タジマミヤコの場合
この群れはいずれ共に死ぬのだ。太陽に焦がれたように顔を背け、茶色く枯れていく。わたしが見ていたのは全盛の姿なのに、向日葵たちは同時に衰退の気配を纏っていた。
そのときからだろうか。わたしの視界の隅に女が立つようになったのは。女は何もしなかった。泥に囚われたような恨みがましい目で見つめてくること以外は。何も話さなかったが、時折、赤ちゃんの泣き声が聞こえてくることがあった。
向日葵の女はわたし以外の人には見えないし、存在を感じ取ることも出来ない。けれど、わたしにとっては怖い存在だった。何の目的があって、ここにいるのだろう。この女のせいでいずれ破滅する未来にあるのだとしたら、どうすればいいのか。
あの向日葵たちのように果てたくはなかった。
高校時代も大学時代もわたしは何かに情熱を注ぐことはなかった。誰に対しても深入りせず、成績は真ん中をキープして、友人も恋人も作らず。太陽を避けて夜を歩いた。
そうして中年と呼ばれる世代に入ったとき、初めて女が笑った。企みが成功したようにケタケタと。そこで初めて、これまでのわたしが歩んできた道のりは、あの日見た向日葵の群れの死の幻影だと気付いた。
太陽を見ることなく生きてきた。けれど、そんなことをせずとも人は枯れるのだ。向日葵の女が何かをしたわけではない。わたしは勝手に怯えて怯んで自滅した。選択を間違え続けた。
あぁ、どうせなら誰かと枯れ果てたかった。でも、わたしにはこいつがいるじゃないか。そう安堵した。けれど、それに気付いたわたしの前に向日葵の女は二度と現れなかった。
ハリマシュウの場合
ぼくはねぇ、自分で言うのもなんだけど、昔はけっこうな悪だったのさ。あ、犯罪ではないよ。女さ。顔が良かったからかなあ。何の苦労もすることなく、次々と彼女が出来た。12股してたときもあったっけ。不思議なことに自分の彼氏が浮気しているって知っても、彼女たちはぼくの足に縋り付いたもんさ。
そうじゃなくなったのは30代後半のときかな。彼女たちがぼくと共に行動することを避け始めた。何故か問い詰めても怯えるような目で誤魔化し続ける。だけど、向こうも根負けしてね。みんなが同じことを言うんだ。
「向日葵の女が見てくる」
ひとりだけなら、問題にしなかったさ。けれど、当時付き合ってた全員がそう言うんだ。口裏合わせていた可能性もあるけど、ぼくには見えないんだ。いったい、何のメリットがあるというんだ。イライラしたよ。ぼくは何も悪いことはしていないのに。
やがて、ひとりまたひとりと去っていき、ぼくの周りには誰も近付かなくなった。女も、男でさえも。みな言うんだ。「向日葵の女が見てくる」って。人間関係がグチャグチャになったよ。当然、仕事も上手くいかなくなる。上司も部下も同僚も取引先も向日葵の女を幻視するんだからね。
でも、あるとき思ったんだ。「向日葵の女」って何だろうって。「女」なら分かるよ。いくらでも泣かせてきたし。でも、向日葵の方に心当たりは無かった。ひどく怯えている友人……こいつは男だよ……に絵を描いてもらった。
それは向日葵だった。ぼくよりやや身長が高い向日葵が佇んでいた。……これの何が怖いかさっぱり分からない。だいたい、「女」ではない。人間ですらない。馬鹿馬鹿しいと思った。そう思ったはずなのに、ぼくの胸の中を満たしたのは柔らかな懐かしさと強い罪悪感だった。
ぼくはこの向日葵を知っている。
もう、ぼくは無職同然だったからね。いくらでも暇はあった。自分の過去を振り返り振り返り振り返り。気付いた。この「向日葵の女」をぼくは知っている。小学生のとき、一時期住んでいた町があった。泥臭い川が流れている狭い町。
数十年ぶりに訪れた
鬱蒼と生い茂った森の中に向日葵畑があった。と言っても、そのときは枯れていて荒れ果てた花壇だけがあっただけだったよ。近くに数十年放置されていた小屋みたいな施設がある。埃が被って蜘蛛の巣だらけのその場所に。彼女はいた。ぼくの初恋の女の子だった。
虐待されているという家から出てきて、その小屋で暮らしていた少女。「ヨリコ」。どこか幻想的にも見えた向日葵畑でぼくは彼女と結婚の約束をしたんだ。でも、ぼくは転校することになった。別れの日、喧嘩になった。
「どうして置いていくの」
「赤ちゃんが」
「どうして」
どうして忘れていたんだろう。
その小屋の扉を開けた。記憶よりも中は片付いていた。でも、満足に呼吸出来ないほど埃が降り積もっていて、この町に降る雪はすごく軽かったことも思い出した。すべて「ヨリコ」との記憶だ。でも、そのときには分かっていた。
