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第15話

 少し時間がさかのぼる。


 誰よりも先にパーティ会場を抜け出し、よろよろ歩いていたシェリーは、通りかかった執事によって自室に送られた。


 そこでドレスを脱いで湯を浴びて、寝る支度を整えてもらう。


 使用人たちが部屋を出ていったあと、ガウンをまとったシェリーは部屋を抜け出す。


 酔ったふりをして執事に寄り掛かっていたシェリーは、執事の上着から客間の鍵を抜き取っていたのだ。


 その鍵を持ってマシューのいる客間を目指す。


 どうやらマシューは湯を浴びている最中のようだ。


 シェリーは客間にかかっていた鍵を開けると、なに喰わぬ顔をして通りかかった使用人に、落ちていたわよと鍵を返す。


 シェリーが鍵を持ったままではまずいのだ。


 部屋の中の様子を扉の外から伺い、静かになるのを待つ。


 マシューがベッドに横になり、しばらくしてからシェリーは動いた。


 シェリーの持つ特殊魔法は変身。


 ただし魔力量が少ないので、髪の色と眼の色くらいしか変えられない。


 魔力量が多かったリグリー侯爵夫人であれば、全身をメイベルそっくりに変えられただろう。


 茶色い髪と透き通る青い瞳。


 薄暗い部屋の中なら、これで十分だ。


 そう確信して、メイベルになったつもりのシェリーは、マシューの眠るベッドにそっと近づく。


 マシューの隣に潜り込もうとしたら、思いがけず抱き寄せられて声を上げそうになった。


 メイベルとシェリーの声は全然違うので、慌てて口を押えた。


 ここでバレては元も子もない。


 シェリーをメイベルと信じているマシューは、それからすぐに眠ってしまった。


 それまで息を殺していたシェリーは、ホッと安堵の息を漏らす。


 マシューが起きないことを確認して、シェリーは変身を解いた。


 ゆっくり上下する肉厚な胸筋に頬をすり寄せ、温かさに安心した。


 これでマシューはシェリーの物だ。


 マシューの背中に腕を回し、所有権を主張する。


 あとは朝まで眠るだけでいい。


 起こしに来たメイドが抱き合って眠る私たちを見つけて、リグリー侯爵家に泊まった親族たちにその話が伝わって、そういうことなら婚約者をメイベルからシェリーに変えようとなるはずだ。


