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第4話 顔無しの怪

 戦に勝とうが負けようが、死体となってしまえば同じ結末。元亀げんき元年。姉川の戦いで舞台となった川の色は赤く濁っていた。戦が終わり、近くの寺院が死体を埋葬するまでにはまだ時間がある。


 俺は死体に触る。兜も具足も刀も鋳潰してしまえば同じモノ。死体という不浄な存在に触るのは卑しいと高い身分のやつらは言う。だが、生きていくためにはどんなことでもしなくちゃいけないんだ。死体は携行食や値打ちのある代物を身に付けている場合がある。それを探すために、こんな夜でも俺はどこへでも行く。


 運良く、その日は豪勢なメシを食えるだけの物を剥ぐことが出来た。どうせ、次の日にはくたばってもおかしくない命。今日、楽しい思いができりゃ、充分よ。


 大柄な男がいつもの裏通りで何かを探していた。野盗をしたりしなかったりの外道だが、たまに酒や仕事をくれるので、見た目ほど悪くないやつだ。そいつが、俺を見てにやりと笑う。



「よう、藤波。今日は美味いモンにありつけたみたいだな」


「おう。市丸は……酒くせえぞ。仕事でもあんのか?」


「あぁ、実はな、顔が無い屍の化物が鳥辺野とりべのにうろついているらしいぜ。あそこだよ、前に酔っぱらった坊主を埋めた、あの辺り。仲間の話によると、その化物、綺麗な着物で宝珠の類まで持ってるらしい。不気味だがよ、おめーはんなモン怖くねーだろ。おれと一緒に討伐しようぜ。報酬は山分けだ」


「乗った」



 ずいぶんと気持ちが大きくなってると見える。市丸は殺すのが上手いが、酒に酔ってるときは弱い。顔無しの化物を討伐したあと、市丸を殺すのは容易い。そうすれば、取り分を分ける必要は無い。あるいは、市丸も同じ考えかもしれない。


 この世界で信じられるのは自分だけだ。金は偉大だが、すぐ裏切る。金でさえその有様なのだから、人間を信じる方がおかしい。市丸は良いやつだったんだが、殺すのをためらうほどではない。


 日没を二度繰り返した辺りで鳥辺野に着いた。土を掘り返す音が聞こえる。そいつの顔は肉を丸出しにしているにも関わらず、真っ黒だった。夜よりも濃く、それは闇に似ていた。市丸が派手な音で引きつけ、俺が後ろから頭をかち割る。いつもの手順だ。だらりと垂れ下がった手は灰色にくすんでおり、死者だというのは間違いない。なにより、鼻を突くようなこの悪臭。


 動けなくなった顔無しが持つ金品を漁り始めた市丸の首を短刀で突き刺した。市丸は恨めしそうな顔をして事切れた。このために酒を呑ませておいて良かった。いつもは油断なんざしないくせによ。何かに酔ってるやつほど、脆い。


 さて、市丸の血で値段が落ちてしまえば、せっかくの苦労が台無しだ。汚い布で拭き取り、その手の中にあった金色の輪っかを見つけた。こいつは高く売れそうだ。


 しめしめ、なんて思っていたら後ろからとんでもない力で羽交い絞めにされた。顔無しの化物。まだ動けるのか。あれぐらいで死ぬような未練ではなかったということか。組み伏せられ、刀を遠くに放り投げられた。どうしようもねえな。体から力を抜く。


 顔無しの化物がゆっくりと近付いてくる。目も鼻も口も髭も耳も髪も無い。闇の黒と肉の赤が筋状に交差している。気持ち悪いなと思いつつも、そいつの視線に応える。化物は喉を震わす。



「胆力がお有りなのですね」


「諦めただけさ。死ぬのが決まってるのなら、足掻いたって何の意味も無い。飢えて死ぬよりマシだろ。で、おまえはどうしたい」



 顔無しは墓を荒らしていた。その目的までは分からない。屍肉を喰っていたのであれば、目の前に新鮮な肉があるということで俺は殺されるのかもしれない。声をかけてきた、というのであれば。



