「ヨゼフィーネはベルンシュタイン家の倅と、うまくやっておるか?」
「私はあれの世話係ではありません。父上が気になるようでしたら、あれの侍女長を呼んでください」
キースリング国の頂点に立つ国王の質問を軽くあしらうのは、第一王子のシュテファンだ。
ヨゼフィーネとは兄妹の関係にあたるが、顔形は似ても似つかない。
頬骨や目尻には鋭さが目立ち、薄い唇は冷酷さを表す。
いずれこの国を背負う者としての、厳格さがそこにはあった。
「ははっ、正直に教えてやればいいじゃないか、兄上。日がな一日、エアハルトが鍛錬している姿を覗き見しては、ニヤニヤ悦に入ってるってな」
シュテファンより少し角が丸い第二王子のマルセルが、笑い声をあげた。
しかしその手元では的確に書類をさばき、確実にシュテファンの右腕としての役を担っている。
国王と二人の王子が集う執務室には、気の置けない会話が飛び交った。
「なんだ、まだ落とせていないのか。ベルンシュタイン家に婿入りしたローラントから、せっつくように『義弟を解放しろ』と催促が来ておるんじゃが、誰か宥めてくれんか? 儂は怖くて敵わんわい」
「父上があれの我がままを、丸呑みするからでしょう? これ以上、私の仕事を増やさないでください」
シュテファンがわざとらしい溜め息をついた。
気まずそうに肩をすくめた国王は、チラリとマルセルに流し目を送る。
だが、マルセルからも首を横に振られた。
「なんじゃ、なんじゃ、頼りがいのない息子たちじゃのう。たった一人の娘を可愛がって、何が悪いんじゃい!」
唇を突き出して拗ねる国王もまた、書類をさばく速さは目を見張るものがある。
「国王陛下として父上を尊敬していますが、あれに対する教育だけは、見直したほうがいいと諫言します」
「甘やかしすぎだよなあ。軟禁されてるエアハルトが、籠の中の鳥みたいで可哀そうだぜ」
マルセルの口から呆れたように、先日は庭園でおままごとみたいなお茶会をしていた、と報告される。
「よく見ているじゃないか。そんなにマルセルはあれに関心があったのか?」
「勘違いしないでくれよ、兄上。ヨゼフィーネのやつ、裏で変なことをしているみたいなんだ。何かは分からないが……」
「……すべて父上に処理してもらいますからね。あれを野放しにするなんて、どうかしている」
チッと舌打ちをして、シュテファンは決裁の印をバンと叩きつけるように押した。
「高潔さの欠片もないあれを、まともな男が好きになるとは思えません。外見か身分か、そのどちらかを餌に嫁がせようとしていたのに――」
成人のお披露目の日、ヨゼフィーネをこれでもかと着飾らせたシュテファンの腹積もりは、あえなく瓦解した。
エアハルトに夢中になったヨゼフィーネが、多少は難があっても受け入れるという、シュテファンに都合のいい申し出を勝手に蹴ってしまったのだ。
「ベルンシュタイン辺境伯家のエアハルトは、私の眼から見ても、真っすぐで立派な男です。あれが陥落させるのは難しいでしょう」
シュテファンは断言するが、娘が可愛い国王は情けをかける。
「きっかけがあれば、男女の仲など、どう転ぶか分からんじゃろう?」
ヨゼフィーネのためにパーティのひとつも開催してやるかのう、などと宣う国王へマルセルが白い目を向ける。
「父上の私財でやってくれよ。ヨゼフィーネはすでに、今年度の予算を使い切ってるからな。パーティとなれば、ドレスだの靴だの、また新しく仕立てるってうるさいぞ」
「あれが臣下へ嫁げば、王族並みに金は使えないのだということを、父上は早く学ばせるべきですよ」
王子たちの厳しい忠告を余所に、ウキウキと国王は予定表を確認する。
「無理に嫁がせんでも、いいじゃないか。可愛いヨゼフィーネがいつまでも王城におっても、儂は全然かまわんがなあ」
