※二十四話までのマシューの身の振り方について、満足している読者さんにとっては蛇足になります。お気を付けください。
※二十五話は、マシューが不憫でたまらないという読者さんの、心の慰めになることを願って書きました。
※マシューに、今後もずっとメイベルを想っていて欲しい方は、絶対に読まないでください。
◇◆◇
北の砦を護り続け、中隊長から大隊長に昇格したマシューは、数年ぶりに王都へと帰還した。
すでに魔法師団長の直属の部下ではないが、これまでに何度も危機を救ってくれた恩人だ。
真っ先に挨拶に行こうと、マシューは魔法師団長のもとを訪れた。
かつての職場なので、勝手知ったる何とやらで、まっすぐに執務室へ向かう。
ノックをしようと手を上げたが、扉の向こうから先客と話す魔法師団長の声が聞こえた。
(しまった、ちゃんと約束をしてから訪問するべきだった)
そうマシューが反省していると、扉越しに二人の話が進んでいく。
「それで? マシューはいつ王都へ戻ってくるのかな?」
「そろそろでしょう、ディーンさま。……どうするおつもりですか? またマシューを、遠くへ飛ばすんですか?」
しかも、心配そうにしている魔法師団長の話し相手は、魔王みたいな王弟ディーンのようだ。
(まずいな、会ったら殺されるかもしれない――)
マシューが背後の退路を確認していると、案外冷静なディーンの声が続く。
「仕方がないだろう? マシューには女難の相が出ている。王都にいる限り、メイベルの妹の執着からは逃れられないんだ」
「なにしろシェリーは、呪いの魔法具にためらいなく血を捧げた人物ですからね。確かに、マシューに何をするか分かりません」
「メイベルへの気持ちを断ち切ってもらうためにも、早くマシューには『メイベル以外』の心から愛する女性と出会って欲しい。王都にいると、その機会が全てメイベルの妹によって打ち壊されてしまう」
『メイベル以外』をことさらに強調してディーンが言うので、珍しく魔法師団長が笑った。
「最初は私も信じられませんでしたが、シェリーが北の砦を目指して家出した話を聞いて、その執着力に驚きました。……てっきりマシューは、ディーンさまの嫉妬のせいで飛ばされたと思っていたので」
それに応えるディーンの声は、幾分かムスッとしている。
「僕を何だと思っているんだ? ……半分は当たっているが、半分はちゃんとマシューのことを考えている」
「そうですね。マシューに危機が訪れそうになるたび、私のところへ忠告に来てくれましたね。その結果、マシューは怪我もせずに任務を遂行、シェリーの突撃訪問を避けた先で手柄まで上げて、今では大隊長になってしまいました」
マシューは、扉の前で立ち尽くしたまま、思いもよらない話に驚いていた。
これまでにあった危機を、何度も乗り越えられたのは、未来視の力を持つディーンのおかげだったのだ。
「仕方がないよ。僕が傷つけてしまったメイベルを、癒やしたのはマシューだ。……直接、礼を言うつもりはないけどね」
そこまで聞いて、マシューはたまらず扉をノックした。
そして魔法師団長の返事を待たずに、パッと開けて中に入る。
ガタンッ!!
慌てた動作で、座っていた椅子から立ち上がったのはディーンだ。
それを見て、マシューはわざと微笑んでみせた。
「マシュー……まさか今の話を……」
「立ち聞きとはいけませんね。部下にそんな躾をした覚えはないのですが」
顔を青くするディーンとは対象的に、魔法師団長は久しぶりに会えたマシューを見て嬉しそうだ。
「僕の耳は、近づく人間の足音を捉えていない。どうやってここまで――」
「雪の多い地方に居たものですから、敵に悟られずに雪の上を歩く訓練をしていたら、自然と足音が消えてしまいました」
飄々と応えるマシューに、知られたくなかった話を聞かれてしまったことを悟ったディーン。
ここは分が悪いと判断したのだろう。
開かれたままの扉に歩み寄り、鍛え上げられたマシューの身体を邪魔そうに押しのけると、顔だけ魔法師団長の方に向ける。
「魔法師団長、出直してくる。……いいか、王都からは早々に立ち去るんだ」
ディーンの最後の一言は、マシューに放たれた。
ツンと顔を反らして出て行くディーンの後ろ姿に、マシューは顔が緩むのを止められなかった。
(メイベル、君が愛した人はずいぶんと――)
ディーンはメイベルと同い年だから、マシューの2つ年下だ。
しかし、未来視を使って国の行く末を護る王弟として、今や国中から称えられる立派な存在だ。
それが、マシューに礼を言えず、隠れてマシューを助け、それがバレると子どもっぽい態度をとるしか出来ないなんて。
「ずいぶんと、ディーンさまの印象が変わったのではないか?」
こちらも顔を緩ませた魔法師団長が、マシューに聞いてくる。
「私が勝手に、ディーンさまの嫉妬のせいで北の砦に飛ばされたのではないか、などと仮説を立てたものだから、マシューもいい印象はなかっただろう? だが、ディーンさまはマシューのことを、ただ放り出したわけではなかったんだ。……口止めをされていて、伝えられずにすまなかったな」
「いいえ、もうディーンさまの気持ちは、分かってしまいましたから」
マシューは、メイベルに贈ってもらった茶色のマフラーを思い浮かべる。
北の砦にいる間、肌身離さず、ずっとそれを着け続けた。
メイベルが傍に居るようで、温かい気持ちになったものだ。
ずいぶんと擦れて、薄くなってしまった茶色のマフラーを、今も大切にしているが――。
「魔法師団長、今度の任務先は、暖かいところにしてもらえますか?」
決意がこもったマシューの紫色の瞳に、魔法師団長の驚いた顔が映る。
暖かいところに行くということは、もうマフラーを着ける機会がなくなるということだ。
つまり、それは――。
「マシュー、いいのか? 思い続けることは罪ではない。無理に忘れようとしなくても……」
「いいえ、ディーンさまがはっきりと言っていたではないですか。私は、『メイベル以外』の心から愛する女性に出会う機会があるのだと。だったら、私はその女性を、今も待たせていることになる」
ディーンがうっかり零した言葉から、マシューは自分の未来を読んだ。
今はメイベルしかいない心の中に、他の誰かが住む可能性があるのだ。
「なるべく早く任務先を決めてください。なにしろ私には、王都で女難の相があるようなので」
マシューは明るく笑ったつもりだったが、魔法師団長は複雑な顔をしたままだった。
それでも願いを聞き届け、数日のうちにマシューの南の砦への赴任が決まった。
任命式にて、北の砦へ赴任を命じられたときと同じく、ディーンを前にして頭を垂れるマシュー。
南の砦への赴任を命じるディーンの瞳は、もう魔界の沼のように澱んではいなかった。
ディーンの視た未来では、マシューは『メイベル以外』の心から愛する女性と出会い、大国ウィロビー王国の魔法剣士という名誉ある称号を手放していた。
なぜなら、『メイベル以外』の心から愛する女性が、ディーンの母の出身国、小国クルス国からお忍びで来ていた王女だったからだ。
サンダーズ伯爵の大反対を押し切り、マシューは婿入りを果たすとともに、クルス国の騎士となる。
これまで、お手本のようにいい子だったマシューが、初めて親へ歯向かい、抵抗し、盾を突くのだ。
任命書を読み終わったディーンは、最後にマシューへ声をかける。
「行ってこい、マシュー。己の未来と出会うために」
「謹んでお受けします」
そう言って、ディーンを見上げたマシューの顔つきに、迷いはなかった。