「顔を探しているのです」


「探すったって埋まってんのは骨だけだろ」


「ぼくには夫婦となるべきひとがいたのです。父の政治の結果であり、ぼくは彼女の顔も知りません。向こうも同じでしょう。ぼくはこんな体になってしまって。でも、ふみでのやり取りは上手くいっています。顔さえあれば。顔さえあれば、縁談は丸く収まるのです。ご助力を賜りたく」


「あのなあ。おまえはもう死んでいるんだ。生きてる女を娶るなんて出来ない。諦めた方がいいぜ。それに好みの顔を見つけられたとしても、肉が剝き出しになったその顔面にどうやって植えるつもりだ? ……化物の理屈は分からんな」


「構わぬのです。彼女ならば、きっと分かってくれる。優しい字です。ぼくには分かるのです。あのひとは事情を汲んでくれる」



 この顔無し。どうやら、相当な名門の生まれなのだろう。耳障りのいいことばかり並べやがる。むしゃくしゃしてきた。



「けれど、これがもはや叶わぬ夢だということは理解しております。ところであなたは?」


「藤波だ。その日暮らしの外道さ」


「家族はおられますか」


「いねえよ」


「家はありますか」


「んなモンあるわけねえだろ」


「……ふむ。ちょうどいい。その指輪を嵌めてくだされぬか。藤波殿にはよく似合うことでしょう」


「あん? 指に輪っかなんて嵌めて何の意味があるんだよ? まぁ、いい。はいはい、これで満足か」



 顔無しは俺に何かを仕掛けようとしている。んなことは分かっていた。だが、これ以上、何があるわけでもなし、それに乗ってやるのも一興だろう。俺は煌びやかな金色の輪っかを人差し指に嵌める。すると、強烈な違和感に襲われた。


 じゅうううっ。じゅうううっ。


 何かが燃えている。小さな火ではない。大きな炎が肉を炙っているような熱さが指に走る。輪っかが蠢動しゅんどうし、肉体の中を何かが走っていく。虫の卵でも仕込まれていたのか? だが、痛くない。



「藤波殿。指輪には字が刻まれているでしょう。なんと読むのか、お分かりになられるか?」


「何言ってやがる。俺は字の読み書きなんて……あ? 八の者に至りてそうろう。俺は……」



 知っている。頭蓋を揺るがすような地響き。いや、それは頭の中で起こった。俺は藤波だ。間違いない。だが、それと同時に水無瀬春知はるともであった。奔流のように流れるのは春知としての記憶。読み書きはもちろん、算学、和歌、蹴鞠、弓術。いまの俺はそれを体得している。



「貴殿は水無瀬春知であり、同時に八の者の藤波殿でもある。何をすればいいのか理解したでしょう。その恰好ではまずい。ぼくの着物を差し上げます。では、確かに繋ぎ申した」



 顔無しの化物が土塊つちくれのように崩れていった。俺はそいつの着物を剥ぎ取り(血で汚れていたが)屋敷に帰る。


 浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が大戦を起こして間もないというのに、京の本家からわざわざ戦を見物しに来た変わり者。それが水無瀬春知であった。……いや、違う。春知は奇矯な振る舞いこそすれ、そこまで野蛮ではない。すべては手紙の主、華緒殿の言いつけであった。


 華緒殿との婚姻は必ず成功させなければならぬ。そうでなければ、水無瀬家は終わりだ。華緒殿は公家には珍しく、武芸が達者な者こそ素晴らしいと考えている。戦には出ずとも良いが、男子おのこたるもの、人のひとりやふたりおのが刀で斬り殺すようでなければならぬ。そういうお方だ。


 あぁ、ちょうどいいじゃないか。俺は外道の藤波だ。10人殺して、それ以降は数えていないが、条件に合う。もう飢えて死ぬことへの恐怖に怯えなくていい。いつでも肉を……肉は食えないのか。魚と米をたらふく食える。それで良しとしよう。


 ただ、気になるのは。あいつは何故、顔を剥がれたのだろう。あいつは何故、死んだのだろう。この指輪は何だ。すべての記憶があるのだと思った。だが、あいつの最後は華緒殿と会う日を決めようとした最中であった。……いや、いい。まじはふみを書かなければならぬ。愛しの華緒殿に俺の想いを伝えよう。



