天然の石を積むアートを京都の鴨川でしている人がいるそうだ。これらもそれを真似した作品? 子供が遊んだだけか?
俺の家の前には枯れた川がある。台風が来たときぐらいしか、水は流れていない。こんなところで遊ぶ子供なんて久しく見ていないが。石が積まれている。というのは正確ではないか。
細かい石、ちょっと大きな石、丸い石、角ばった石。泥、土、砂。それらを固めて30センチくらいの塔になっている。
俺は頂点の石を恐る恐る触った。磨かれたようにツルツルしていて濡れている。この辺りに転がっている石はそもそも川が流れていないのもあって、乾いているはずだ。わざわざ、材料の石を持って来て、何で俺の家の前で組む必要があるのだ? 悪戯か?
会社に行く時間だ。あれこれ考えるのは帰って来てからでいいだろう。
帰宅すると、なんと石塔が増えていた。ひとつ作るだけでもかなりの労力が必要なはず。よほどの暇人なのか。というか、俺に向けて作っているのか? そうでもないと不自然だ。嫌がらせにしては手が込んでいるが。
ネットで少し調べた。ロックバランシングという名前もついているみたいだ。でも、俺の家の前でやる必要は全く無い。隣の家までの距離はかなり空いているが、枯れた川自体はずっと続いており、300メートルくらい南下すれば水も流れている。たまたま俺の家を目印にしただけ? 偶然か? だったら、良いんだが。
「うおっ」
朝。何となく予感はしていたが、扉を開けると石塔はひとつ増えていた。なんだか、存在感があって非常に不気味だった。気のせいだろうが、一瞬、坊主頭の子供が睨んでいるように見えた。こんな子供騙しに引っかかった気分になり、俺は石塔を破壊した。元々、危ういバランスで組み上がっていたものだ。壊すのは簡単だ。
「驚かせやがって……」
だが、それは道端の雪だるまを蹴倒すようで。気分が悪くなった。俺はこういう大人が嫌いだったはずなのに。この石塔を作ったやつが誰であれ、申し訳なく思った。俺の家の前で作る理由は問い質してやりたいが、別に壊さなくても良かったな。
会社へ急ぐ。駅前にある新聞社だが、駐車場が限られているので、歩かなくてはならない。川が形を成し、泥の匂いがするようになって10分。昔は田舎だから好きじゃなかった町だが、駅が出来てずいぶんと発展した。都会とは言えないが、郊外くらいにはなっただろう。
残業で帰るのが遅くなってしまった。家の前に……いや、正確に言うなら、石塔の前に誰かがいた。うずくまっている。こいつが悪戯の犯人か? 叱りつけたい気持ちを抑え、とりあえず声を掛けようとして。
子供だ。今朝の光景は俺の目の錯覚だったはずだ。だって、一瞬で消えた。なのに、それは坊主頭の男の子だった。彼はこちらに気付くと恨みがましい顔で俺を睨んできた。
「なんで」
「あ?」
「なんで。なんで。なんで、壊したのおおお!」
ビクッとした。目の前にいるのは子供だ。それなのに、地面が震えるような低い声だった。想像していたような声じゃなかった。だが、朝に抱いた後ろ暗い感傷など吹き飛んでいた。怒りたいのはこっちの方だってのに。
「二度とすんなよ、ガキ。次も壊すぞ。懲りたら、別の場所で作れ。そうすりゃ怒らん」
子供は暗い目をしてふらふらと歩き出す。ずいぶんと血色の悪い子供だ。こいつの親はどういう教育してやがる。もう11時だぞ? 連絡先を聞いて……と思ったが、いない。この一瞬でどこへ行った? 背筋が震える。なんなんだよ。そう言えば、あいつの顔、どこかで見たような気がする。気味が悪くなって、その日は早々に寝た。
「やっぱりか」
石塔がひとつだけ復活している。だが、予想と違ったこともある。石の色が赤い。真っ赤な塗料をひっくり返したみたいだ。気持ち悪い。少し迷ったが、俺はそれを蹴って倒した。あの子供に「次も壊す」と言ったのだから、そうでないと示しがつかない。それでも、もやもやした感情を抱きつつ。
「
「なんだそりゃ」
弁当を食べつつ、この数日の出来事を後輩に話した。そう大きくもない文化部の部屋にはこの地味な女とふたりきりで。だが、そこらの美女と一緒にいるより、よほど好きな空間だ。
「人が死んだら冥途に行きます。その旅路の中、三途の川の前で子供が石を積むのです。
