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妖し怪し語り
ササキアンヨ
ホラー怪談
2024年09月03日
公開日
178,702文字
完結
 眠れない彼に毎夜語られる、妖し怪し語り。それぞれは独立した話かと思われたが、やがて奇妙な連鎖があることに彼は気付く。夢か現か、あるいは……。

「ぼっちゃま、妖し怪し語りの時間でございます」

 これは、彼の意義を取り戻す物語。

第1話 かえがみ

 田舎の民宿で夜を過ごした。


 東京で振る雪というのは灰のように濁っていて、まとわりつくように重い。でも、ここの雪は瑞々しい白さとふんわりした軽さがある。


 とは言え、ずいぶんと振り続いている。明日のバスが運行するかどうかは分からない。なんとなく不安だ。


 屋根がミシミシと鳴っている。この民宿はあまりにもみすぼらしい家だ。雪に潰されやしないだろうか。わたしが心配性なのは自覚しているが、さっきから締め付けられるような音が鳴っているのだ。


 みしっ。みしっ。ぎゅう。ぎゅう。


 ざっざっざっざっ……。


 たたたたた……。


 おまけに鼠でもいるのかもしれない。



「大丈夫ですよ」



 民宿を経営している男がいつの間にか部屋の前に立っていた。扉を開けつつも、中には入っていない。男なりの客への礼儀ということだろうか。だとしたら、失敗だ。



「ですよね……。これくらいの雪、この辺りでは当たり前なのでしょう。申し訳ない」



 男はニコリと笑った。けれど、生っちろい平坦な顔はなんだか人形のようで。その愛嬌は作り笑いだと感じられた。



「お眠りくださいまし。冬の雪は毒でございます。雪ならばともかく、“かえがみ”が舞い始められば、あなたさまにも害がある」



 男は笑みを浮かべた無表情のまま、そんなことを言う。“かえがみ”とは何だろう。来る前にこの辺りの歴史は押さえたつもりだったが、知らない名前だ。まあ、田舎でしか知られていない土着の神の一種であろう。そこまで気にしなくてもいいか。



「心配ありがとうございます。もうすぐ寝るつもりです」


「それがよろしい。“かえがみ”を見てはなりませぬ。あなたさまも舞の一座に加えられてしまう。……それがお望みなら止めませんが」




 男は奇妙なことを口にして、扉を閉じた。 ……念のため鍵をかけておこう。なんだか不気味だ。


 部屋には大きな窓がある。一面に積もった雪は白き原野の如き輝きでとても美しい。しかし、見るなと言っていたくせに、窓にはカーテンが無い。そういえば、音がしない。無音の世界に迷い込んだみたいだ。


 早く寝よう。久しぶりの休暇で気分転換に来たつもりだったが、どうにも落ち着かない。


 ビルだらけの窮屈な道、満員電車、くだらないことしか流れてこないテレビ、引っ切り無しに連絡が来る電話、上階の部屋の騒音。隣の営業部のやつの不快な笑顔。そんな毎日に辟易として、こういう何も無い田舎に訪れてみたかったのだ。なのに。こんな焦燥感に襲われるとは。


 たたたたた……。


 何かが走る音。無音の世界が壊れてホッとした。でも、違和感がある。さっきの家鳴りとは違う。この音は民宿の外から聞こえた気がした。男からの忠告など忘れて、窓から外を注視した。


 この雪の中であんなにも軽快に走れるものだろうか。既に腰を越すくらい積もっているのに。



「あ」



 舞っている。雪ではない。鮮烈な赤さ。顔を布で隠した人がふわりふわりと華麗に舞っているのだ。見慣れぬ赤い装束はどこかエキゾチックで魅力的だ。


 彼あるいは彼女の周りにも誰かがいる。たたたたた……と走り回っている。けれど、そちらはまったく綺麗ではない。美しい絵画の中に素人のタッチが混ざっているようだ。醜い。