 一箇月ほど経ったある日の夜。見事な月を眺めながら清酒を呑んでいた頃、庭の方で物音が聞こえた。野盗か? ならば殺そう。刀を持って庭へ急ぐ。そこには女がいた。……幽鬼だ。そう思わざるを得ない白装束に鬼の面。だが、ひとりではない。後ろに3人ほど控えている。



「誰ぞ」


「失礼しました。わたしは華緒と申します。ええ、あなたさまがよくご存じの女でございます」


「なっ……」



 女が面を外した。月の光が神々しく彼女の美しい顔立ちを照らす。洗練した立ち振る舞いといい、供の者の立派な装備といい、本物だ。俺は女にしばし見とれてしまう。



「驚かせてしまってごめんなさいね。春知殿の顔を見に来たのです。夜這いのようなものだと考えてくだされば」



 公家の女子おなごが夜這いなどするわけがない。愛する華緒殿とは婚姻を結ばなければならぬ。それが春知の意志だ。だが、他ならぬ藤波が警戒している。このひとは明らかにおかしい。


 ふと、華緒殿の手に目が行く。指輪をしている。俺と同じ? 遠いが夜にモノを見るのは慣れている。……十二の者に至りて候。


 まさか、こいつも?



「……ダメですわね」


「え」


「野蛮が過ぎますわ、この方。鷲司わしつかさ家には相応しくありません。人のひとりやふたりどころか、多くの者を虐げて殺していらっしゃる。それに何より嫌らしい顔! 華緒の好みではありませぬ」


「何を、申される」


「顔を剥いで殺しなさい」


「まさか、てめえが!?」


「あら、お里が知れますわ」



 刀を振るう。しかし、供の者はおそらく武士だ。毎日の飽食に酔ってしまい、鍛錬を怠った今の俺ではとうてい敵わぬ。俺の屋敷の中にも騒ぎは伝わっているはずだが、誰も出てこない。武士どもの刃がゆっくりと迫る。俺は今から顔を剥がれる。


 そこから先はきっとあの顔無しと同じだ。同じ結末を辿る。死ぬ前の記憶を失い、不確かな愛に酔い続け、顔を求めて彷徨う。それが春知の意志だ。藤波の魂は失われる。


 死にたくない。俺は必死になって刀を無茶苦茶に振り回し、狂乱と共に絶叫する。諦めたくない。だって、俺は知ってしまったのだ。こんなにも満ち足りた人生がこの世に存在することを!



「やめろ! やめろ! 助けてくれええ!!」


「では、九の者に至りしとき、またお会いしましょう、水無瀬春知殿。そのとき、このわたしであるかどうかは分かりませんが、これもお家のため。すべては定められておりますゆえ」



 激烈な痛み。無慈悲な刃が顔を剥いでいく。



「あ、あ、あぁぁぁ!!」



 俺の人生に意味は無かった。ただただ、繋ぎ繋がれた。これから先も俺たちはずっと彷徨い続けるのだろう。



♦♦♦


 どうでしょうか、ぼっちゃま。


 ……ねぇ、もしかしてだけど。ぼくの婚約者が決まったからってこんなお話をしたの。だとしたら、やりすぎだよ。


 申し訳ありません。しかし、このようなこともあるのです。特に高貴な血を持つ方々にとっては。


 無いと思うけどなぁ。あの指輪は何?


 様々な呼び方がございますが、わたくしは“襷鬼”と呼んでおります。孫に同じ話をしたときに、それはリセマラだと言われました。わたくしも孫もマラソンが好きなはずですが、やはり時代によって価値観は異なっていくのでしょうね。


 眠くなってきたかも。ばあやは指輪はしていないよね。ばあやはばあや以外の何者でもないでしょ? そうだよね? ぼくは他の誰よりもばあやがいいよ。URだ。


 こら。人に価値をつけてはなりません。


 ごめんなさい。ぼくはばあやが好きなんだ。


 そう言っていただければ良いのですよ。


 おやすみ。


 おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはこれまでにございます。



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