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第25話

 キースリング国へ行っていた船便がオルコット王国に帰ってきたが、それにエアハルトからの返信は積み込まれていなかったという。


 しかし、クラーラが出した手紙は、確実に王城の中へと配達されたそうだ。




「この結果を鑑みるに、エアハルトさん側に返信を出せない事情があるということね。つまり、フリッツさんが懸念していた監禁の可能性が高い……」




 がばり、とクラーラは立ち上がる。




「今こそ、考えていた作戦を実行するときよ。すぐにフリッツさんにも、連絡をしないと!」




 方々への伝達を侍女たちにお願いし、クラーラ自身はベンジャミンやファミーを説得するための想定問答集を作成する。


 予め、聞かれるだろう質問に対しての回答を用意しておくことで、落ち着いて面談に挑めるとはイライザの教えだ。




「今回の作戦名は、『エアハルトさん救出作戦』よ。そもそもエアハルトさんは、王女殿下から申し込まれた婚約をお断りするために帰国した。だけど何らかの事情があってその交渉が決裂、フリッツさんが予想していた中でも、最も恐れていた監禁状態にあると仮定できるわ」




 クラーラはフリッツから仕入れた城下町の情報を基に、エアハルトを助けに行くのは必然であるとベンジャミンやファミーに思ってもらうため、細かく一問一答を書き込んでいった。


 その姿を侍女たちも頼もしく見つめる。


 イライザのように、執務中の国王夫妻へ突撃するだけの『妹』力をまだ持っていないクラーラは、満を持して晩餐の時間を待ち構えた。




 ◇◆◇◆




「エアハルト君の窮地は分かったけれど、わざわざクラーラが足を運ぶ必要があるのかい?」


「臣下を監禁してまで、王女との婚約を承諾させようだなんて、権力の乱用じゃない。そんな危険な思想の国へ、クラーラさんを行かせられないわ」




 ベンジャミンもファミーも、家族としてクラーラの心配をしてくれる。


 それがくすぐったくて、嬉しくて、クラーラは微笑んだ。




「お兄さま、お義姉さま、ありがとうございます。ですが私は、オルコット王国の大使として、お兄さまやお義姉さまの代わりに物を申しに行くのです」


「オルコット王国の大使として?」


「単なる私事ではないと言いたいのね」




 国王夫妻がクラーラの言葉に興味を持ったようだ。


 クラーラはここぞと説得を始める。




「エアハルトさんの始めた配送事業によって、いかに城下町が生まれ変わっているのか、それを知れば黙ってはいられないと思います」


「活気が出ているとは聞いているよ」


「便利なものを知ってしまうと、人はそれがなかった頃には戻れないのよね」




 ファミーの言葉にベンジャミンも頷く。


 配送事業が好調なことは、国王夫妻も認めている。


 だが、エアハルトの功績は、それだけには留まらないのだ。




「私がお世話になっていた孤児院には、デレクという少年がいます。職を失った親御さんが、このままでは家族揃って行き倒れになるからと、幼い妹チェリーと共に院長先生へ託していったのです」




 ファミーが隣りに座るオーウェンを見た。


 家族が離れ離れになる悲しみを、想像したのだろう。




「初めはデレクも、両親が迎えに来てくれるのを待っていました。ですが不況は長引きます。やがてデレクは諦め、エアハルトさんに雇われて働き始めました。将来、チェリーを養って自立するために」


