ディーンとメイベルは、ヒューゴが生まれたことを亡き人たちに報告して回った。
最初は、側妃フロリタの墓だ。
先代王の計らいで、隣には恋人セリオの墓があった。
ディーンが墓前に白百合の花束を供える。
「母上が命を懸けて僕を産んでくれたおかげで、僕は今とても幸せです。こうして息子にも恵まれました」
ディーンがヒューゴを抱き、墓の傍に近づける。
ヒューゴは墓に向かって手を伸ばす。
冷たくてペタペタとした感触が楽しいのだろう。
きゃっきゃと笑った。
ヒューゴがここにいるのは、ディーンとメイベルが結ばれたから。
二人が結ばれたのは、セリオが呪いをかけたから。
ディーンの特殊魔法が未来視であったことから、フロリタの特殊魔法もまた未来視だったと想像がつく。
フロリタは、未来をどこまで視たのだろうか。
己の死?
セリオの死?
誰に何を託して、何を願いながら逝ったのか。
夏の雲が空に育つ。
ディーンは母親を思い、ヒューゴを強く抱きしめた。
◇◆◇
メイベルは義母の墓の前に立った。
この墓場までの道のりは、昔と違って人通りも多くなっていた。
人身売買組織に襲われたのも、こんな雨の日だったと思い出す。
「お久しぶりです。以前に来たときから、ずいぶん間が開いてしまいました。実は私、妊娠していたんです。今日は息子を連れてきました」
メイベルはヒューゴがよく見えるように、墓に向かってしゃがんだ。
ディーンは二人が濡れないように傘をさす。
「ヒューゴと言います。とても賢くて元気なの。子育ては初めてですが、ディーンと協力して頑張っています」
ヒューゴをディーンに渡し、メイベルは侍従からリンドウの花束を受け取る。
それをそっと墓に供えた。
「お義母さんがいろいろなことを教えてくれたおかげで、私は王家に嫁いだ後もきちんとやれています。だから心配しないでくださいね」
小雨がしとしと降り注ぐ。
それが顔に落ちてきても、もうメイベルの顔に青痣は浮かばない。
◇◆◇
リグリー侯爵家の領地に行くには、ある程度の時間が必要で、それを捻出しているうちに冬になった。
ヒューゴは、メイベルの編んだ帽子と手袋と腹巻と靴下をつけている。
馬車の中は寒くはないが、ヒューゴはお気に入りのそれらをいつでも身につけたがる。
時折がたがたと揺れながら、ディーンとメイベルとヒューゴを乗せた馬車は、メイベルの両親が眠る丘へ向かっていた。
メイベルにとってこの丘は、幼少期の思い出の場所だ。
代々のリグリー侯爵家の祖先が眠り、領地を見守る丘。
春には家族総出で、墓参りを兼ねたピクニックに来た。
あの頃は誰も、青痣について言う人はいなかった。
幸せな幼少期を過ごしたと思っている。
「ここに、メイベルの弟さんか妹さんのお墓もあるの?」
「いいえ、母のお腹にいた子は、そのまま母と一緒に埋葬されました」
「そうか。一緒の方が、安心かもしれないね」
ディーンはヒューゴを抱き直す。
メイベルは、息子を生むまでディーンがこんなに子煩悩だとは知らなかった。
ディーンは、夫の顔、父親の顔、王弟の顔をうまく使い分けている。
優しいばかりの顔では、貴族社会では舐められると、もうメイベルも分かっていた。
妻として、母親として、王弟妃として、メイベルも強くならなくては。
事故にあった両親が、最後まで子を護ろうとした姿に、メイベルは自分を重ねる。
きっとディーンもメイベルも、ヒューゴを護るためなら盾になるだろう。
それが親なのだ。
両親の姿がメイベルのお手本だった。
「いい眺めだ。暖かい季節だったら、ピクニックをしたかったね」
ディーンが領地を見下ろせる場所から、こちらを振り向く。
「昔はよくしていたんです。たくさんのサンドイッチを作ってもらって」
