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第26話

 クラーラから『エアハルトさん救出作戦』の予定表を受け取ったフリッツは、さっそくエアハルトの姉カロリーネへ知らせた。


 いつまでものらりくらりとして、明確な返答を寄こさない王家に憤慨していたカロリーネは、これに凄みのある微笑みを浮かべる。




「やるじゃない、クラーラちゃん。ベルンシュタイン辺境伯家当主の私が、兵を束ねて王都へ入れば叛意と受け取られかねないけれど、弟が大切に思う人を護衛するためならば許されるわよね?」


「カロリーネ、国王陛下は末姫さま可愛さで、すっかりボケていらっしゃる。こういうときにお灸を据えてやるのが、真に忠誠を誓った臣下であると私は思うよ」




 夫ローラントの賛同も得て、カロリーネは出兵の準備を始めた。


 同行を許したのは数名の精鋭のみ。


 王都までは距離があるので、行軍ではなく、少数で馬を走らせるつもりだった。




「クラーラちゃんの乗った船が港に着く日に、王都入りするつもりよ。そして無事に合流できたら、オルコット王国の訴状を携えて、国王陛下への面会を求めるわ」


「国境の護りは私に任せなさい。つつがなく務めよう」


「ローラントさまの腕前を、疑ったことなんてないわ。もし、私に何かあれば――」


「案ずることはない。そのときは総軍を率いて、私が王都に攻め込むだけだよ。まず国王陛下のお命は、保障できないね」




 物騒なローラントの言葉に、カロリーネは胸が熱くなる。


 こんなところにときめきを感じるから、今の今まで結婚できなかったのだろう。


 カロリーネは血の一滴まで脳筋なのだ。




「万が一のときは領民たちを、よろしくお願いします。ベルンシュタイン辺境伯領に、栄光あれ!」




 踵をあわせ、びしりと背筋を伸ばしたカロリーネが宣言すると、ローラントは凛々しい妻へ敬礼を返した。


 二人の視線が重なり、ふっと互いが微笑み合う。


 そうして愛しい夫との別れを終えたカロリーネは、背後に並ぶ兵士へ声をかけた。




「行くぞ! 私に続け! エアハルトを王家から奪還する!」


「おーっ!」




 拳を振り上げる兵士と共に、筋骨隆々の軍馬へ跨り、カロリーネは颯爽と領地を後にした。




 ◇◆◇◆




 その夜、クラーラは船上にいた。




「これが海を渡るということなのね。エアハルトさんが表現していた通りだわ」




 右を見ても左を見ても、どこまでも続く真っ黒な大海原と満天の星。


 ざぶんざぶんと波をかき分けて進む船は、ゆらりゆらりと常にじっとしていない。




「まるで揺りかごみたい。こうして身を任せているうちに、港へ辿り着いてしまうのね」




 エアハルトはこの感覚を、しがらみからの解放だと言っていた。


 辺境伯家当主の座を姉夫婦へ譲り、新しい人生を求めてフリッツと共に故郷を出たエアハルトには、どこまでも広がる海は可能性を秘めた未来と同じだったのだろう。




「王族という身分が重荷だった見習いシスターの頃なら、それに同意したかもしれない。何もかもを投げうって、ただのクラーラになりたいと私も願ったはず」




 細い月が頭上でかそけき光を放っている。




「でも、今は違う。王族で良かったと、思っているもの」




 オルコット王家を代表して、クラーラは目下キースリング国へと向かっている。


 そんなクラーラの心の中には、ふつふつとした意欲が込み上がっていた。




「必ずエアハルトさんを助け出して、帰りの船には二人で乗るわ」




 あれほど隠してきた橙色の星が輝く瞳を、しっかりと船の進行方向へと見据える。


 両親が天へ旅立ち、ひとりぼっちになったと思っていたクラーラだったが、そうではなかった。


 クラーラの周囲には、クラーラの考えを理解し、クラーラの行動を後押ししてくれる人々がいる。




「もう護られてばかりじゃない。私はみんなのおかげで、自分で考えて動くことが出来るようになったんだもの」




 その成果を発揮するときだ。


 クラーラを乗せた船は、間もなくキースリング国へ到着する。


 監禁されているせいで、エアハルトは手紙を出せないと信じているクラーラは知らない。


 本当は恋文を読んでのぼせ上がり、熱を出したからエアハルトは手紙が出せなかったのだ。




「待っていてください、エアハルトさん」




 虹彩の中の王家の星が、クラーラの熱い闘志につられて、より一層明るく瞬いた。




 ◇◆◇◆