「ひでぇ話だな」
「ひどいのはここからですよ。子供たちは石を積みます。しかし、それは絶対に完成しません。途中で獄卒が石塔を破壊するからです」
「なっ!?」
それは。俺がやったことじゃないか。
「子供が石を積み続ける。獄卒が壊し続ける。この光景はずっと繰り返されるのです。やがて、子供の手からは血が出て、石は赤く染まる」
その鮮烈な赤さを思い出す。やはり、石塔を壊すのはダメだったのだ。知らなかったとは言え、俺はなんてひどいことをしてしまったのか。しかし、そうなるとあの子供は……。
「幽霊だったのか」
「それが合理的な解釈です」
「非科学的ではあるけどな。じゃあ、あの石塔を子供が建て尽くしたら、成仏出来るのか。仕方ねえな。それくらい我慢してやるか。ありがとよ、
「いいえ、知っていることを話しただけですから。だけど、気になりますね。暁月先輩、近くに人が住んでる家は無いんですよね?」
「無い。それなりに人口は増え続けているはずなんだが、俺の家の辺りはずいぶんと寂しい野っ原が広がってる。まぁ、大雨が降ったらすぐ冠水しちまうような場所だから、仕方ないが」
「引っ越しを勧めますよ。先輩が危険です」
「余裕があったらな。にしても、目の前の川が三途の川だったとは思いもしなかったぜ」
「……川。……先輩の家の向かいには何がありますか? そこも野原なのですか?」
「あ? 川を挟んで家があるぜ。一人暮らしの爺さんが住んでるよ。つっても、それなりに距離がある。そういや、俺がガキだった頃からあの爺さんは爺さんだったな。幾つなのかね」
その爺さんに子供や孫がいるという話は聞いたことが無い。俺の親父とお袋はもう腰が曲がってるってのに、その爺さんはかなり元気だ。歩いて20分ほどのコンビニに毎日のように出かけている。夜にコンビニへ行くとまあまあの確率で見かける。
ポテトチップスだのコーラだの唐揚げだのを買っていた。若者みたいな味覚をしているんだなと感心した覚えがある。俺もああいう感じで老けたいもんだ。
元気の秘訣を親父が聞いて、家の中に遠い先祖が作ったっていう社に毎日手を合わせているって言ってたな。新しいモノ好きの若者なのか信心深い爺さんなのか、よく分からんな。
そんな感想以下の言葉を漏らすと、刳木は目を細めた。彼女が机の上にあるスマートフォンで何かを調べ始めた。さすが、令和。便利になったもんだ。この新聞社が落ちぶれていくのも当然の運びなんだろうな。いまどき紙の記事なんて誰も読みやしない。ぼんやりしていると、刳木はスマートフォンの画面を俺に見せて来た。そこには。信じられない顔が映っていた。
「子供っていうのは彼ですか?」
「なんで、そんな写真が……。あ、いや、これ。やっぱり見た覚えがある。どこでだ?」
「これは行方不明になった子供のポスターですよ。きっと、先輩の住んでる辺りにはたくさん貼ってあるんじゃないですか?」
「それだ! ……なんでその子供の幽霊が俺の家の前にいるんだ? もう死んでるってことか。あ、いや、違う。誰かに殺された? 川に死体を捨てられ、化けて出て来た?」
「そのお爺さんが殺したとか」
「有り得る、か」
その画像を見た。
「先輩。このあと、ヒマですか? 良かったら、私もその石塔を見てみたいです」
ただの好奇心の発露だけではないと感じた。記者としての使命感と正義感。刳木の目からはそれを感じた。俺は頷く。非現実的な話が元になっている。警察に通報してもこっちが悪戯だと思われるかもしれない。一緒に動いてくれるやつは必要だった。
「あれだ。ふたつに復活してやがる」
直った上に赤い石塔が増えていた。刳木が観察している間に俺は川の向こうを見る。既に日が暮れつつある。いかにも爺さんの一人暮らしっぽい家だ。歴史のある民家という感じ。
「……ふむ。これは血の色って感じじゃないですね。あまりにも瑞々とし過ぎている。それに臭いです。どう考えてもペンキの匂いです」
「あ? いや、確かにそうか」
俺がこの石塔を腰を据えて観察するのは初めてだ。夜だったり、急がなくちゃならない朝だったり。現実的な解釈を当てはめるのは間違いかもしれない。だけど、刳木に賽の河原の話を聞いて、俺はそこで初めてこの赤さを血液とイメージ付けた。……なら、これは何だ?
