ぐす、と洟をすするクラーラを、エアハルトはぎゅっと抱きしめた。
「おそらく俺に届く手紙も、俺が出す手紙も、王族に検められていたんだ。キースリング国の配達業は国営だ。個人の手紙など、権力でどうとでも出来たんだろう。俺の手紙はなかったことにされ、クラーラの手紙は偽造された。――企んだのは、ヨゼフィーネさまか侍女長か」
「王族がそんなことをしてはいけません」
「まったくもって、クラーラの言う通りだ。俺とヨゼフィーネさまの婚約を画策して行われたのだろうが、それくらいでクラーラへの想いを枯らす俺ではない」
ヨゼフィーネの体調を慮って、大人しくし過ぎていた。
エアハルトからの連絡が何か月も途絶え、どれだけクラーラには心労をかけただろう。
修道院で隠れて暮らしていたクラーラが、オルコットを名乗って手紙を出した意味が、エアハルトにもやっと分かった。
王族から届いた手紙を、さすがに無視するなんてできない。
「クラーラ、差出人名にオルコット姓を使ったということは、もしかして……?」
「王族に戻りました」
「だが、王城にはクラーラを狙う敵がいただろう?」
「……ダイアナさまは逝去されたのです」
だから、兄のベンジャミンがクラーラを迎えに来たのだと説明する。
それでもエアハルトは腑に落ちない。
「修道院で見習いシスターをしているクラーラは、毎日が楽しそうだった。もし、俺のために無理をして王族に戻ったのなら――」
「きっかけはそうでした。でも、王族に戻ったことで、私は目標に何歩も近づけました。だから無理をしているわけではないんです」
「院長や子どもたちと離れて、寂しくはないか?」
「うふふ、王族のお勤めの中に、孤児院の慰問があるんです。だから院長先生にも子どもたちにも、会いに行ってるんですよ」
柔和に笑うクラーラを見て、ようやくエアハルトも納得したようだ。
「俺が不甲斐ないばかりに、クラーラには多くの決断をさせてしまった」
「とんでもありません。それよりエアハルトさんは、熱があったのではないのですか? お医者さまも分からない病気だと聞きました」
「あ~、あれは……その……ちょっと、興奮しすぎて」
「興奮? 熱が上がってしまうほど?」
「クラーラはズルい、あんな恋文を書くなんて。もう俺の心も体も未来も全て、クラーラにもらってもらわないと駄目だ。俺はクラーラへの愛にのぼせ上がって……それで、意識を失うほどの高熱を出した」
「まあ!」
クラーラが頬を染める。
自分が手紙に何を書いたのか、思い出したのだ。
あのときはイライザの発破もあって、クラーラは常にないテンションだった。
エアハルトへの想いの丈を、何枚もの便せんに綴った。
最終的には封が閉まるかどうか、ギリギリの分厚さになるまで。
「クラーラ、愛しているよ。どうかクラーラの隣に立つ権利を、俺にください」
まだ熱が少しあるのだろう。
やや潤んだ黒眼でエアハルトが希う。
それにクラーラは胸を撃ち抜かれた。
「それは……私こそ願ってきたことです。エアハルトさんに相応しくなりたくて、その目標に向かって一歩一歩進んできました」
そして――。
「私、けっこう成長したと思うんです。それに、まだ伸びしろもあるはずです! ……エアハルトさん、一緒にオルコット王国へ帰りましょう。私にとっても、オルコット王国にとっても、エアハルトさんは無くてはならない大切な人なんです」
「俺を望んでくれるのか。嬉しいな」
すり、とエアハルトがクラーラの肩に頬をすり寄せる。
クラーラはそっと手を伸ばし、エアハルトの首元を触る。
やはりまだ温かかった。
「エアハルトさん、私が看病しますから、もう少し休んでください。しっかり元気になってから、オルコット王国へ帰りましょう」
「分かった。クラーラの言うことは、なんでも聞く」
「ここへ来るのに、カロリーネさまにもご助力いただいたのです。エアハルトさんが無事だったと、報告してきます」
「……もう少し、一緒にいて欲しい」
横たわったエアハルトが、おずおずと手を差し出す。
クラーラはそれをしっかりと握りしめた。
「熱があるときは心細いですからね。エアハルトさんが眠りにつくまで、ここにいます」
「ありがとう、クラーラ」
少年のように屈託なく笑うと、まもなくエアハルトは眠ってしまった。
クラーラと会えて、興奮していた感情も、落ち着いたようだ。
