「ねぇ、知ってる? “アサヒナさん”」
「この町で暮らしてて知らないわけないよ」
朝比奈真次。この町で生まれ育ち、東京で6人もの少女を殺害した稀代の殺人鬼。かれこれ30年は前の話だが、親世代・祖父祖母世代はつい昨日起きたことのように話す。だからこそ、例え子供であっても知っている。
「じゃあ、これも知ってる? “アサヒナさん”にお願いすると自分の嫌いな人を殺してくれる。それも、最悪な死に方をするんだって」
「ええ? 朝比奈って自分よりも弱い女の子ばっか狙って殺したんでしょ。しかも、すごく残忍な方法で。そんな悪い人が願いを聞いてくれるとは思えないな。盛ってない?」
「それは殺人鬼の朝比奈真次であって、“アサヒナさん”ではないよ。ふふふ、歌輪が知らなくて無理はないけどね。わたし独自のネットワークで調べた確定情報だから」
「こんな狭い町で人が死んだら大騒ぎになる。“アサヒナさん”にお願いしただけで死んじゃうんなら、他の人も知っているでしょ」
普通だったら、それは科学的に有り得ないだとか呪いなんて無いだとか、そういう風に反論するものだろう。でも、私たちの間では呪いは確実にあるものだと確信している。
中学校からの帰り。
「それが騒ぎにはならないんだよね。2組にさぁ、
「……はぁ。趣味悪いよ、鈴鹿。そんな陰謀論めいたことを言われても、根拠になってない」
「まあまあ。
「確かにそれは多いね。病院で死んでるんじゃないんだよね?」
「うん。わたしは絶対、裏には何かあると思ってるんだ。もしかしたら尋咲は関係無いかもしれないけど。でも、土壌を作ったのはその人たちだ。“アサヒナさん”信仰は……なんというか、それにタダ乗りしている感じ」
「本物なのかな。だとしたら」
だとしたら。私には殺してほしい人がいる。どうしようもないクズの父親。借金ばっかり作って、私が高校に行けないのはコイツのせいだ。ずっと叶わぬ夢を見続けて、母さんと私と妹を苦しませている。外面は優しいけど、どこまでも自分勝手な男だ。
「……朝比奈真次はさ、どう考えても悪人じゃん。だけど、実は裁判は死刑になったり無罪になったり終身刑になったりと、二転三転している」
「そうなの? あぁ、でも、みんなが噂してるのは過去の朝比奈真次だもんね。小学生のときに猫を殺しただの、中学生のときに下着泥棒をしただの。確度の低そうなゴシップだ」
「うんうん。真実かどうかっていうのは大事だよね。それを踏まえているのか、“アサヒナさん”は疑似裁判みたいのをその人にかけて殺すらしい。本当に悪を成したのか、あるいは冤罪なのか」
「でも、さすがに冤罪なんてことは無いでしょ。警察も威信をかけて捜査しただろうし。鈴鹿が言う尋咲一族はあくまでこの町限定の権力だと思う。それに。アイツはクズだ。間違いなく」
しばし無言が続く。泥臭い川で子供たちがザリガニを釣って遊んでいる。のどかで退屈な田舎の風景だ。でも、ここを出ていきたいとは思わない。どうせ、私はこの町で緩やかに死んでいくのだろうし。身の程をわきまえて生きていけば問題は無いんだ。
「わたしさ、試してみようと思うんだ」
「“アサヒナさん”を? そもそもどうやってお願いするの?」
「朝比奈真次の実家の前にあるお地蔵さんに頼むんだよ。この人を殺してくださいって。代償として自身の血液を前掛けに垂らす」
確かに朝比奈真次の家の前には地蔵がある。家自体は廃墟になって年数が経っている。すぐ近くにはバス停があるから覚えていた。
「鈴鹿には死んでほしい人がいるの?」
「いるよ。どういう風に死ぬのか楽しみだね」
不穏な気配を滲ませつつ。私たちは別れた。カビ臭い家に帰って来た。靴を見るに母さんはまだ仕事中だろう。妹は。家にいる。
冷蔵庫の中からグレープフルーツジュースの紙パックを取り出して、そのまま飲みながら階段を上がる。すると、妹の部屋の前に乾いた食事が置かれていたのが見える。何も食べてなさそうだ。たぶん、ネットゲームに集中しているのだろう。
中学に上がる前は明るい子だったのにな。
自分の部屋の扉を開くと、中に父親がいた。どこか照れくさそうに笑っている。何も考えていない頭空っぽの笑みだ。年頃の娘の部屋で何をしているのかと思えば、アルバムを見ているようだ。そんなに見たければ、いくらでも貸してやるから下で読めよ。
「おかえりー! いやあ、この頃の歌輪はかわいかったなぁ。あ、もちろん、今の歌輪もかわいいぞ。もっと自信を持っていい!」
「うざ」
「反抗期の娘……。いやあ、こんな体験が出来るなんて父親冥利に尽きるなあ!
