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第26話 DEVIL

  世界は退屈だ。少なくともおれにとっては。



「行ってくる」



 こんなことを言う必要は無いのだが、出来る限り簡略した儀式だ。予想通り、母さんがリビングからキンキンとした声で叫ぶ。



「駿! 何やっているの? そんな無防備な姿で小学校へ行くつもり? 今すぐアルミホイルで頭を包むのよ! 脳に干渉するDEVILデヴィルから身を護らなければ、あなたは死んでしまう」


「うるさいなぁ」


「あ! スムージーをこんなに残して! 無農薬野菜たっぷりのこれを飲めば、あなたの肉体はワクチン要らずになるのに。わたしの霊氣れいきと酵素を混ぜ合わせたこの配合は完璧なのよ!」



 頭に自家製のアルミホイルのヘッドギアを被った奇妙な姿のこの女を母と認めたくはないが、現実を変えることは出来ないのだ。絶叫が響き渡る。近所のおばさんたちが可哀想なモノを見る目でこちらを見ている。もはや、噂にもならないほどに、このやりとりは日常だ。



 放課後、教室の窓からぼんやりと外を見る。みんなは友達と一緒に帰る。おれに友達なんていない。母さんがあの調子なのだから当然だ。イジメられてないのが不思議なくらいだ。


 父の顔は見たことがない。おれが生まれる前に一方的に離婚を言い渡されたらしいが、そりゃあそうなる。ある時点までは結婚していたというのがそもそもおかしい。人を騙せるほどの説得力は母さんには無いのだけれど。



「やぁ、黄昏たそがれているね」



永世ながせ



 彼女はそんなおれに普通に話しかけてくる変わったやつだ。いつだって、真っ白な八重歯を見てしまう。黒髪のポニーテールが似合う少女で顔立ちも整っているように思うのだが、他の人と喋っているところを見たことが無い。



「知っているかい。ウサギたちが処分されるらしい。あぁ、処分と言っても殺されるわけではないよ。近くの動物園に引き取ってもらうそうだ。最近の小学生にとっては、ウサギの世話というものはどうにも面倒くさいんだろうね」



 まるで大人が話しているような口振りだ。でも、おれは同じクラスの子供っぽいやつらと喋るより、永世のよく分からない話を聞いている方が好きだった。心に深く沁み行ってくるような低い(女子にしては)声だ。



「哀れなウサギたちだ。子供たちに対する情操教育のために育まれていたというのに、その存在価値を失うなんてね。しかも、その理由が他ならぬ子供たちへの情操教育の失敗なのだからね。許されるなら、ボクが飼いたいな」


「永世は動物が好きだもんな」


「あぁ。イヌもネコもカワイイけれど、ボクはウサギ派だね。小さくて丸くて目がつぶらだ。学校で飼われているのは白いやつらだが、黒いのもカワイイぞ。でも、何より、その肉は引き締まっていて、とても美味しいんだ」


「飼ってるのを喰うのか?」


「それもいいね」


 本気で言っているのか分からない。それもまた永世の魅力なのかもしれない。彼女の小学生らしくない白い肌に夕暮れの陽が反射する。



「でも、駿はもったいないと思わないか」


「何が?」


「ウサギのことさ。彼らには愛玩あいがんされる以外に役割があったはずだ。ボクたちの手でそれを取り戻させてやらないか? 彼らの命を使い切ることすらせず、己の愉悦ゆえつふけやからのためではなく、世界を退屈だと思う孤独な子供のために」


「分かるように話せよ。難しい言葉を使い過ぎて回りくどくなると嫌われるぞ」


「なに、駿だけが分かればいいのさ」


「ウサギで何をするんだ?」


「ひとりかくれんぼ、という遊びを知っているかい。ぬいぐるみに名前を付け、中に米と自身の爪を込め、風呂場に置いておく。そのぬいぐるみに話しかけてかくれんぼをするのさ。これは簡易的な降霊術でね。終える頃にはすっかり自身を呪っている状況となり、様々な怪異が降り掛かる。で、ボクが提案しているのは、このぬいぐるみの役割をウサギにすること。ぬいぐるみを包丁で刺しても何も怖くないけど、相手がウサギなら恐怖は倍増するよ」