 エアハルトが退場した後、キースリング国の執務室が狂乱状態になったのは間違いない。




「ど、ど、どういうことじゃ? 儂の耳が、おかしくなったんかのう?」




 侍従からの説明を受けて、国王の額に大量の脂汗が浮かぶ。


 顔が青ざめたシュテファンも、開いた口が塞がらないマルセルも、事態の突飛さについて行けない。




「いいえ、父上。私の耳にも、おそらく同じ内容が届きましたよ」


「これってかなり、まずいんじゃないか!? 絶対にエアハルトは怒るだろ!?」




 ガクガクと震える侍女はうまく話せず、侍従が事前に聞き取っていた内容を、詳らかにしたところだった。


 頭を抱える王家の三人に、先ほど経験したばかりの恐怖が蘇る。


 やっと危機が去ったと思ったのに――。




「陛下、どう対応いたしましょうか?」


「待て、いまだ儂の理解が追い付かぬ! まずはヨゼフィーネを呼んでくれ!」


「あれに説明させたところで、自分勝手な言い訳が出てくるだけでしょうけど」


「想像できる! あいつはどうしてこんなに、馬鹿なんだろうな!?」




 バタバタと、国王の命令を受けて騎士たちが散らばっていく。


 部屋か、庭園か、いつもヨゼフィーネがいるのはこのどちらかだ。


 しかし、こんなときに限って捜索は難航した。


 なぜかヨゼフィーネが見つからない。


 車椅子で移動しているのは分かったのだが、誰かを探して王城中をうろちょろしているようだ。




「もっと人手を増やせ! 至らぬことをする前に、さっさと捕獲するのだ!」




 もう国王もヨゼフィーネを庇えなかった。




「ついにあれは犯罪に手を染めたか。しかも相手が悪い」


「こりゃあ、ごめんなさいで済まされないぞ」




 そもそも身勝手な妹を見限っていた兄たちは、どう事態を収拾させるか考える。


 だが、国王がすべての責任をかぶるしか、方法はないように思えた。




「私が王位を継ぐのは、もう少し先だと思っていたんだがな」


「でも父上の首を差し出すぐらいしか、エアハルトへの謝罪の方法が浮かばねえよ」


「果たして、それで許してもらえるかどうか……」


「エアハルトとクラーラ王女の関係性にもよるな。もし、二人が恋人同士だったら、俺たちは血の海を見るぜ?」




 さあっとシュテファンとマルセルの顔から、血の気が引く。


 騎士たちが血眼になって探したヨゼフィーネが見つかったのは、夜遅くになってからだった。




 ◇◆◇◆




「エアハルトさまに夜這いをかけようと思っていたのに、どうして邪魔をするの?」




 エアハルトが部屋へ戻っているのを確認したヨゼフィーネは、侍女長と衣裳部屋にこもり、魅惑のランジェリー選びに没頭していたところを取り押さえられた。


 執務室へ引きずってこられた寝間着姿のヨゼフィーネの発言を聞いた国王は、さすがに雷を落とす。




「未婚の淑女が、なんということを企むのじゃ! そして侍女長は、どうしてそれを止めないんじゃ!」


「わ、私は姫さまの幸せを願って、誠心誠意お仕えしております。このたびの件も、エアハルトさまが姫さまを蔑ろにし続けた結果であって……」




 怯えてしゃべることも出来なかった侍女とは違い、どもりながらも侍女長は国王へと言い返す。


 シュテファンとマルセルは、その蛮勇に内心で舌を巻いた。


 主従は似るというが、この侍女長もヨゼフィーネに毒されて、何が大事か分からなくなっているようだ。


 侍女長の尻馬に乗り、ヨゼフィーネも国王へぶちぶちと文句を垂れる。




「エアハルトさまは、貧民の女に心をかき乱されているのよ。わたしくが目を覚まさせてあげないと、いつまでも物をたかられてしまうわ。だから今夜、わたくしの魅力を教えてあげようと……」


「馬鹿者! 相思相愛であれば婚約を許すと言ったが、犯罪行為を許した覚えはない! 夜這いは立派な不法侵入じゃ! そんなことをせずとも、ヨゼフィーネならば真正面から……」


「悠長にしている暇がなくなったのよ! せっかくわたくしとエアハルトさまが、婚約間近だって噂が広まっていたのに、あんな大きな声でクラーラへ愛を叫んじゃうから!」




 うわ~ん、とヨゼフィーネが泣きまねをする。


 ここで出てきたクラーラの名前に、シュテファンとマルセルが反応した。




「愛を叫んだ? つまりそれは、エアハルトとクラーラ王女は恋仲ということか?」


「最悪のパターンだ……!」

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