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第21話

 その次のレッスンの日、イライザは髪を短く切ってきた。


 事の真相を正されたベンジャミンが、短い髪のクラーラを可愛いとうっかり褒めてしまったせいで、イライザが対抗心を燃やしたのだそうだ。


 ファミーによく似た美しい栗毛が、重力から解き放たれて、軽やかに頬のあたりで揺れ動く。


 肩につかない長さは、この国の高貴な女性としては異例だ。




「これからは、古風なこだわりに囚われないことにしたの! 時代をリードするのは、いつだって私みたいな女性ですもの!」




 胸を張ってそう言われては、クラーラも頷くしかなかった。


 しかしクラーラは、こうなる可能性をファミーから予め教えられていたから、まだ耐えられた。


 なんの前振りもなしに短髪のイライザを見てしまった侍女たちは、完全に白目を剥いている。




「それじゃ、今日のレッスンを始めるわよ!」




 ノリノリのイライザが、持ってきた辞書みたいに分厚い本を開く。


 前回はほぼ何も教わらずに終わってしまった。


 ようやく始まったイライザの教鞭に、クラーラは熱心についていくのだった。




 ◇◆◇◆




 難解な宿題を毎回出してくるイライザのレッスンは、侍女たちから見て容赦がなかったが、学びたかったクラーラには心底ありがたいものだった。


 どれだけ骨の折れる難題だろうと、ニコニコしてやり遂げるクラーラを、いつしかイライザも正式に認めだす。




「なかなかやるじゃない! それでこそ私と人気を二分する、ライバルなだけはあるわ!」




 公爵令嬢のイライザが髪を短くした影響は、社交界に並々ならぬ激震を与えた。


 そして数人の令嬢が両親の反対を押し切り、クラーラやイライザの髪型を真似し始めたのだ。


 真っ直ぐに顎のラインで切り揃えたクラーラスタイルか、軽やかなウェーブで動きをつけたイライザスタイルか。


 この流行を予想していなかったクラーラは戸惑うが、イライザは平然として受け止めた。




「だって私なのよ? 話題の中心になって、当たり前でしょう?」




 これを聞いたクラーラはぜひとも、イライザのような胆力が欲しいと思った。


 なにしろ三か月後には、クラーラが主役となる、お披露目のパーティが待ち構えている。


 これまでに何度か、パーティに参加した経験のあるクラーラだが、それらはすべて幼少期のこと。


 側妃コリーンの後ろに隠れていればよかったし、小さな失敗をしても許される立場だった。




(今度のパーティは違う。多くの注目を浴びる中で、王族として相応しい振る舞いをしないと)




 それまでにはイライザからの学びを、自分のものにしておかなくてはならない。


 大きな舞台を前にして、クラーラの心臓は早鐘を打つ。




(でも王族に戻ると自分で決めた。だったら、きちんとその責を果たしたい)




 エアハルトの安否を知るために、王族という身分が必要だった。


 だが、利用するだけ利用して、何もしないのはおかしい。




(きちんと学んで、役に立てるようになったら、公務もさせてもらおう。……私にできることなら何でもやるわ)




 知らなかったとは言え、クラーラに関係する事柄で、民に重税が課せられたショックはまだ残っている。


 そこから生じた不況をクラーラひとりで挽回出来るとは思わないが、ただじっとしてはいられなかった。




(院長先生やエアハルトさんを思い出すのよ。自分で考えて自分で動く。私の理想を体現している二人は、素晴らしいお手本だから)




 二人とも、多くの人を救い、多くの人の希望となった。


 そこへ大胆不敵なイライザの啖呵をクラーラは思い浮かべる。




(目標は高い方がいい。これからはイライザさんも、私のお手本にしよう)