「部屋から出ろ」
「えー。やだ、もっと娘のかほりを感じたい」
「……っ。キモイんだよ、クソ親父!」
「しょうがないなぁ」
父親は役者を目指している。かれこれ30年以上、抱え続けている夢だ。しばしば、オーディションのために都会へ出かけるが、まともな結果を出した試しは無い。どれだけ蔑んだ顔で顔で罵っても、まったく堪えない。メンタルは図太いけど、それが何にも繋がっていないだから、無意味だ。
「あ、そう言えば」
「何?」
「鈴鹿ちゃんとは仲良くしてるかい? あの子、とても良い子だね。もしかしたら、将来は売れっ子モデルにでもなるかもな。今のうちにサイン貰っとこーかなぁ」
「……ち」
「退散しますよーっと」
父親は……荒巻剣弥は顔だけは良い。小学生のときは事情を知らない友人に「かっこいい」とモテていた。苦労を知らない若い顔だ。母さんは苦労して、年の割には老け込んでいる。
それにしても、鈴鹿がモデル? そんなわけない。確かに彼女はかわいい。メガネで損してるだけだ。だけど、何よりも目立つのが嫌いな子だ。父親は本当に何も分かっていない。
少しウトウトしていた。いつの間にか夜になっている。母さんは……まだ? 珍しいな。冷蔵庫の中に冷凍食品がいくつかあったはずだ。それを食べて、何品か、茉論の部屋の前に置いておこう。階段を降りる。……あれは何?
リビングに何か置いてある。よく見えない。花が挿さって。
え。
「茉論……? 何やってるの」
この問いかけは激しく見当違いだ。そんなのは分かっている。でも、そう言わざるを得なかった。妹が死んでいた。その辺りの草むらで千切ったような名も知らぬ花たちを全身に生やしている。この死に様は……知っている。
釘打ち機で全身に穴を開けられ、その穴に花を挿す。猟奇殺人鬼として、日本中を震撼させた朝比奈真次のやり口だ。“アサヒナさん”? ウチが狙われた? でも、茉論は引きこもりだ。この町の誰にも恨まれてなどいない。
「ひ。ひいっ。母さん!? ね、ねえ! 誰かいるのよね!? クソ親父、返事しろ! お願いだから、誰か!」
父親は夜にパチンコへ出かけることもある。こんなときにいないなんて、本当に最悪。リビングの扉を開けると、血だまりが。
「あ、あ……母さん、どうして」
母さんが死んでいた。妹と同じように。あんなに苦労して生きてきたのに何の甲斐も無く報われることなく、無惨な死を遂げていた。どうしてこんな風に死ななければならなかったのか。
「なんで。どういうことなの? 裁判は? 悪を成した人だけが殺されるんじゃないの? “アサヒナさん”は何でウチを?」
救急車は……既に手遅れだ。警察……。鈴鹿の言葉を思い出す。尋咲一族。いくらなんでも、こんな死に方を自然死に出来るわけない。そんな当然の理論は分かっているはずなのに。私は何も出来ず、何も言えず、家を出た。クソ親父はどこにもいなかった。絶望が押し寄せる。
鈴鹿と喋りたい。“アサヒナさん”の凶行を共有したい。呪い。これは誰かの呪いなのだろうか。本当に? でも、だとしたら、私が死んでいないのは何故? 冷蔵庫のグレープフルーツジュース。あれを飲んだあとに不自然に眠くなった。睡眠薬?
だとしたら、犯人はクソ親父ってこと? ……有り得ない。いくらなんでも、それは飛躍し過ぎている。何もメリットが無いじゃないか。そんな異常な精神を持っているのなら、私が気付かないはずが無い。アイツは。クソ親父は。……私を。
「愛していたじゃないか……って?」
泥臭い川に沿った道で。私は鈴鹿と出会った。野暮ったいメガネを外し、どこか妖艶な表情をして彼女は立っていた。見たこともない凶悪な笑みを浮かべて。
「わたしさぁ、歌輪のそういうとこ大嫌い。さんざん、わたしに自分の父親はクソだって言ってたくせにちゃっかり剣弥さんと寝てた。高校に行けないのって、妊娠したからでしょ。無理矢理されたのなら同情するけどさ。違うでしょ。何の見栄なわけ?」
「え。……なんで、それを。す、鈴鹿……。あんた、もしかして。クソ親父のことが」
「だって、剣弥さん、かっこいいじゃん。あ、でも、尻軽の歌輪とは違って、まだわたしは告白していないんだ。家族を惨殺されて……まぁ、自然死扱いになるわけだけど、傷心の剣弥さんを落とす。ベタだけど、良い作戦でしょう」
「そんな。鈴鹿が死んでほしい相手って、クソ親父の家族ってこと? ムカつくなら私だけを殺せばいいじゃない。何で、母さんを。茉論を。ふたりには何の罪も無いのに……!」
激情。だけど、親友だと信じていたはずの彼女の変身に。その笑みで、私は真実を悟る。僅かな電灯しかない道に
「私を……絶望に落とすため?」
「正解。だって、わたし歌輪のことなんて嫌いなんだもん。何もかも分かっていますって顔しながらさ、実のところ何も理解していない。その馬鹿さ加減がこの田舎の人間を凝縮しているみたいで。どうしようもなくムカつく」
「…………」
「わたしの将来の夢、知ってる? トップモデルになること。今もさ、読者モデルやってるんだよ」
「はぁ、はぁ、はぁ……うっ」
「アハハ、
死ぬ。死ぬ。死ぬ。殺される。私も、母さんみたいに。茉論みたいに。呆気なく死ぬんだ。最悪な死に方をするんだ。
「うっ。うええっ! は。は? 何で?」
「え?」
鈴鹿が倒れていた。口から血を吐いている。闇の中に鮮烈な赤さが見えた。どういうこと?