「いいね、楽しそうだ。ヒューゴがもう少し大きくなったら、また来ようよ」
あ、とディーンが目を押さえる。
この動作をするときは、未来が視えているのだと、メイベルは知っている。
今の会話の何かがきっかけで、ディーンの特殊魔法が発動したのだ。
「おやおや、ビックリだ。次にここに来るときには――いや、黙っていたほうがいいかな。とにかく、楽しいことになっているよ」
ディーンは笑みだけをメイベルに向けた。
変えたくない未来については、影響を及ぼす要素は少ない方がいい。
つまりディーンは正夢にしたい夢のように、黙っていなくてはいけないのだ。
うずうずする口元を押さえているディーンを、メイベルは微笑ましく思う。
それから両親の墓参りをした。
ヒューゴが自慢げに、墓に向かってメイベルの手編みセットを見せていた。
ここに眠るメイベルの母親が、その編み方を教えたことが分かっているように。
メイベルは親になった報告をした。
初めて領地の墓参りに来たディーンも、メイベルの両親にたくさんのことを話しているようだ。
先ほどディーンが立っていた丘のてっぺんに、メイベルも立ってみた。
小さいときは、ここが世界の全てだった。
この領地で育ち、暮らし、嫁ぎ、生きて、死ぬと思っていた。
青痣のあるメイベルを、両親は領地から出すつもりはなかったのかもしれない。
ここで悪評にさらされることなく、幸せな人生のまま過ごさせる。
メイベルは、それこそシェリーに馬鹿にされるくらい、貴族社会のマナーを知らなかった。
外の世界を教えないことも、親の愛だったのだろう。
だがメイベルはここから巣立った。
今ではディーンの妻として、国内国外に目を配る毎日だ。
そして両親が憂慮したであろう、青痣も消えた。
義母にマナーを叩きこまれ、どこに出ても恥ずかしくない令嬢になった。
胸を張ってディーンの隣にいられる。
メイベルはそれをありがたく思った。
何もかもが、偶然の先にある奇跡だ。
巡り合うべくして巡り合った相手ではない。
いくつもの複雑な糸が絡んだことで、つながった未来だ。
メイベルは丘の上から、ディーンを振り返る。
「ディーンさま、これからもよろしくお願いします」
「急にどうしたの、そんな当たり前のことを聞いて? 僕がメイベルを手放すわけがないでしょう? メイベルはね、来世も僕のお嫁さんにするって決めているんだよ?」
返ってきた重みのあるディーンの言葉に、メイベルは破顔一笑する。
亡くなった人の上に、自分たちの未来を積み上げる。
そうしてディーンとメイベルも、いずれ歴史となっていくのだ。
メイベルはそれを嬉しく思う。
誰かの礎になれる自分の人生が、愛しかった。
丘から降りて、ディーンとヒューゴのもとへ行く。
そしてメイベルは二人を抱きしめた。
「私も、ディーンさまのお嫁さんになりたいです。来世でも」
「約束しよう。来世でも、僕たちは出会って結婚する。たとえどんな困難があっても、メイベルを手に入れるまで、僕は諦めない」
降り出した雪が、チラチラと舞う。
「必ず春にまた来よう。ここで黄色い野花が咲くのを見たい。目が見えない僕に黄色を教えてくれたとき、メイベルはここの風景を思い出したんでしょう?」
「よく分かりましたね。ここは幸せな思い出だらけなんです」
「さらに幸せな思い出を作ろう。僕たち家族の思い出を」
なんて素敵な提案だろう。
家族を一度に亡くしてしまったメイベルにとって、ディーンとヒューゴという新しい家族は宝物だ。
「ディーンさま、私、幸せです」
「奇遇だね、僕もだよ」
気温は低く寒いはずだが、ディーンとメイベルの周りは、春色の空気に包まれていた。
次にこの丘に来るときには、家族がもう一人増えている。
それは、今はまだディーンだけが知る未来――。