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第15話 うそつき橋

 “うそつき橋”。この町と隣の市の境界にある場所だ。おまじないを教えてくれたおねーさんの言葉を信じるなら、ここで間違いない。



 深呼吸。



 わたしは3組の嵯峨さがくんのことが好きだ。だけど、告白する勇気なんて無い。家も知らないし、電話番号も知らないし、RUINルーインだって繋がっていない(クラスが違うからだ)。一番簡単なのはラブレターを下駄箱に入れておく、というものだが、どうにも古くさい手だ。イタズラだと思われてもおかしくない。



 わたしの気持ちが彼に届くことはない。嵯峨くんの方から声をかけてきてくれたら、良いのになあ。でも、それを解決する手段があるかもしれない。それが“うそつき橋”だ。



 30メートルくらいの小さくて古い橋だが、おねーさんによると、自分の願望を声に出し続けて橋を渡り切れば、それが嘘になる、らしい。つまり、嵯峨くんがわたしに声をかけてきてくれ“ない”と言えば、次の日、嵯峨くんが声をかけてくれる。



 再度、深呼吸。



 ダメでもともと。叶わなくても仕方ない。おねーさんは良い人だけど、小学生のわたしからすれば、その話が真実なのか嘘なのかは判断がつかない。行こう。この辺りは人がいないので夕方になるとちょっと怖い。



「嵯峨くんがわたしに声をかけてきてくれ“ない”。嵯峨くんがわたしに声をかけてきてくれ“ない”。嵯峨くんがわたしに声をかけてきてくれ“ない”。嵯峨くんがわたしに声をかけてきてくれ“ない”。嵯峨くんがわた……」



 もう渡り切ってしまった。こんなものか。何か特別な予感みたいなのがあるかもしれないと思ったけど。まぁ、いいや。とりあえず、結果を待とう。帰るときは無言、それを守らなくちゃいけないって言われた。



「鞠ちゃん。きみのランドセルに付いてるキーホルダー、かわいいね。どこで買ったの?」



 嵯峨くんに話しかけられた! あわあわと理由を答えた。あのおまじない、効果があったんだ! でも、その1回だけで1日が終わってしまった。だけど、“うそつき橋”は凄い。本物だ。そうだと分かったら、条件を考えよう。



 永久にわたしを愛してくれない……。でも、この先、嵯峨くんよりカッコいい人が現れるかもしれない。中学校入学まで、わたしと付き合ってくれない……。中学校で振られた女って噂されるのは嫌だなあ。どうしよう。キスしてくれない……。良いのかなあ、おまじないでファーストキスを失うのはちょっと複雑だ。



 嵯峨くんがわたしと仲良くしてくれない……。これで行こう。まずは友達になるところから始めないと。着実に成果を出していけばいいのだ。もしかしたら、付き合う云々はおまじないが無くても、向こうから言い出してくれるかもしれない。



 おまじないは上手くいった。嵯峨くんは仲良くしてくれたし、周りの女子たちが牽制をかけて来たり、男子たちがからかってきたときはまた、“うそつき橋”で願えば、みんな、わたしの理解者となった。本当は嵯峨くんに対してお願いがしたいのに。1日分、損をしてしまう。彼らが“生きればいいのに”とか言わないわたしは何て性格が良いんだろう。



 さて。そんな日々が2ヶ月。嵯峨くんは一向に告白してくれない。意気地なしだ。こんなにかわいい女の子と仲良くしているというのに。でも、シャイな男子を陰ながら支えるというのも悪くないかもしれない。そう思って、意気揚々と学校へ出発しようと思ったら、家に連絡があった。なんでもインフルエンザがうちのクラスで流行っていて、1週間学級閉鎖になるらしい。



 いつもだったら嬉しいはずなのに。間が悪いなあ。嵯峨くんは隣のクラスだから、学級閉鎖にはなっていないだろうけど、インフルエンザにかかっているかもしれない子が会いに来るというのも変な話だ。



 いまは大人しくしていよう。



 そして、登校の日がやってきた。今日はもうおまじないが切れているから、話しかけには来てくれないだろうけど、放課後に“うそつき橋”でお願いすれば、また天国みたいな学校生活が待っている。



