目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第29話 がりごう

 某県。気分転換のためにひとりでキャンプをした。名残惜しくてキャンプ場の周りを車で走ってみようと思った。それが間違いだった。



「どこだここ……。ナビ、ナビは?」


『目的地周辺です』


「んな訳あるか。家まで数十キロはあるよ! 地図、地図は? ここはどこなんだ」


『がりごう』



 どこだそれ。キャンプ場の地名はそんなんじゃなかったぞ。ぐるぐると同じ山道を回っているような気がするし、降りたかと思えば昇っている。すべて一本道で脇に出られるところは無い。来たときはこんな道じゃなかったのに。



 落石注意の標識がある。カーブを曲がり切ったあとに急に現れたように見える、この場所はもう4回は来ている。せめて、他に車があれば、道を聞けるのに。スマートフォンは電波が悪く、全く役に立たない。明日は仕事があるからとか、そんな問題じゃない。おれはここを脱出出来るのかという恐怖に包まれている。



『目的地周辺です』



 機会音声だが、無音の山道よりマシだった。舗装されたアスファルトの道はおれの車のタイヤの音を完璧に吸収している。鳥の声も虫の声も聞こえない。もうすぐ夜になりそうだった。



「あれ」



 黄色い標識が見えてきた。でも、初めて見る。黒く塗られた歯茎と獣のような牙を剥いた男の絵。その絵の下に「がりごう」と書いてある。標識じゃなくて、素人が描いた絵か? でも、希望が見えてきた。ここには初めて来る。外の道に出てこられたんだ!



『道なりに直進してください』



 ナビも直ったか!? 安心した。けれど、見通しの悪い山道であるのには違いない。スピードは出さず、進んでいこう。……それにしても、何故出られたんだろう。ずっと同じ道をぐるぐる回っていただけのように感じていたのだが。



 カーブを曲がる。すると、またしても見慣れない標識。ポールに付いているし、素人の悪戯だとは思えないな。でも、知らないデザインだ。歯茎を剥いた男の横顔から稲妻が出ている。クラクションを示しているのかな。クラクションを鳴らしながら走れという意味か?



『がりごう』


「うおっ。ビックリした。何だよ急に」



 ナビが音声を発した。けれど、いつもの機会音声ではなく、低い男の声だ。ノイズのような雑音も混じっているし、壊れているのかも。役に立っていないナビだが、切るのは憚られた。



『がりごう』


「は?」


『がぁぁぁりぃ〜〜ごおおおぉぉ』



 気持ち悪い。混じっているのは雑音じゃない。吐息だ。そう感じた。ナビの横のボタンを叩く。切れない。叩く。叩く。叩く。



『がりごう。目的地周辺です』


「何なんだよ!? 設定してねぇよ!」



 ここには誰もいない。おれしかいない。キャンプ場を出たときに設定したのは家の住所だ。このナビを操作出来るのはおれだけだ。背筋に寒気を感じた。車内のバックミラーに何か映っている気がする。怖くて直視出来ない。目の前に標識がある。黄色い背景に黒い歯茎。大きな口がぽっかりと空いている。後ろにいる何かはこんな顔をしているのではないだろうか。首筋に息がかかる。囁くような声。



「がりごう」



 思わずアクセルを踏む。ガードレールに勢いよく……いや、何も無かった。宙に浮くような感覚。タイヤが空気を切って前に進む。落ちる。落ちる。落ちていく。おれの意識に最後に引っかかったのは吐息混じりの低い男の声。



「目的地周辺ですぅぅ……」


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 嫌だな。たまに聞くよね。カーナビの案内に従っていたら、お墓に来てしまったとか。でも、この人は避けようが無かったように思う。


 そうですね、袋小路のようなもの。彼の命運は知らない山道を回ってみようと思った時点で終わっていました。あるいは。迷ったと分かった時点で車から降りていれば。けれど、明日は仕事がある人間がそんな真似は出来ません。


 がりごうって何?


 わたくしには分かりません。きっと意味など無いのですよ。山道に潜む魔は人の不安を煽るのは得意ですが、高度な知能は持ち合わせていません。


 うーん……夢に出ないかな。ちょっと怖い。


 ここで見守って差し上げます。


 なら大丈夫かな。おやすみ、ばあや。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?