メイベルとマシューの婚約披露パーティが始まる。
いつも凛々しいマシューだが、今日はひときわ華やかで王子さまのように輝いている。
そんなマシューにエスコートされ、メイベルは両家の親族に挨拶をして回る。
リグリー侯爵も、一度は流れたメイベルの婚約が、今度こそはうまくいきそうで歓びを隠せない。
王家とホイストン公爵に、貸しを作るかたちで整った婚約話だ。
良い運気の流れが来ている気がする。
きっと娘のシェリーにもいい縁談が見つかるのではないかと、ホクホク顔だった。
おめでたい席ゆえに、酒が消費されるスピードも速い。
あちらこちらで赤ら顔の、ご機嫌な人々が増えてきた。
そんな中、一人だけむくれているのはシェリーだ。
メイベルの婚約者のマシューを、ずっと目で追っている。
シェリーにとっては4つ年上のマシューに、色っぽい大人の男性の魅力を感じているのだ。
同年代の令息にはそこそこ人気があるシェリーだったが、これまで年上とは付き合ったことがない。
しかも友人の令息たちとは違って、日焼けした精悍な顔つきや、筋肉で厚みのある体が、シェリーの女の部分を刺激してやまない。
「やっぱりカッコイイわ。どうしてメイベルの婚約者なのかしら。家同士の政略結婚ならば、私でもいいはずなのに」
リグリー侯爵から隠れて、シェリーはワインをがぶ飲みする。
いつもより質のいいワインは、口当たりも香りも最高だ。
もう18歳なのだから飲んでもいいのだが、シェリーは悪酔いするたちなので、今日は控えるよう言われていた。
それなのにシェリーはしたたかに酔っぱらっていた。
「そうよ、私でもいいのよ。メイベルのやつ、見てらっしゃい。マシューさまは私に相応しいわ!」
そう言うと、おぼつかない足取りでシェリーは会場を後にするのだった。
それを知らないマシューとメイベルは、人いきれに酔ったため、テラスに出て風にあたることにした。
「マフラーが出来上がったのです。明日、お渡ししますね」
「それは嬉しいな。もうすっかり寒くなったからね」
今夜、マシューはリグリー侯爵家に泊まることが決まっている。
しかしまだ婚約者の段階なので、用意されているのは客間だ。
それでも自宅に夫となる男性が宿泊するというのは、メイベルにとって気恥ずかしいものがあった。
(朝から顔を合わせるって、どんな気持ちかしら)
まるで新婚生活の始まりのような、ソワソワした気分を感じているメイベルだった。
最近は忙しかったこともあって、ディーンを思い出すことが少なくなった。
これでいいんだ、とメイベルは何度も自分に言い聞かせる。
いつまでも心にディーンがいては、マシューへの不実になる。
浮き上がってこようとする心の奥底にある思いを、メイベルは頑なに拒んだ。
そしてマシューに向き合うことに専念した。
男性にマフラーを編んで贈るのは初めてだ。
風邪を引きませんようにと、心を込めて編んだ。
いつもメイベルの編んだ小物を褒めてくれるメイドが、素敵な包み紙とリボンを用意してくれた。
誰かに何かをプレゼントする機会があまりなかったメイベルには、思いつかなかったことなので感謝したものだ。
うっかりそのまま渡すところだった。
メイベルがマフラーについて思いを馳せていると、マシューの指がつっと伸びてメイベルの肩の線に触れた。
それはドレスの試着をしたときに、メイベルが出過ぎではないかと気にしていたラインだ。
「あ、あの、マシューさま!」
「素敵だよ、よく似合っている。いつものドレスも可愛いけれど、こんな大人っぽいドレスも着こなしてしまうんだね。メイベル……私はあなたとの結婚を、楽しみにしている。政略で始まった婚約だけれど、終着点も政略である必要はないと思うんだ」