 侍女たちから嵐と恐れられるイライザが、まさかの『クラーラの憧れの人』入りを果たした瞬間だった。


 お披露目パーティのことを考えていたクラーラに、レッスンを終えたイライザがちょうどよく話題を持ち出す。




「ところで、お披露目パーティの準備は進んでる?」


「ドレスや靴を新たに仕立てることになって、採寸は終わりました」


「エスコート役と衣装のデザインは揃えるの?」


「エスコート役?」


「パーティ会場に一人で入場するわけないでしょ。お義兄さまはお姉さまをエスコートするし、オーウェンは小さすぎてまだクラーラの手を引けないし。早く頼んだ方がいいわよ。先着順なんだから」


「考えが及んでいませんでした……」


「多分、お義兄さまもお姉さまも、その辺りの手配が抜けてると思うわ。あの二人は常に、仕事に忙殺されているから」




 やれやれと首を振って見せるイライザ。


 クラーラは、エスコートと聞いてエアハルトを思い浮かべた。




(可能ならばエアハルトさんにお願いしたい。だけどまだ、安否の確認もできていないし……)




 首を傾げて悩むクラーラに、ピンと来たイライザが助言する。




「頼みたい相手がいるのね? だったら真正面から、お願いしてご覧なさいよ! こういうのは当たって砕けろなんだから!」


「イライザさんは、砕けたことがあるんですか?」


「まさか! 私は砕く側よ!」




 堂々とした上から目線の物言いに、クラーラは思わず吹き出す。


 笑ったことで、少し心が軽くなった。




「じゃあ、お願いしてみます。ちょうど手紙を、書こうと思っていたから……」


「熱烈な文章にするのよ!」




 イライザのアドバイスに、クラーラは素直に頷く。


 エアハルトへの思いの丈を、たくさんの愛の言葉に包んで、何枚もの便せんに認めた。


 そんなクラーラが書いた恋文が、まもなく海を渡る。




 ◇◆◇◆




「クラーラさん、待たせてしまったわね。ようやく船が帰って来たと、港から知らせが入ったわ」




 ファミーから船便が出せると教えてもらい、クラーラの頬が赤くなる。


 何度も読み返し、推敲を重ね、封をしたエアハルトへの手紙は、イライザに背中を押された勢いで、いつもよりも情熱的な文面になってしまったが、後悔はしていない。




「整備を終えたら、すぐにキースリング国へ向けて出発するそうよ。手紙の宛先は王城なのよね?」


「そこに滞在していると聞きました」


「だったら、王城の中までは確実に届くはずよ。専用の配達ルートがあると、聞いたことがあるわ」




 それを聞いて、クラーラは胸を撫で下ろす。


 今度こそ、エアハルトに手紙を読んでもらえそうだ。


 見習いシスターのクラーラでは、キースリング国の王城で門前払いをされていたのかもしれない。


 何しろ、エアハルトはベルンシュタイン辺境伯家の長男なのだ。




(差出人に姓が無ければ、ふつうは庶民と思われる。だから高貴な身分のエアハルトさんのもとまで、手紙が配達されなかったんだわ。……そう考えるのが、一番しっくりくる)




 まさか末姫のヨゼフィーネが、嫉妬に駆られて手紙を握りつぶしているとは、クラーラには思いつかない。




(あの手紙を、エアハルトさんが読んだら、なんて思うかしら)




 これまでは恥ずかしくて、最後の一文へ、そっと想いを綴るだけだった。


 だが今回の手紙は、誰が読んでも分かる、明らかな恋文だ。




(半年以上も、離れ離れになるとは思わなかった。そして会えない間に、こんなにも想いが募るなんて知らなかった)




 クラーラの初恋は、エアハルトとの別離によって、明確に形をなしていった。


 最初は淡い憧れだったのが、だんだん色濃く、くっきりとした感情になったのだ。




(私はエアハルトさんが好き。出来ることなら隣に並び立って、同じ景色を見続けたい)




 エアハルトの夢は壮大で、しかしオルコット王国を救う手立てでもあった。




(私もお手伝いがしたい。そのためにも、今はしっかり知識を身につけよう)




 イライザが用意した分厚い本は、すでに読破して内容も暗記している。


 それ以上を求めるクラーラの貪欲な姿勢に、周囲はこれから圧倒される。

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