オレは友達の個展に来ていた。高校時代はとても仲が良かったが、彼は美術系の大学へ行っていったんの親交は途絶えた。けれど、友達はマメな性格で毎年のように年賀状をくれた。
最近は
狭い町から巣立った芸術家として雁岸は大成しようとしている。雁岸からもらったチケットを手に、東京の某美術館に来ていた。
「よう、久しぶり」
「お、雁岸。いや、雁岸先生、か?」
「おいおい、さすがにそれは早いって。ようやくお偉方に認められたところだ。これからさ」
「だな。……にしても、痩せたな?」
「そりゃ、高校のときは部活帰りに毎日毎日カップ焼きそば食べてたからな。もう若くない。自然とその習慣が無くなって……痩せた。というか、おまえが太り過ぎなんじゃないか?」
「はははは……。最近はコンビニへ行くのすら車だからな。毎日十数キロの道のりを自転車で走ってた頃とは違って当然。懐かしいぜ」
「あぁ。俺も隅井と喋ってると高校のときを思い出すよ。同窓会とかにも参加してないし」
「いや、それは仕方ないだろ。だってさ、雁岸の友達と言ったらオレくらいしかいない」
「確かにな」
「個展が終わるのは5日後か。オレも1週間の有給を取って来たからさ。終わったら、オススメの居酒屋にでも連れて行ってくれよ」
「了解だ。とびきり美味い店を紹介してやる。さぁ、作品を見て行ってくれ。作者が横であれこれ言うのは興醒めだろうから、ひとりでな」
「楽しみだ」
雁岸
『未来』
壺から土色の手が幾本も伸びている。禍々しい死者の手だ。壺中の天地という言葉がある。壺の中には別世界があって、そこは毎日のようにたらふく酒が飲める桃源郷であり、転じて酒を飲んで現実を忘れることを指す。
あいつ、高校のときから隠れて酒を飲んでたよな。
『ガガクシ』
雅楽師の絵の上に大量の蛾の羽根を重ね合わせている。そこに生命の息吹きは無く、死したモノの魂を感じさせる。
よく蝶の羽根の色は綺麗で蛾の羽根は汚い色をしているって聞くけど、これを見るとそうではないのが分かる。忌まわしいものと勝手にイメージされている蛾の叫びが聞こえてくるような。夜の蝶だとネオン街のお姉さんみたいな感じだが、夜の蛾だと真っ暗な道にポツンとある自動販売機の光だ。
この作品のために何百もの蛾が殺されたんだな。あいつ、泥臭い道でよくザリガニ殺してたよな。興味本位で解体していた。血液の色が面白いって言ってたっけ。……あれ?
なんだこの違和感は。気のせいか?
『ともだち』
今度は絵だ。子供が描いたかのようなめちゃくちゃな配色でところどころに血痕みたいな痕がある。紫色の空、青色の地面、影のような黒い大人、灰色にくすんだ死者たちの群れ。それなのに調和があって、とても綺麗に見える。
あいつが芸大志望だって聞いて驚いた。だって、雁岸は色盲なんだ。でも、他のやつとは世界が違うからこそ、創れるものがあるってことなんだろうか。あのときは雁岸の選択が無謀に思えて、必死で止めたなぁ。
この狭い町から出て行くなんて。オレを置いて出て行くなんて。……奴隷のくせに。
おかしい。オレは雁岸獲人と本当に友達だったのだろうか? あいつと一緒に楽しく高校生活を過ごしたはずだ。記憶の中のあいつはいつだって笑ってた。
……違う。オレが強要していた。「笑え」って。ザリガニ殺してたあいつを気持ち悪いって何度も蹴った。コンビニで酒を万引きしてこいって命令した。警察の世話になっても放っておいた。
オレとあいつは友達なんかじゃなかった。なんで、忘れていた? たかだか30年じゃないか。……おかしいだろ。何故、オレはこんなところにいるんだよ。というか、雁岸は何のつもりでオレと
もう作品なんて見たくはなかった。オレは逃げ出すように引き返した。ホテルに帰って来て。ベッドの上に手紙が置いてあった。血で書いたみたいに赤黒い字だ。
『不幸の手紙』