「暁月先輩、実際に子供が石を積んでいるのを見たことがありますか?」
「無い。気付いたら完成してる」
「だとしたら、おかしいですね。賽の河原の獄卒は子供が石塔を作っている途中に破壊するものなのですよ。獄卒の役割が先輩なのだとしたら、やはり先輩が帰って来たときに子供は常にセットでいるべきだ」
「……幽霊にルールはあんのか?」
「怪異ほどルールに縛られている存在は他にありませんよ。彼らには遊びが無い」
「おまえ、ずいぶんと色々知ってるんだな。こういう事態、もっと経験があるわけ?」
「いえ。すべて、近所の神社の前にいつもいたお姉さんの受け売りですよ」
「何者だよそいつ」
「さあ。不思議な人でした。怪異というか、オカルトに寄った知識も多く教わりました。そう言えば。先輩の話では最初に見たとき、石は濡れていたそうですね。でも、今は濡れてない」
「そうだったな」
「次の日の朝、石は濡れてましたか?」
「……乾いてた。一瞬、坊主頭の子供の幻みたいなもんが見えて、それを錯覚だと思ったのは石が灰色だったからだ。何か分かったのか?」
「申し訳ありません、暁月先輩。これは賽の河原ではなかったようです。とりあえず、石塔は壊しておきましょう」
「は? あ。おい!」
止める暇もなく刳木は石塔を無慈悲に破壊していた。
「賽の河原じゃないなら、何なんだよ?」
「これは“哲学者の石”を精製する為の儀式ですね。そのための見立て、でしょうか」
「俺が分かるように言ってくれねえか?」
「賢者の石というのを知っていますか」
「あぁ、そりゃ漫画とか小説で知ってるよ。不老不死になるための石だろ。昔のヨーロッパじゃ、これを作ろうって躍起になったが、結局、無理だった。伝説上の……物質ってやつか」
「ええ。そうです、それです。賢者の石はこの世のどこにもありません。ですが、“哲学者の石”はあります。石ころを黄金には出来ない。使った人を不老不死にも出来ない、そんな不完全な物質が。いわば賢者の石の偽物です。でも、作り方は賢者の石に似ている。まず、プリママテリアを
「分かるように言えって言ったよな? 前半は分かったよ。賢者の石の偽物な。プリママテリアってのは何だよ? その後の手順も意味不明だ。神に告げるってのもどういう意味だ」
「プリママテリアは宇宙を構成する要素です。現代では完全なオカルトですが、これは実在します。言い換えるのならば、死者の魂だ」
「……死者の魂が宇宙を作ってるってのか? さすがに理解し難いぞ」
「現代ではダークマターと呼ばれていますが、怪異に詳しい者の中では当然の知識です。今はその認識のままで良いでしょう。魂には形が無い。だから、魂を入れるための器を作らねばなりません。作る為の手順は黒くする、白くする、赤くする、です。かなり噛み砕いた表現ですが。その赤き石塔を子供は3つ作られねばならなかった。“哲学者の石”の完成はもうすぐです。あとは神秘の力を借りる為ですね」
「神秘の力……あ、爺さんの家の中には社があるって、言ってた」
「わざわざ暁月先輩の家の前に石塔を積んだのはそこが神様が通る道だったからです。神を呼び、石塔が3つ完成していたら、“哲学者の石”を作れる」
「濡れた石で黒、乾いた石で白、赤いペンキで塗って赤ってわけか。“哲学者の石”ていうのはどれくらいの効果があるんだ?」
