


 不合理で不可解で有り得ない仮定に過ぎないが、悪意を向けられるよりマシだ。自分の頭がおかしくなったと認めるよりマシだ。


 あの日から十数年。行かなかった同窓会の噂を聞くにAは元気にしているらしい。秘密基地もマンションも今は取り壊されてアパートと駐車場になっている。真実を知るすべは既に失われた。


 ある日、一人暮らしをしているTと共に酒を飲んでいた。言いたいことがあると呼び出されたのだ。それぞれの仕事の話から始まり、大学・高校で起こった面白いこと、中学・小学校の思い出と熱くなるにつれ、だんだんと時を遡っていた。久しぶりに楽しかった。そして深夜に差し掛かる頃、多口は言った。



「僕、結婚するんだ」



 そう言った彼の顔は白く、どこか作り物めいていた。本当に目の前にいるのはTなのだろうか。そんな考えを抱きつつも、俺は彼の幸せを祝ったのだった。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 不思議だね。火災になったマンションとマネキン自体は無関係でしょ。マネキンが幻の熱を感じて飛び降りて、そして燃えている。マネキンに火災で死んだ幽霊が入り込んだのだとしても、マネキンはどうして動いているの?


 “鏡蟲”の一種ではないかと思います。子供たちの会話を聞いていた“鏡蟲”がマネキンに取り憑き、Aさんの人格をエミュレートしたのでしょう。“鏡蟲”は他者の霊魂に影響されやすいところがありますから。


 Tさんは果たして人間だったのかな?


 分かりかねます。


 人間の偽物が空虚な生活を送っている。でも、ぼくが知らないだけで、こういうパターンはそれなりにあるのかな。


 ありますね。


 絶望的だ。……眠くなってきちゃった。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

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