返品不可。これまで、隅井にいただいたすべての不幸をお返し致します。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。いいや、違う。殺してやる。
もう1秒だってこんなところに居たくはなかった。チェックアウト中もなんだか誰かに見られている気がした。新幹線の中でオレは怯えていた。今なら分かる。オレにとって、あれは遊びの一環だった。暇潰しみたいなもんだ。
だけど、雁岸にとってはそうではない。やられた方はいつまでも覚えている。一生の傷だ。
ようやく地元に帰って来たとき、オレはひと息つくことが出来た。手紙は捨てて来てしまったが、あいつの行為は立派な脅迫。犯罪行為だ。自分の所業を棚に上げて、でも、そうでもしないとオレは正常な精神を保てない。
車に乗り込んだ。駅から家までは5分くらいの距離だ。もうすぐ着く。もうすぐ帰れる。
「ずいぶん安心し切ってるなぁ」
「……っ!?」
「よう、隅井。ひどいじゃないか。個展が終わったら飲みに行こうって、約束したのに」
恐怖のあまり、後ろを振り向けない。チラッとルームミラーを見る。土気色の顔をした痩せた男。有り得ない。こいつは東京にいるはずだ。でも、おかしくはない。いつ死んでもおかしくない顔色。……既に雁岸獲人という男は。
死んでいるのではないか。
「この日を楽しみにしていたんだ。隅井に恐怖を味合わせたかったんだ。本当はさ、奥に行くほど自信作だったんだよ。地獄の高校時代を思い出させる最高の作品群だったのになぁ」
「オレを殺す気か」
「怖いことを言うなよ。これはさ、あのときと同じ。ただの遊びさ。……笑えよ。隅井」
笑えない。
「最近、怖い思いしたんだって? パワハラしてた部下の笑顔のせいで漏らしちまったんだろ? オムツでもした方がいいんじゃないか」
「なんで知ってるんだ」
「おまえのことは何でも知っているさ。でも、安心したよ。
「……うるせぇ! 仕方ないだろ! お、おまえは気持ち悪ィんだよ! 芸大? 個展? 先生? んなわけないだろ! 雁岸獲人は道端でザリガニを何十匹も解体して、今でも蛾を何百匹も殺す。普通じゃねぇよ!!」
「……全部この日のためさ。見ろよ」
ルームミラーに鈍い輝きが見える。隅井はノコギリを持っていた。横には大きな鑿のみ、様々な錐、鋭いナイフ。そして、土色の手が伸びた。
「あ、あ……。未来っていうのは」
「そうだよ、おまえの未来さ」
「警察に、捕まるぞ」
「今更だな。高校のときに注意してほしかった。もはやどうでも良い。分かってるだろ? 俺は既に地獄へ足を踏み入れているのさ」
手が伸びる。雁岸の手だけではない。泥の匂いがした。車の中をたくさんの人の手が充満する。不快な感触が痛みに変わるのはすぐのことだった。
後悔しているかって? まさか。奴隷を虐げるのは楽しいからな。生まれ変わったら、また同じことをする。とは言え、きっとオレは永遠にこの地獄を味わい続けるんだろう。そんな予感がした。
♦︎♦︎♦︎
どうでしたか、ぼっちゃま。
イジメをする人はみんなこういう目に遭えばいいのに!
そうですね。この方はどんな目に遭ったとしても悔い改めることは無い。永遠に閉じ込められるのがよろしい。
それにしても、自分がイジメてた人を忘れるなんて、どういう神経をしているんだろう。
結局、他人事なのですよ。人間は他者へはどこまでも残酷になれる。このイジメられていた方にしても、復讐の為に多くを虐げております。ここでは語りませんでしたが、対象は人も含まれておりますよ。
……なんで、ばあやはそのことを知っているの。
ばあやは何でも知っております。
全然眠くならないや。
お眠りくださいませ。明日は政治学・経営学・帝王学の講義がありますよ。
分かった。おやすみ、ばあや。
おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。