「ハァ、ハァ、なんで。“アサヒナさん”? なんでわたしを殺すの? わたしが呪いをかけたのに」
影が立つ。影は目の前に立っているはずだ。それなのに、何か分からない。誰か分からない。闇を纏い、泥に
「馬鹿だなー。“アサヒナさん”の情報は誰に聞いたんだっけ? 鈴鹿ちゃん。“アサヒナさん”ってのはこの町の隠語なの。朝比奈真次……アサシン。地蔵にはカメラが仕掛けてあって、その依頼を聞く。殺したあとはそいつを信者にして金を巻き上げるのさ」
影からは聞いたことのある声がした。
「……嘘でしょう。剣弥さん?」
「僕も“アサヒナさん”としては鳴らした方だからさ。でも、50手前にして、まだ引退出来ないとは思ってなかったけどね」
「は……うっ……げえぇ……あ。あ……」
「すべてを知って絶望してくれ鈴鹿ちゃん。何せきみは僕のかわいい愛娘を呪ったんだ。毒で殺すだけ、温情がある方さ」
そのままバッタリと鈴鹿は伏した。何も分かっていないと私を詰り、そして、自身こそ何も知らなかったことを察し、泥のような絶望に塗れて死んでいった。……影はこちらを見ている。クソ親父が“アサヒナさん”? でも、この距離で電灯に照らされて、それでもなお、どうしてこの私が彼を荒巻剣弥だと断定出来ないのだ。
「本当に、クソ親父なの?」
「おいおい、ここには誰もいないんだ。いつも通り、剣弥って呼んでくれよ、歌輪。だけど、そうだね。役者にもなれるくらい、荒巻剣弥という人間を模しているだろう? きみも15年間、騙され続けた。なかなかの演技だろう」
理解が及ばないことだらけだ。それでも、聞きたいことがあった。もう、鈴鹿のことなんてどうでもいい。
「どうして母さんを殺したの? 茉論は私と同じ剣弥の愛娘でしょ!? 何で殺したの? わたしたちは家族、なのに」
「きみが母さんと呼ぶ彼女はかつて僕の先代に呪いを願った人でね。教団のためにずっと罪を犯し続けている協力者でしかないのさ。茉論はなぁ。僕の子供を孕めなかったから用済みだ」
「え……。あ、あ……そんな」
茉論は突然引きこもりになった。昔はあんなに明るい子だったのに。何があったのか、私にも話してくれなかった。その理由は。剣弥は私を愛してはいない。父親としても、男としても。私たちはただの道具だった。きっと、次の“アサヒナさん”を産み出すための、ただそれだけの存在。
「さぁ、家に帰ろう……! と言いたいところだけど、無理かな。まぁ、僕と歌輪の仲じゃないか。新居で幸せに暮らそうよ」
影はそうして笑った。私はもう、何もかもがどうでもよくなって。……そのあとのことは何も覚えていないし、語る気も起きない。盟約違反かもしれないけど。
ごめんね。
♦♦♦
ねぇ、ばあや。このお話、最後の切り方が他と違うね。ごめんねって誰に言ってるの。
申し訳ありません、ぼっちゃま。ばあやとしたことが間違えてしまいました。忘れてください。少しダークでディープな話でしたが、意味は伝わりましたか。
……うん。それにしても、朝比奈真次って、ぼく聞いたことないよ。本当にそんな殺人鬼っているの。
おりません。
えっ。嘘ってこと?
だとしたら、さすがにばあやの精神が疑われてしまいます。こんな作り話をしたとなれば、父君に叱られてしまいます。
じゃあ、どういうこと?
現実に差し障りのある話は名称を変えてお伝えするのが怪談のマナーでございます。ぼっちゃまもよく覚えていてくださいませ。
うん、良かった。
眠くなってきましたか。
……うん。おやすみ。
おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。