寝顔はとても穏やかだった。
「おやすみなさい、エアハルトさん」
クラーラが寝室から出ると、そこには医師が待っていた。
どうやら中で話している二人を慮って、こちらで待機していてくれたらしい。
クラーラはそれに感謝をしながら、エアハルトの熱の原因について伝える。
すると医師は、「知恵熱でしたか。小さい子が出すものと、思っていましたが」と苦笑していた。
ここまで先導してくれた騎士と一緒に、カロリーネがいるだろう謁見室へと戻る。
紛糾しているだろうと思っていた話し合いは、すでに終盤に差し掛かっていた。
「クラーラちゃん、おかえり。愚弟の様子はどうだったかしら?」
「知恵熱だそうです。お医者さまからも、すぐに元気になるでしょうと言われました」
知恵熱と聞いて、カロリーネは噴き出していた。
「何に興奮したんだか、だいたい想像はつくけどね。どうせ、クラーラちゃん関連なんでしょう?」
「あ、それは……そうですね」
顔を真っ赤にして恥ずかしがるクラーラを、カロリーネが優しく見やる。
エアハルトが寝込んだタイミングを知っているシュテファンは、クラーラの手紙が原因だったかと得心した。
「エアハルトの部屋の近くに、二人の客室を用意しよう。そこで回復を待つといい」
「お気遣いに感謝します」
きれいに礼をするクラーラを見て、やはり惜しいなと思いながら、シュテファンは謁見室から立ち去った。
カロリーネに容赦なく口撃されて、すっかり青息吐息の国王を引きずりながら。
◇◆◇◆
次の日、クラーラはカロリーネを伴って、エアハルトの部屋を訪ねた。
「おはようございます、エアハルトさん。体の調子はいかがですか?」
「ぐっすり眠ったからか、すっかり熱が引いたよ。朝食もきちんと食べた」
クラーラに褒められたいエアハルトが胸を張る。
それに駄目出しをするのはカロリーネだ。
「そんな柔な体に育てた覚えはないわよ。クラーラちゃんやフリッツに心配をかけて……少しは反省しなさい」
「姉さんも心配してくれたんだろう? 悪かったよ、俺がもっと早くに気がつけばよかったんだ」
改めてカロリーネから、ヨゼフィーネの所業の全貌が説明される。
クラーラもエアハルトも、開いた口が塞がらない。
「まさか仮病だったなんて……そこから疑わないといけなかったのか」
「エアハルトの気を引くために、弱々しい姿を装っていたそうよ。本当は走り回れるくらい健康なんだとか」
「せっかく書いてくださったエアハルトさんの手紙が、切り刻まれてしまったのは残念です」
しょんぼりするクラーラに、エアハルトは奮起する。
「これからいくらでも出すよ。オルコット王国の配達業は順調なようだし」
「楽しみにしていますね。エアハルトさんが会社へ戻れば、フリッツさんも喜びます」
いつの間にか恋人同士になっている二人に、カロリーネはふふっと笑みを漏らす。
「ヨゼフィーネさまの騒動で、二人の絆はかえって深まったみたいね。今後は邪魔をさせないように、私がしっかり監視しておくから安心してちょうだい」
「そう言えば、ベルンシュタイン辺境伯領で国王陛下とヨゼフィーネさまを預かるって? どうするつもりなんだ?」
国境警備には役立ちそうにもないが、とエアハルトが呟く。
「国王陛下はローラントさまに丸投げするつもりよ。かなり今回の件に立腹していたから、特大のお灸を据えるんじゃないかしら? ヨゼフィーネさまは私が躾し直すわ。侍女長もついてくるらしいから、そちらも一緒にね」
カロリーネは、ぱちんとウインクをして見せる。
その厳しさを知っているエアハルトは、特訓風景を思い出してうへえと呻いた。
何も知らないクラーラだけが、カロリーネの力添えに感謝する。
「何もかもをお任せした形になってしまって、申し訳ありません。私にも協力できることがあれば、ぜひ――」
「クラーラちゃんはエアハルトを幸せにしてくれたから、それだけで十分よ」
「わ、私も、エアハルトさんから幸せをいただいてます」
「いいや、絶対に俺のほうが幸せをもらってる! 俺はもっと、クラーラを幸せにしないと!」
元気になったエアハルトの部屋には、明るい声があふれた。
遠からず二人はオルコット王国へ戻る。
そこにはクラーラの連れてくるエアハルトを見定めようと、ベンジャミンたちが待ち構えているのだった。