「もう何度もお伝えしましたが、私たちの要求はただ一つ、弟エアハルトの解放です」
エアハルトによく似た容貌のカロリーネは、謁見室へ入る前につれてきた兵士を控えさせ、腰に帯びていた剣を王城の騎士へ預けていた。
しかし、素手でも国王の首を掻くだけの技術は持ち合わせている。
それが分かっている国王もシュテファンも、カロリーネと対面して背中に汗が流れた。
王城にいる護衛騎士が、ベルンシュタイン辺境伯家の一族に形無しなことは、もうエアハルトで実証済みなのだ。
クラーラの持参した訴状を読んだ国王は、顔色が悪いまま口を開いた。
「遠路はるばる、足を運んでもらってすまなかった。ベルンシュタイン辺境伯もクラーラ王女も、どうか気を静めて聞いて欲しい。――エアハルトは今、高熱を出して寝込んでおる」
「っ……!」
息を飲んだのはクラーラだ。
小さな口に両手をあてて声をこらえたが、心配でたまらないのだろう。
見開かれた青い瞳が、小刻みに揺れていた。
思い合う者同士を引き割いてしまったのを、国王は申し訳なく思う。
「容態が回復し次第、エアハルトには帰宅を促すつもりじゃ。儂が軽率にヨゼフィーネの婚約に条件をつけてしまったばかりに、今回はとんでもない騒動となってしまったことを心から詫びたい」
「詫びるだけですか?」
国王としては例のない、頭を下げての謝罪だったが、そこへカロリーネの鋭い声が飛ぶ。
エアハルトもそうだったが、カロリーネも威圧感がすごい。
「こちらは数か月もの間エアハルトと連絡が取れず、安否を心配し続けました。何度も何度も、身柄を解放して欲しいとお願いもしました。それに対してなしのつぶてで、私たちは王家の不誠実さに、ほとほと愛想を尽かしたところなんですよね」
「想定はしていたが、容赦がないのう」
「父上、声に出ていますよ」
国王とシュテファンのやり取りに、カロリーネが眦を吊り上げる。
「同じ目に合ってみれば分かります。それぞれの大切な人を、ベルンシュタイン辺境伯領で一年ほどお預かりしましょう。そしてその間、外部と連絡を取り合うのは禁止です。等しいルールにしないと、不公平ですからね」
「それは……厳しすぎじゃろ」
国王が減刑を願おうとしたが、すぐ隣から賛成の声が上がってしまう。
「分かりました。我々の大切な国王と、国王の大切なヨゼフィーネを差し出しましょう。ただし、国王については私が譲位してもらった後になりますが――」
「お、おい! シュテファン! 話が違うじゃないか! 情に訴えるのではなかったか!?」
「どのみち父上には、蟄居してもらう予定だったのです。早めに場所が決まって良かったではないですか。しかもあれと一緒なら、父上も安心でしょう?」
「……おぬしの考え方、ちょっと非情で合理的すぎんか?」
親子の間で、ひと悶着が起きていた。
ここで長く時間を取られるつもりのないカロリーネの、こめかみがひくつく。
そして、それまで黙っていたクラーラだったが、ついに我慢ができずに割り込む形で質問した。
「エアハルトさんを見舞うことは可能でしょうか? 高熱ならば、誰かがそばで看病をしていますよね? よければ私に、その役をさせてください!」
「クラーラ王女が自らですか? それは……」
エアハルトが熱を出している理由は不明だ。
なにしろ少し前までは、恐ろしいほどの健康体だったのだ。
シュテファンは悩み、歯切れ悪く答える。
「エアハルトが何の病気にかかったのか、まだ医師にも分かっていないのです。その状況で、王族である王女が近づくのは、あまり得策ではないと思います」
「私は修道院で生活している間に、孤児院の子どもたちの看病をした経験があります。エアハルトさんが何らかの感染症にかかっていたとしても、マスクや手洗いをすることで、ある程度の予防が出来ると知っています」
大人しそうな外見のクラーラに反論されて、シュテファンは目を見開く。
(思っていたよりも芯がある。……やはりエアハルトの選ぶ相手は、ちゃんとしているな)
シュテファンはクラーラの印象を書き換えた。
大国の王太子であるシュテファンに言い返すなど、なかなか気概がある。
これが以前のクラーラだったら、恐れ多くて考えもつかなかっただろう。
しかし――。
(院長先生なら、身分が違うからと言って、態度を変えたりしない。イライザさんなら、間違っていないと思うことを、口に出すのを躊躇わない。そして……エアハルトさんなら、こうした場面ではきっと、堂々としているわ)