いつもより饒舌なのは、マシューも酔っているせいなのか。
肩にあった指をすいと持ち上げ、メイベルの下あごを撫でる。
「メイベルはどうだろうか? 私との結婚を、望んでくれるかい?」
今まで、接触といっても礼儀正しいものだった。
それが今夜はマシューに何か含むものを感じる。
だがそれが、男女のあるべき姿なのかもしれない。
メイベルが大人に一歩、近づいた瞬間だった。
「私も、マシューさまとの結婚を望んでいます。……これから末永く、よろしくお願いします」
覚悟を決めたつもりだ。
ディーンとはもう結ばれない。
マシューと未来を歩むと決めた。
メイベルの瞳に、そんな意志を見て取ったのか、マシューは嬉しそうにほほ笑んだ。
「じゃあ少しだけ、先に進むことを許してほしい。これ以上はしないから」
マシューは撫でていたメイベルの下あごをちょっと摘み、その上にあるメイベルの唇にそっと自分のそれを重ねた。
ワインの香りがするキスだった。
メイベルはこみ上げる感情を処理しきれずに、固まってしまう。
マシューはそれを見て、ふっと笑った。
「やっぱり可愛いよ、メイベルは。私は幸せ者だ。こんなメイベルの夫になれるのだから」
真っ赤になっている頬を、マシューの大きな手が包む。
こんなときになんて返答をすればいいのか分からず、メイベルはますます体を固まらせた。
すりすりと頬の柔らかさを楽しんでいるマシュー。
頭から湯気の出ているメイベル。
室内からは緩やかな音楽が聞こえてくる。
半月が二人を優しく照らす。
婚約披露パーティはもうすぐ終わろうとしていた。
◇◆◇
マシューの眠る客間に、近づく人影があった。
あれからもマシューはグラスを重ね、メイベルと一緒にパーティから下がった。
客間に入るまではよかったが、湯を浴びたら酔いが回った。
明日に残さないようしっかりと水分を補給して、早々にベッドに横になったところだ。
メイベルほどではないが、マシューも気を張っていたのだろう。
疲れた体に睡魔はすぐに訪れた。
しかし剣士としての感覚が、誰かが室内に入ってきたことを知らせる。
同じく泊まることになった酔客が、間違えたのだろうか。
たしかに鍵はかけたはずだが、とマシューが考えていると、その人物はベッドのそばまでやってきた。
間接的な灯りしかない中、マシューは眠い目をうっすら開ける。
こんなに動作が緩慢なのは、その人物から殺気などを感じないからだ。
逆光になって顔はよく見えないが、マシューの好きな茶色い髪の毛が近づいてきた。
(メイベル?……どうしてこんな夜更けに)
メイベルと思しき人物がそっとベッドに入ってきたので、疑わずにマシューは優しく抱き寄せた。
寒くないよう、肩まで包み込むように上掛けを巻いてやる。
メイベルはさほどワインを飲んでいなかったようだが、その人物からはかなりワインの匂いがした。
自室に戻ってから、改めて飲んだのだろうか。
その匂いにさらに酔ってしまったマシューは、これまで辛うじて保っていた意識を手放す。
マシューは、自分の腕に囲んだのがメイベルだと信じて疑っていない。
しかし、大人しいメイベルが、夜這いのような真似をするはずがなかった。
素面の状態であればあれば、マシューも気がついただろう。
もっと注意深く目を凝らせば、その人物の顔が見えたかもしれない。
だがすでにマシューは夢の中だ。
マシューの腕の中にいる人物は、マシューの胸に顔をすり寄せ、マシューの背中に腕を回した。
「マシューさま、たくましい体……このまま朝まで、一緒に寝ましょうね」
その呟きがマシューに聞こえることはない。
くすくすと笑い声を上げて企みが成功したことを喜んでいたその人物も、やがて眠りについた。
マシューは一体、誰を抱きしめて眠ってしまったのか。