 と思っていたのは昼休みまでだった。噂好きの影宮さんが「ここだけの話だよ」と喋りかけて来た。聞く態度は取ってあげる。この子はブサイクだけど、そういう子と仲良くしてあげるのも優しさというものだ。



「嵯峨くん、緑川さんと付き合っているんだって! 熱烈なカップルらしいよ!」


「え」


「いつからかは分かんないけど、うちのクラスが学級閉鎖してる間に、ふたりが階段の陰でチューしているのを見た人がいるんだって!」



 そんな。そんな。そんな。わたしが学校に来れない間にそんなことが。いや、大丈夫だ。まだ巻き返せる。嵯峨くんはわたしのモノだ。緑川さんは確かに腹が立つほど、かわいい。わたしのモノを盗った彼女には後で制裁が必要だが、今はそんなことをしている場合ではない。



 1週間ぶりの“うそつき橋”だ。



「嵯峨くんがわたしを好きになり“ません”ように。嵯峨くんがわたしを好きになり“ません”ように。嵯峨くんがわたしを好きになり“ません”ように。嵯峨く……」



 もう渡り切ってしまった。足りない。この程度じゃ、足りない。嵯峨くんは既に行動を起こしているのだ。ふたりがチューしていたのを影宮さんは知っている。ということは、もう学内中に広まっているかも。略奪愛だ、なんて噂されるのは避けたい。



 周りへの工作も必要だ。先生にも、お母さんにも、嵯峨くんとわたしが付き合っていても許してもらえる土壌が必要だ。ちょっと寒いけど、夕方になるまでお願いをし続けよう。



 次の日。身も凍るような寒さで目が覚めた。少し眠い。でも、今日からまた楽園が待っている。わたしの王国が。……ん。時計を見る。もう一度見る。11時!? なんで。急いで飛び起きて、わたしは着替えをする。慌てて階段を降りると昼間からテーブルでダラけているお母さんがいた。なにこの匂い? お酒?



「お母さん? なんでお酒飲んでるの? なんで、起こしてくれなかったの?」


「はぁ? 好きでもないやつの為に私がなんでそんなことしないといけないわけ?」


「え」


「学校行けよ。遅刻だけど、どうでもいいでしょ。成績なんてどうせ大したことないんだし、何も変わらないわよ。あんたは父親に似て、顔もブサイクだもんね。はは、将来真っ暗ね」



 何も考えられず、家を飛び出した。教室に着き、おそるおそる扉を開けた。鋭く冷たい目線が注がれる。先生もなんだか気持ち悪いものを見るような厳しい目をしている。



「廊下に立ってろ」


「は、はい」



 こんなこと初めてだ。先生はたとえ、遅刻したとしても授業中にふざけていたとしても。こんな罰を誰かに課しているのを見たことが無い。おまじないが効いていない、どころか逆効果になっている。そんな気がした。



 あ。



 おねーさんの忠告。帰りは無言でいなければならない。そのルールをいま、私は思い出していた。でも、そんなことくらいで? お母さんが昼間にお酒を飲んでいるなんて見たこと無い。仕事も休んだってこと?



 廊下に立ち続けて、その罰から解放されたのは授業が終わったあとだった。寒い。寒い。冬の寒さだけではなく、体の奥深くから生じる冷たさがわたしを襲っていた。



 ガヤガヤとみんなが騒いでいる。やっと、暖かい教室に入れる、そう思ったのに。男子がわたしを突き飛ばした。そして、ニヤニヤ笑っている。誰も止めてくれない。先生ですらも。



「おまえはずっと立っとけよ。教室入んな。ええと、名前、なんだっけ。どうでもいいけど」


「や、やめてよ。私は鞠だよ」


「うるせーよ! 口開くな!」



 隣の教室の扉が開く。あ、嵯峨くんだ。優しい嵯峨くんなら、私を邪険にしないよね? そうだよね? 彼の体にすがり付く。



「助けて、嵯峨くん……」


「は? 誰だよおまえ。触んな、ブス!」



 彼のそんな目は初めて見た。周りで見ていた子たちがわたしを蹴る。蹴る。蹴る。髪の毛を引っ張られ、ランドセルを窓から放り投げられ、殴られた。どれだけ叫んでも止めてくれない。わたしを救ったのは授業開始を知らせるチャイムだった。……異常だ。