 自分の提案に永世はうっとりとしている。何もかもを魅了してしまいそうな笑みだった。



「そんな遊びのためにウサギを殺せって? 残酷すぎないか。しかも、その口振りだと学校のウサギを盗むんだろう。良くないぞ」


「フフフ、確かに。それは窃盗だし、器物損壊にもなるね。でも、それくらい何だって言うんだ。狭い世界に生きる子供に、その命を以て教材となれるんだ。とても幸せだと思うよ」


「それ、おれのことか?」


「駿はお母さんのことで悩んでいるだろう? 令和も半ばとなっているこの時代に、いまだに擬似科学にすが愚者ぐしゃ。しかし、駿はその愚者が支配する世界でしか生きられない小さな存在だ。退屈だって、いつもそう思っている」


「……その事実がひとりかくれんぼとどう繋がる? 降霊術なんてくだらない。無意味な儀式のために、命を奪うのはダメだろう」


「世界を破壊してみたくはないか?」


「どういう、意味だ」


「この世界をいま支配しているのは科学こそ絶対に正しいという価値観だ。けれど、それが木っ端微塵に砕けたとき、駿の世界は間違いなく広がる。本当はお母さんを悪く言いたくはないんだろう? もし、お母さんが正しければ、駿は救われる。くだらない降霊術が成功する……即ちこの世界には科学では測り切れぬ事象が存在するということに他ならない。どうだ」



 夕暮れがやがて夜へと変わろうとしていた。家に帰らなければならない。アルミホイルのヘッドギアを付けなければ、おれは夕食も食べさせてもらえない。母さんの狂気に押し潰されそうな毎日だった。空に浮かんだ薄い月が見える。ふたりきりの教室で永世はおれを誘う。



「試してみるだけだ。おれはおまえの言葉を信じたわけじゃない。もし、何も起きなかったら、おれは永世がウサギを殺したって言うぞ」


「構わないとも」


「永世はなんでこんなことを知っているんだ」


「ボクが前にいた場所はね、それはもう面白い町だったのさ。子供たちは端末でゲームに耽るより、怪しげなおまじないに傾倒する。素知らぬ顔で大人たちは怪異に怯える。訳知り顔の老人たちは因習を守り続ける。まったく退屈しない町だよ。ひとりかくれんぼもそこで知った。ここがあの町みたいなスリリングでホラーチックになったらいいのにって、思っていたのさ」


「……その町だけ時代に取り残されているんじゃないか? 異常だよ」


「フフフ、そうかもね。でも、ボクからすれば、天国さ。おまじないを教えてくれる有名なおねーさんがいて、彼女とも会ってみたかったんだけど、波長が合わなくってね。諦めたよ」



 永世は綺麗な顔を歪ませている。本当に残念そうだ。それにしても、永世は転校生だったのか。クラスメイトでは無いことは確かだが、学年もクラスもおれはよく知らないのだ。


 手慣れた様子でウサギを誘拐した永世は必要な道具を集めて、深夜、おれの家のドアノブに掛けてくれる手筈となった。引き返せない。



 深夜。母さんは怪しい本がたくさん置いてある寝室で眠っている。眠りは深い性質タチだ。ちょっとやそっとのことでは起きないだろう。おれはアルミホイルのヘッドギアを外し、ドアノブをチェックする。ウサギの死体心臓だけ残してあとは取り除いたらしい、包丁、塩水、マッチ、少量の米、紐。


 深呼吸して手順に取り掛かる。ウサギの死体に米を詰める。予め切っておいた爪を入れる。本来はぬいぐるみなので糸と針で縫う必要があるのだが、ウサギ相手にそれは難しい。紐でぐるぐると縛って溢れないようにする。


 ウサギに名前を付ける。元からこいつには名前がある。マクガフィンだ。深夜に灯りもつけずにこんなことをやっているとただそれだけで不気味だ。マクガフィンを風呂桶に沈め、呟く。「最初の鬼はおれだ」


 そして真っ暗な部屋の中でテレビを点ける。砂嵐状態になることは最近は無くなってきたのだが、まだローカル放送の枠だけは深夜になると画面が砂嵐になる。目を瞑って10秒数える。1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。包丁を持って風呂場へ行き「マクガフィン見つけた」と言ってその心臓を刺す。