「兄というものは、妹を護らずにはおれないんだよ」




 ベンジャミンは兄として、デレクに共感を覚えたようだ。




「デレクは番地図の制作に携わりました。城下町のあちこちを歩き、建物の外観を覚え、そこに住む人や働いている人の名前を調べるのです」




 クラーラはそこで、ベンジャミンとファミーに尋ねた。




「お二人は、番地図を見たことがありますか?」


「執務室に置いてあるよ」


「分かり易いように、よく工夫してあるわね」




 その回答を聞いて、クラーラは頷く。




「城下町はとても広大です。その一軒一軒を訪ね、名前を地図に落とし込んだことで、奇跡が起きたのです。――デレクは親御さんの名前を、番地図の中に見つけました」


「ご両親は城下町にいたんだね!」


「きっと子どもたちを迎えに行きたくても、行けない事情があったんだわ」




 両親の住処を知ったデレクは、バリーに乗合馬車の乗り方を教えてもらい、貯めていた給金を使ってチェリーと一緒に訪問した。




「お義姉さんの仰る通り、親御さんたちは定職に就けず、日雇いばかりの苦しい生活をされていました。とても子ども二人を養う余裕がなかったのです」




 そこでデレクが見たのは、小綺麗で健康的な自分たちとは違う、襤褸をまとってやせ細っていた両親の姿だったのだ。




「親御さんたちは、かろうじて数字は分かるものの、文字の読み書きが出来ず、配達事業の雇用とは繋がれませんでした。オルコット王国の識字率は6割……決して親御さんたちが、悪いわけではありません」


「識字率を上昇させるのは、僕の抱える課題のひとつだ」


「子どもと違って大人は、学習する機会が少ないのも原因ね」




 読み書きを教わらず大人になってしまうと、改めて文字を覚えたいと思っていても、仕事をしていて時間がなかったり、教えてくれる人を見つけられなかったり、何重もの壁が邪魔をする。




「そこで番地図なんです」




 クラーラは顔を輝かす。


 エアハルトは謙遜していたが、配達業がオルコット王国へもたらしたものは大きい。




「デレクは親御さんへ、番地図の見方を教えました。そして、まずは自分たちの名前を覚えてもらい、次に東西南北の単語と、ご近所さんの名前や通っている店の名前を覚えてもらいました」


「番地図を文字の教科書にしたのか。しかも覚えるのは、馴染みのある身近なものばかりだ」


「東西南北は、どうしてなの?」




 ファミーの質問は、クラーラの用意した問答集にもちろん載っている。




「配達業は、配達する人だけで成り立っているわけではないのです。東西南北にある配達拠点には、集まった手紙や荷物を仕分ける人がいます。その職に就くには、最低限『東西南北』が読めなくてはいけません」


「それぞれの配達地域ごとに、前もって手紙や荷物を区分しているんだね」


「全ての宛名が読めなくても、雇ってもらえるの?」




 こくりと頷き、クラーラは肯定する。


 配達業に関する知識は、フリッツから教示してもらった。


 仕分けにも段階があって、最終的には宛名も読める仕分け人が、中央の収集拠点で番地図と照らし合わせてチェックをする。


 よりよい給金を求めるならば、少しずつでも文字を覚え、その職位を目指すといいとフリッツは言っていた。




「デレクの親御さんたちが就労すれば、これが成功例になります。番地図は、城下町の各家庭に配布されていますから、あとは学ぼうという気持ちがあれば――」


「なるほど、無料で文字が覚えられて、さらには職業訓練になる!」


「最初に覚える単語が東西南北だけでいいなら、多くの人が挑戦できそうね」




 今はまだ配達人が兼業している地域もあるが、手紙や荷物の量が増えれば、仕分けにかかる人手は足りなくなる。


 エアハルトの計画では、城下町である程度の成功が見込めれば、近隣の都市でも同様の展開をしていくそうだ。




「そうした面を考慮すると、エアハルトさんはオルコット王国の復興を担う重要人物です。いつまでもキースリング国で、監禁されていては困ります。だから王家を代表して、私が乗り込む理由になるのです」




 説明を終えて、ふうとクラーラは肩の力を抜いた。


 伝えたいことは伝えられたと思う。


 ベンジャミンやファミーが、倒産した工場などを買い上げ、国営の事業として立て直しを図っているのは知っている。


 しかし、一度離れてしまった職人たちを呼び戻すのは難しく、成功しているとは言い難かった。


 エアハルトがキースリング国から持ち込んだ配達業は、新形態の業種だったからこそ、みんながゼロの知識から始められてかえって良かったのだ。




「エアハルト君はすごいな。辺境伯家令息から、見事に実業家へ転身してみせた。僕たちは教えてもらっても、なかなか経営が上手くいかないというのに」


「私たちには、決定的に何かが足りないのよ。どうにかしたいという思いだけでは、突破口は開けないんだわ」




 国王夫妻は、正直に力不足を認めた。




「クラーラ、この件は任せるよ。思うようにやってごらん」


「エアハルト君をキースリング国から取り戻さないとね」




 こうしてクラーラは、『エアハルトさん救出作戦』を遂行することになった。

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