 許せない。



 わたしは注意しなければならない。この舞をおとしめる何者かを排除しなければならない。窓を開け、雪の中に着地する。不思議と寒さも冷たさも感じなかった。ただただ怒りが渦巻いている。


 ずぼ。ずぼ。ずぼ。ずぼ。


 認めたくはないが、あの邪魔者はこの雪の中でわたしよりも軽快であるようだ。許せない。



「ああ、美しい」



 赤い装束の人は近くで見るとさらに神々しい。雪が降る中、雄大な大自然に少しずつ自分が侵食されていく。けれど、それは快感に等しい。この演舞にわたしも参加出来る嬉しさが勝つ。コンクリートジャングルの檻の中で息が詰まるサラリーマン生活から、解放される。そんな予感が止まらなかった。



「やはり、いらっしゃいましたか」



 周りを小汚く走っていたのは民宿の男だった。彼はピッタリした笑みを白すぎる顔に張り付けている。不快だ。わたしの仕事を邪魔する営業部のやつらに似ている。なるほど、こんなにも醜い男なのだから、この美しい舞を汚すのは当然だろう。



「……良かった」



 赤い装束の人が舞を止め、そんなことを言う。信じられない。その声はいま聞いたものとまったく同じ……。布が風で飛ぶ。人形のような顔。生き物とは思えぬ顔。目の前の男と同じ。



「どうして」


「田舎の暮らしにはもう飽きたのですよ。都会の方がいらっしゃるのは実に84年ぶり。いまの東京はどんな風になっているのか見てみたい。本当にありがとうございます。それにしても珍しいお方だ。檻のようなこの地にわざわざ封じられにやって来るとは。……僕はサラリーマンに向いていると思うのですよ。何より笑顔が得意ですから」



 赤い装束を纏っていた男はニコリと笑う。歪み果て濁り果て、灰のように黒ずんだ、死者の顔であった。



「あ、あ、“かえがみ”さまは」


「あなたさまが今日から“かえがみ”でございます。この孤独な檻の中でひとりで永遠に舞いなされ。それが、あなたさまのお望みでしょう?」



 ひとり? ひとり? こんなクソみたいな田舎で、わたしは永遠にひとりで舞い続けなければならないのか?


 嫌だ。嫌だ。嫌だ! 返してくれ。返してくれ。人工物に囲まれたあの賑やかな街にわたしは戻りたいんだ。こんなところで永遠を過ごしたくはない!



「舞いなされ。孤独に耐え切れぬようであれば、もうひとりの自分を生み出し、一緒に舞えばよろしい。何の誤魔化しにもならないのですけれどね」



 赤い装束がわたしにまとわりつく。どこが綺麗なんだ。これは全部、血じゃないか。生者を憑き殺した証ではないか。ずっしりと重い装束はわたしの意志など無視して舞い始める。


 男は雪の中を歩く。


 ずぼっ。ずぼっ。ずぼっ。ずぼっ。


 生者にしか許されない重みがあった。



 嫌だ。嫌だ。嫌だあああああ!



♦♦♦


 どうでしょうか、ぼっちゃま。


 ばあや、このお話の教訓は何なの?


 すべての話に教訓があるとは限らないのですよ。でも、そうですね。足るを知らぬ者はどこへ行こうと同じこと。田舎であろうが都会であろうが、その真理は変わらない。この後の男はきっと都会で上手く暮らすことは出来ないでしょう。人を不快にさせる笑顔では立ち行きませんから。


 だとしたら、ぼくも……。ああ、眠くなってきたかも。今日は雪だよね。“かえがみ”は居ないよね?


 おりません。“換え紙”はどことも知らぬ田舎町でひっそりと舞い続けているでしょう。


 うん。おやすみ、ばあや。


 ええ。おやすみなさいませ、ぼっちゃま。今宵の妖し怪し語りはここまでにございます。





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