小屋には地下室がある。花の苗やら種やらが保管されているのだ。数十年、誰も開けていなかったその場所に足を踏み入れる。奥に彼女はいた。汚くて泥まみれの少女の死体が。傍らには植木鉢が転がっていた。
ぼくが彼女を殺した。
忘れていいはずなんて無かった。すぐにバレると思っていた。それなのに、いくらニュースを見ても家出中の彼女の遺体が発見されたという知らせは無く。記憶の奥底に仕舞われ、ずっと埃を被っていたのだ。
「ごめんね。ヨリコ。もう二度と離さない。結婚しよう。ぼくはここでキミと暮らそう」
あぁ。それからは一途なものさ。「向日葵の女」は姿を見せなくなった。仕事も上手くいくようになって、ぼくも父親になった。見ていくかい? 娘はヨリコによく似ていて向日葵の似合うかわいい女の子になったんだよ。
サタナカヒロミの場合
懐かしいですねぇ。あのときは私もひどく怖かった。子供たちを導いていかないといけない先生が何を
幼稚園から近くの向日葵畑に行って、子供たちに絵を描かせました。もちろん、向日葵だけてはなく、空を描こうとする子、友達と一緒に遊んでいる絵を描く子、みんな自由でした。
けれど。
出来上がった絵には「向日葵の女」が描かれていました。私も同僚もこんな人は見かけなかった。でも、子供たちは自然に会話に出しました。
「向日葵の女の子、かわいいね」「向日葵の女の人、赤ちゃんを抱いてた」「向日葵の女の人、空を飛んでたよ」「向日葵の女の人、一生懸命になって花壇でお花植えてた」「向日葵の女の人、回ってた」「向日葵のおばさん、楽しそうだった」「向日葵のおばさん、今日のごはんはポテトサラダだって」「向日葵のおばあさん、笑ってた」「でも、向日葵のおばあさん、死んじゃったね」
けらけら笑うんです。そこに滞在したのは1時間ほどです。それなのに「向日葵の女」は成長し、老化し、死亡した。誰もが平然としていた。あの畑、まだあるんですかねぇ。噂では頭のおかしいおじいさんがひとりで整備しているって聞きましたけど。
……ひとり、あぁ、いや。不気味なんで私は行きませんが、そのおじいさんの横には恨みがましい目をした中年女性が佇んでいるそうです。彼女の足元は泥で汚れていて、ときどき赤ちゃんの声が聞こえるそうですよ。
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どうでしたか、ぼっちゃま。
うーん。なんだか時系列が矛盾しているような。ハリマさんは妊娠したヨリコさんを殺してしまったんだよね。そのとき、ヨリコさんは少女だった。でも、タジマさんの前に現れ続けた「向日葵の女」はずっと中年女性で、サタナカさんが噂で聞いたハリマさんらしき男の人の横にいたのも中年女性なんだよね?
怨念に時間など関係ありません。彼らは不連続かつ可逆的な存在なのですよ。いつもなら、ぼっちゃまはこう仰るでしょう。その「ヨリコ」は偽物ではないのか?と。
……成長したんだよ、ぼくも。でも、難しいなあ。本物のヨリコさんは絶対にハリマさんを恨んだはずだよ。ハリマさんの幸せを邪魔してやろうっていう執念があったはずだよ。でも、幼稚園の子供たちは彼女を楽しそうだって言ってたんだよね。どうして?
憎く思うことと愛らしく思うこと、それは相反する感情ではないのです。「向日葵の女」は怨霊です。けれど、怨霊とて浄化されれば幸せになる。彼女は幸福の中にいたのです。愛しき男を恨みながら、憎んでいる男を愛し続けて、向日葵畑という閉じた匣の中で永遠を過ごしているのでしょう。
だとすると、タジマさんの話が浮いているような。
ふふふ、ぼっちゃまには意地悪をしました。この中で最も時系列が新しいのはタジマさんの話なのです。ハリマさんが死したあと。その花壇で綺麗に咲いた向日葵畑を見たのはタジマさんが最後の人間でした。彼女の何かが、ヨリコさんを引き寄せてしまった。
じゃあ、ヨリコさんはいま、ハリマさんとも花壇とも引き離されて。悲しいのかな。
さて。怨念に人間らしい感情を期待するのは酷ですが、きっと訳のわからぬまま、今でも周囲を呪い続けているのでしょう。
だとしたら酷だよ。
ぼっちゃまはお優しい。もし、ぼっちゃまが。いや、これは言うべきではないですね。
なあに? でも、いいや。おやすみ、ばあや。
おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。