だからクラーラは胸を張り、声を震わせず、毅然とした態度をとった。
それはシュテファンから見ても王女然としており、ヨゼフィーネが罵るような、物をたかる女性などでは決してなかった。
ふっ、と表情を緩めると、シュテファンは珍しく口角を持ち上げた。
「クラーラ王女、あなたが数年前に行方不明だったのが悔やまれます。ぜひとも、弟マルセルの婚約者になっていただきたかった」
「……何のお話ですか?」
唐突に始まったあずかり知らぬ事情に、クラーラは不思議がる。
すでに妃のいるシュテファンはもとより、マルセルにも政略で決まった婚約者がいる。
クラーラをキースリング王家へ取り込めないのを、シュテファンは心底惜しいと思った。
だが、こうなる運命だったのだろう。
その証拠に、クラーラはエアハルトに対してひたむきで一途だ。
「見舞いについては、すぐに手配しましょう。――クラーラ王女を、エアハルトの部屋へ案内するように」
シュテファンは控えていた騎士に合図を送る。
すぐさま騎士はクラーラを伴い、謁見室を出て行った。
それをカロリーネは満足そうに見やると、国王とシュテファンに視線を移す。
「後処理は年長者の間で、さっさと片付けてしまいましょう。早く領地へ帰らないと、私も夫を待たせていますから」
その言葉に、ひやりとしたものを感じたのは国王だけではあるまい。
この謁見室へ控えている騎士たちも、カロリーネの夫が元騎士団長ローラントだと知っている。
それまで女性を一切寄せ付けなかったローラントが、唯一跪いて愛を乞うたのがこのカロリーネだ。
扱いを間違えれば、王城は戦禍に見舞われるだろう。
「も、もちろんじゃ! 先ほどの要望は、快諾させてもらおう!」
「それとは別に、そちらへ与えた損害に対する補償額を決めましょうか」
ヨゼフィーネの希望は鑑みられず、粛々と話し合いは進んだ。
◇◆◇◆
「こちらで、エアハルトさまがお休みになっています。医師も間もなくやってくるでしょう」
「案内していただき、ありがとうございます」
騎士に導かれたクラーラは、エアハルトのいる客間へ到着した。
看護をしていた年配の女性から渡されたマスクを、しっかりと装着したクラーラは、薄暗い室内へと足を踏み入れる。
眠っているエアハルトのために、遮光カーテンが引かれていて、クラーラは僅かな灯りを頼りに寝室へと向かった。
(倒れる寸前まで、お元気だったと聞いたわ。そんなに突如、急変する病気があるのね……)
ここへ来るまでの間に、騎士がエアハルトの様子を教えてくれた。
国王や王太子の近辺を護る騎士だけあって、がっしりとした体格をしていたが、なぜかエアハルトに怯えているように感じられたのはなぜだろう。
「エアハルトさん、失礼します」
おそらく眠っているだろうが、クラーラは一声かけて入室した。
そして、そろりそろりと足音を忍ばせ、寝台に近づいてみると――。
「クラーラ? 本物か?」
「っ……! エアハルトさん、大丈夫ですか!?」
頭に手をやり、つらそうに顔をしかめたエアハルトがいた。
駆け寄ったクラーラは、エアハルトの額へ手を伸ばす。
熱の高さを確認しようとしたのだが、それをエアハルトに掴まれてしまった。
マスクをつけたクラーラの顔を、エアハルトがジッと凝視する。
「――本物だ。王家の星が、美しく瞬いている」
クラーラの瞳を覗き込んだエアハルトが、嬉しそうに顔をほころばせた。
どうやら薄暗い室内のおかげで、クラーラの橙色の星が輝いて見えるらしい。
クラーラもまた、エアハルトに会えた嬉しさに、目を細めて喜んだ。
「エアハルトさんに、会いに来ました。ずっと連絡がなかったから、心配で心配で……」
堪えていたが、ここでクラーラの声が震える。
そして青い瞳から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
ぎょっとしたエアハルトが、起き上がってクラーラの眦に手を当てる。
「ずっと連絡がなかった? そんなまさか……」
「私だけじゃなく、フリッツさんにも手紙が届かなかったんです。だから、エアハルトさんが自由を奪われて、監禁されているんじゃないかと思って、私――!」
「俺が受け取っていた手紙も、何かおかしかった。クラーラのようで、クラーラでない、違和感のある手紙だったんだ。最後の手紙だけが、正真正銘クラーラの手紙だと分かって――そうか、そういうことか」