 思ったよりは血は出ない。永世が既に解体しているからだろう。でも、罪悪感は増した。おれはいま異常な行動を取っている。そう自覚せざるを得ない。「次はマクガフィンが鬼だ」と言い、家の適当な所に隠れる。その場所には予め塩水を入れたコップを置いておく。これを3回繰り返す。


 静寂の空間。暗黒の空間。おれしかいないこの部屋に緊迫感が漂う。だが、何も起きない。永世の負けか。……そう言えば、この儀式はどう終われば良いんだ? その方法を聞いていなかったな。ウサギの死体はアルミホイルに包んで庭に埋めた。包丁も片付けた。疲労感に襲われて自分の部屋に行く。



「成功したみたいだね」



 何故か部屋に永世が立っていた。彼女の足元が不自然に黒い。何かが蠢いている。何か、の中にはギョロリと覗く赤い目が見えた。チラリと部屋の端にある姿見を見る。永世は映っていない。月光で照らされているというのに、彼女には影が無かった。



「おれを騙したのか」


「騙してなんていないさ。世界は壊れる」



 永世がパチンと指を鳴らした途端、部屋中を黒い闇が包み込む。ものすごく速いスピードで。闇からは虫の脚みたいなものが見えた。



「これはひとりかくれんぼだ。降霊術によって悪魔が召喚された。ようやくボクもその力を思う存分振るうことが出来る」


「おまえは、悪魔なのか」


「そう。ボクはこの世ならざる存在にして、科学など無意味だと、世界に啓蒙けいもうすることを役目としている悪魔さ。ひとまず、ここをボクの拠点にさせてもらうことにしよう」


「家をどうするつもりだ!」


「ボクが住むだけさ。拠点を増やして神秘の力を増していけば、この町ももっと面白いモノになる。そう確信しているんだ。駿も見るかい」


「……なぜ、おれにそれをさせた?」


「フフフ、駿は特別な血筋でね、いにしえの時代であれば、かんなぎとして活躍出来ただろうに。ボクの声の波長が駿には届いた。残念ながら、アルミホイルを頭に巻いていたときには近付けなかったけれどね」


「母さんは間違ってなかったのか」


「その通りさ。他の疑似科学については知らないけどね。ボクを見て、ボクの声を聞ける人間をこの100年ずっと探していた。さぁ、世界を破壊した駿。何を望む? ボクは悪魔だ。代償次第で何でも願いを叶えてやるぜ」


DEVILデヴィル……。それはおまえのことだったのか。おれの目はつくづく節穴だな。おれは母さんと一緒に生活したい。冗談を言い合ったり、勉強を教えてもらったり、一緒に夕食を食べたい。どうすれば叶う?」


「簡単だ。駿からお母さんを疑うという気持ちを無くせればいい。ある意味ではそれが代償か」


「は。じゃあ、それで頼む」


「フフフ、なんとまあ。小さな世界を破壊したかと思いきや、駿は再び愚者に囚われにいくのか。ボクが思うにそれは逃避ってやつだよ」


「いいんだ。それが一番幸せなんだ」


「良かろう。その願い聞き届けたり」



 おれは悪魔と契約した。


 母さんのヘッドギアを着けてスムージーを飲む。ランドセルを背負って小学校へ行くのだ。おれを見送ってくれる母さんの笑顔を見るのは久しぶりだった。


 世界は劇的だ。ほんの小さな傷で。退屈な世界は壊れた。それもすべてDEVILデヴィルのおかげだ。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 永世さんは悪魔だったんだね。駿くんしか観測出来ない存在。ヘッドギアに効果はあるの。


 髪で護るのは不十分です。けれど、アルミホイルのヘッドギアではなくても、ヘルメットや帽子で充分ですからね。それでもずっと着用し続けるのは困難です。やがて、悪魔が来たでしょう。


 ばあやの話を聞くようになって、ぼくも科学が絶対的だとは思わなくなってきたな。


 啓蒙の成果はあったようでございますね。


 啓蒙っていうのは本来ならば、科学で世界の未知を開拓していくような知識を与えること。一方的な押し付けだよね。駿くんのお母さんも自分の価値観を人に押し付けてた。


 ええ。いつの時代も変わりません。


 そう言えば、永世は令和も半ばと言っていたけど、もしかして、この妖し怪し語りには未来のことも含まれているの?


 怪異というものは不連続で可逆的な存在ですからね。こういうこともあるでしょう。


 ……眠くなってきた。おやすみ。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

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