 なにせ一夜を共にしたのだから。


 既成事実というやつだ。


 シェリーはこらえきれず笑った。


 そしてマシューとの未来を思い描きながら、幸せに眠ったのだった。




 翌朝――。


 メイベルはマシューの客間を訪ねた。


 手には編んだマフラーの包みがある。


 早く渡したくて廊下をウロウロしていたところを執事に見つかり、こうして案内してもらったのだ。


 メイベルはマシューがどの客間に泊まったのか知らなかった。


 だから客間に続く廊下で待ち伏せをしていたのだが――。


 マシューが泊まった客間から、ただならぬことが起きているような声がする。




「どうして君がここにいる!? 昨夜、私の部屋に忍び込んだのは君だったのか!?」




 マシューのこんなに怒った声を聞くのは初めてだ。


 執事も何事かが起きたと分かったのか、上着から客間の鍵を取り出し、扉を開けた。


 そこには――ベッドの中で寝乱れたシェリーと、それを糾弾しているマシューがいた。


 メイベルは、ぽかんと口を開けた。


 腕からは抱えていたマフラーの包みが落ちる。


 何が起こっているのか。


 どうしてマシューの部屋にシェリーがいるのか。


 すぐに執事がリグリー侯爵を呼ぶために客間を出た。


 マシューはメイベルに気づき、駆け寄って釈明した。




「メイベル、誤解をしないでほしい。決して何かがあったわけではないんだ」


「マシューさま、これは……?」




 うろたえたメイベルがたどたどしく聞き返そうとしたとき、バタバタと大きな靴音がしてリグリー侯爵がやってきた。


 そして客室の中を見渡し、頭を抱える。


 しかしすぐに立ち直ると、ベッドに向かって吠えた。




「シェリー! なんてことした!」




 メイベルは叔父が義妹を怒るのを初めて見た。


 義母が亡くなってから、叔父は義妹をとにかく甘やかした。


 喪中に勝手にお茶会もどきを開催しても、目こぼしをしていたくらいだ。


 それが今では、顔を真っ赤にしてカンカンに怒っている。




「お父さま! 私をマシューさまの婚約者にして! 私たちは一夜を共にしたのよ!」




 しかしシェリーも負けずに叫んだ。


 その内容に、メイベルは面食らう。


 そしてこの茶番が、シェリーによる仕込みなのだと気がついた。


 よりにもよって婚約披露パーティの次の日に、こんな事件を起こすなんて。


 マシューは巻き込まれたのだ。


 シェリーの幼稚な画策に。


 メイベルの隣に立ったマシューが、足元からマフラーの包みを拾い上げる。




「ごめん、こんなことになってしまって。これを届けに来てくれたんだね」


「いいえ、こちらこそ、義妹が勝手をしたようで……」




 いくぶんか落ち着いたメイベルと、まだ憤懣やるかたないマシューは、リグリー侯爵とシェリーのやり取りを見守った。




「お前がこの客室の鍵を拾ったふりをして、使用人に返したことは知っている。その前に執事から、お前を部屋に送り届けている間に、どこかで鍵を紛失したようだと報告を受けていたからな。執事から盗んだ鍵を使って、この部屋に忍び込んだのだろう!」


「だったら何よ! 鍵なんてどうでもいいじゃない! 一夜を共にした事実は事実でしょ!」


「このバカ娘が! お前が台無しにしたのは、王家とホイストン公爵家が取り持った婚約なのだぞ! ただの政略ではないんだ!」


「そんなの知らないわ! 私はマシューさまの婚約者になるのよ!」




 あまりの大声に、ほかの客室に泊まっていた親族たちが起きてきた。


 その中にはマシューの父親のサンダーズ伯爵もいた。




「リグリー侯爵、これはどういうことですかな? ここは息子が泊まっていた客室のはずだ。なぜ親子が罵りあう場になっているのです?」




 魔法剣士として名をはせたサンダーズ伯爵は、体も顔もいかつい。


 客室の扉を塞ぐようにして立ちはだかり、室内の修羅場を睥睨する。


 リグリー侯爵は咄嗟に言い訳が出てこなかったようだ。


 眉尻を下げて、ぐっと口をつぐんだ。


 リグリー侯爵には分かっていたのだ。


 この厳格なサンダーズ伯爵が、少しの醜聞も許しはしないと。


 だが怖いもの知らずなシェリーが噛み付いた。




「マシューさまと結婚したいの! 政略なんだから私でもいいでしょ!?」




 身の程知らずとはこのことを言うのだろう。


 サンダーズ伯爵はシェリーのあまりに幼い考えに失笑した。




「お嬢さん、政略の意味を知っているのかね? 我がサンダーズ伯爵家は、歴代、魔法剣士を数多く輩出する名門。迎え入れる嫁はすべて魔力量の多い令嬢と決まっている」




 ぎろりとシェリーに視線を合わせ、その真贋を確かめるようにねめつけた。




「お嬢さんは魔力量が多いようには見えない。それどころか微量すぎる。そんな嫁は、サンダーズ伯爵家にお呼びではないのだよ」




 室内の気温があきらかに下がった。


 サンダーズ伯爵の静かな怒りのせいだ。


 無事に婚約披露パーティを終えたと思ったら、この騒動だ。


 許しがたいものがあるのだろう。


 その憤りをそのままに、サンダーズ伯爵はリグリー侯爵に決定事項とばかりに告げた。




「慰謝料については文書で通達します。耳をそろえて用意しておいてください」




 慰謝料と聞いてマシューが慌てた。




「待ってくれ、父さん! 私はメイベルと別れるつもりなど……!」


「黙れ!! 娘一人、満足に躾けることが出来ん家から、嫁を取るつもりはない!!」




 サンダーズ伯爵の怒りは激しかった。


 それでも抵抗しようとするマシューの二の腕を掴み、引きずるように連れていく。




「メイベル! 手紙を出す! 待っていてくれ!」




 巨体になかば抱え上げられながらも、マシューはメイベルを振り返り声を張り上げる。


 メイベルはそんなマシューに素早くうなずくが、声は一言も出せなかった。


 あまりに急展開すぎた。


 客室に続く廊下では、撤収だ! と号令をかけるサンダーズ伯爵の声が響く。


 野次馬をしていた親族たちも、ぞろぞろと客室から引き上げていく。


 残されたのは、しゃがみこんでしまったリグリー侯爵と、サンダーズ伯爵の迫力に泣きだしたシェリー、物事の整理が追い付いていないメイベル、顔を青くしている執事だけだった。

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