「不老は難しくない。不死は不可能です」
元気な爺さんを思い出した。普通に考えたら90は超えてる。なのにあんなに元気なのはおかしい。その謎の鍵が“哲学者の石”ってことか。例えば老化が60で止まっていたりするのかもしれない。
「ですが、お爺さんの肉体はもう死んでいます。その為に貴橋くんを誘拐したのでしょう。“哲学者の石”は対象に精神を移植することが可能なのです。これを繰り返せば、不老不死です」
「理屈は正直分からん。でも、そのガキ、ずいぶんと顔色悪そうだったぞ」
「ええ。マトモな暮らしは誘拐先では送っていないでしょうから、病気にでもなったのかも。お爺さんはその儀式を完成させれば、“哲学者の石”のおかげでまたしばらく生きられる」
「胸糞悪い話だぜ」
「それだけじゃないですよ。乗り移るには器が必要でしょう。それもまた、暁月先輩の家の前に作っていた理由のひとつです」
「まさか、俺を? 俺は50代のおっさんだぞ。あちこち痛めて、歩くのもつらい」
「でも、死ぬよりはマシでしょう?」
「けっ、気持ち悪い爺さんだな。カチコミに行くか?」
「行きましょう。中身は爺さんですが、行方不明の子供がいるかもしれません」
インターフォンを鳴らす。反応無し。当たり前か。俺は扉をこじ開けて中に進む。ゴミ袋と腐った匂いのする屍がソファーに腰掛けていた。テレビの前に子供がいる。貴橋良也。彼が恨めしいと言わんばかりの顔をする。
「なんで壊したのおおおおおおおお!!」
子供の喉から出て来るような声ではない。あの爺さんのモノと同じ。
「良い加減死んどけよ、爺さん」
「嫌だ。嫌だ。嫌だ」
「往生際が悪いですね」
「あ。あ。連れて行かれる」
ガタンと音が鳴る。社が地面に落ちて来ていた。社の中から真っ黒い布を被ったような生き物が出て来た。予想外の事態に困惑していると、その生き物は子供にふぅぅっと息を吹きかけた。
すると。子供の目には光が宿った。途端にソファーに腰掛けていた死体が崩れていく。
行方不明の子供を発見したと警察に通報し、いろいろと取り調べを受けたが、子供の悲鳴で気がついたと嘘をついた。誰が信じてくれるというのだ。
「先輩、奢りです」
「ありがとよ」
「てか、ブラックコーヒーは苦手なんだが」
「ありゃ、そうでしたか」
「今回は助かったよ、おまえのおかげだ」
「楽しかったです。次の機会が楽しみです」
「二度とあってたまるかよ!」
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どうでしたか、ぼっちゃま。
賢者の石って本当に無いんだ。残念。
ええ。“哲学者の石”にもロマンはありませんからね。邪法の類です。他者の肉体と精神を奪い、我が物とする……。けれど、その発動には多大な労力が必要です。その過程に効果が見合っているかどうか、疑問です。
偽物だもんね、しょうがないね。
ですね。
ぼく、早く大人になりたいな。大人になって、暁月さんたちのように誰かを助けたい。
立派な心掛けでございます。
おやすみ、ばあや。
おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。