 許せない。みんな死ねばいいのに。そうだ、“うそつき橋”へ行こう。……寒い。もしかしたら、骨が折れているかもしれない。でも、不思議と痛さは感じなかった。すれ違う人たちはみんな私を見て怖い顔をした。こんなやつらのことなんてお願いしていないのに。どうでもいい。どうでもいい。みんな死ねば同じだ。



「この町のみんなが“生き”ますように。この町のみんなが“生き”ますように。この町のみんなが“生き”ますように。この町のみんなが“生き”ますように。この町のみんなが“生き”ますように。この町のみんなが“生き”ますように。この町のみんなが“生き”ますように。この町のみん……あれ。なんで」



 橋が終わらない。30メートルしかなかったはずだ。でも、先は遥か遠く、何も見えない。果てが無い。振り返る。同じだ。どういうこと? 戻れない? 寒い。……寒い。冬だけど、今日は寒すぎる。



「え? か、体が……!?」



 手のひらが透けていた。橋が見える。何が起きているのか分からない。ここから出ないとまずい。橋から飛び降りる。それしかない。ここの川は大した流れなんて無い。深さも無いから、とても痛いだろうけど。死ぬよりマシだ。欄干らんかんから飛び出し、わたしは川に落ちた。



「ガッ。がぽがぼ、つ、冷た、……あばが」



 何で? 足なんて着くはずだ。それなのに無限に沈んでゆく。手を掻いても足を漕いでも沈む。泥のような何かがわたしの足を掴んだ。



 黒い水の中で何かが蠢いている。わたしはそれを見て、叫んだ。泥に塗れたおぞましい顔の骸骨たちがわたしの口の中に泥を入れる。強烈な不快感と芯から凍る冷たさが体を締め上げて、声ならぬ叫びもやがて消えていった。どこまでも。どこまでも。わたしは落ちていく。



 あぁ。おまじないになんて頼らなければ良かった。その後悔は呪いに似ていた。


♦︎♦︎♦︎


 どうでしたか、ぼっちゃま。


 最後は何が起きたの? たぶん、このおまじないは1日に一度だけで、橋を渡ったときのお願いしか叶わないんだよね。で、元いたところに戻るための二度目は無言を貫かなくちゃいけない。


 そうですね。おまじないと言えばかわいらしい響きですが、それは呪いと同義でございます。呪いのルールは絶対に守らなければならない。“うそつき橋”の場合、これまでの願い・これ以降の願いがすべて嘘になります。それが分かっていれば、対処のしようはあったのですが。


 そのせいでみんなに嫌われちゃったんだね。これ以降……ということはもう“うそつき橋”で事態を挽回するのは難しかったわけだ。


 ええ。さらに人を呪わば穴二つという言葉通り、時間をかけてではありますが、その者の存在自体が嘘になります。そのあとの魂は死よりも重い、永遠の地獄に囚われることになる。


 やけに寒がっていたのはそういうこと?


 はい。そのまま肉体が消えるのを待っていれば、苦痛はそれだけで済んだでしょうが、よりにもよって三途の川に落ちたのでは。


 三途の川なの?


 橋というものは本来、境界を超えるモノでございます。境界とは現世と冥途の間を指す。ほとんどの橋はただの橋ですが、亡者の呪いが蔓延した“うそつき橋”はそうではないのです。


 怖いな。


 大丈夫ですよ。この辺りにそんなモノはありません。あっても、ばあやがすべて片付けてご覧にいれます。お任せくださいまし。


 ダメだよ。ばあやがそんな危険なことはしなくていい。ぼくはおまじないなんて、絶対やらないから、この子と同じてつは踏まない。


 もちろんでございます。


 ふふ。おやすみ。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。

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