「私が国王になったら、即刻追い出しますからね。……それよりも若いうちに、望まれて嫁ぐのがあれにとっては幸せだと思いますよ」
うんざりした声でシュテファンが国王へ宣告する。
まだヨゼフィーネが、権力を使ってエアハルトの手紙を奪っているとは、誰も気づいていなかった。
◇◆◇◆
クラーラが気を失った日から数日が経った。
起きてすぐは、さすがに事態の大きさに頭が痛かったが、それも次第に自分の中で昇華していった。
クラーラがここで立ち止まり、思い悩んだところで何も解決はしない。
物事をいい方へ進めたいのならば、一歩を踏み出すしかないのだ。
今はそう考えて、前向きに行動しようと決めた。
その日から、ベンジャミンが用意してくれた愛らしい部屋で、クラーラは寝起きをしている。
そして多くの侍女が、かいがいしくクラーラの世話を焼くのだが、まだそれには慣れない。
「クラーラさま、本日のお召し物は、どれにいたしましょう?」
色とりどりのドレスを持ってこられて、クラーラは頭を悩ませる。
これまでは、どんなときも修道服を着ていればよかった。
初めてエアハルトとデートに出かけるときに、困ったのを思い出す。
「私にはよく分からないので、選んでくれますか?」
クラーラが頼むと、侍女たちは喜んで今日の予定と合わせたコーディネイトを提案してくれる。
とても助かっているが、いつまでもこれでは駄目だとクラーラは思っていた。
(王族として扱われるのならば、王族としての振る舞いを覚えなくては。お兄さまにお願いして、学習の機会を設けてもらえないかしら)
その日の晩餐で、クラーラは思い切って胸の内を明かした。
テーブルについているのは、ベンジャミンとファミー、そして二人の息子であるオーウェンだ。
ファミーによく似たオーウェンだが、瞳の色は青く、夜になれば虹彩に橙色の星が輝くのだろう。
「必要な立ち居振る舞いを、学ばせて欲しいのです」
「まだクラーラは、王城に来たばかりじゃないか。そういうのは、もっと慣れてからでもいいんだよ?」
過保護なベンジャミンが心配する。
「私の王族としての暮らしは、10歳で止まっています。7歳のオーウェンと一緒に習うくらいで、ちょうどいいかもしれません」
スプーンを口に入れた状態で、きょとんとしたオーウェンがこちらを向く。
クラーラに名前を呼ばれたのがなぜなのか、分かっていない顔だ。
「オーウェン並みというのは謙遜しすぎよ。さすがドリス院長のもとで育っただけあって、クラーラさんの所作は美しいわ。ただ……知識はあっても損はしないし、いざというときの自信にもなるわね」
ファミーはクラーラに理解を示す。
もしかしたらファミーには、クラーラが毎日の服装選びにも難儀しているのが、伝わっているのかもしれない。
「私は王族として未熟です。恥ずかしくないだけの礼儀や作法を、身につけたいのです」
「クラーラはなんて殊勝なんだろう! 僕は感動したよ!」
うるうると瞳を潤ませるベンジャミンに、クラーラはおずおずと申し出る。
「あの……もうひとつだけ、お願いがあるんです。王城に来て早々、こんなことを頼むのは筋違いかもしれませんが……」
「なんだって頼んでいいよ! クラーラのためなら、お兄さまはどんなことでも叶えて――」
「ちなみに、どういった類のお願いなのかしら?」
ベンジャミンが安請け合いをしてしまう前に、ファミーがその口を塞いだ。
ファミーはしっかりとベンジャミンの手綱を握っているようだ。
「キースリング国へ、私的な手紙を出したいのです」
「そんなこと? お願いするまでもないような……」
疑問符を飛ばすファミーへ、これまで何度出しても、返事がこなかった経緯を説明する。
「一時的にキースリング国へ帰国された方との連絡が、長いこと途絶えてしまって……私だけでなく、オルコット王国に残ったご友人も心配しています。何が原因なのかは分かりませんが、王族として出した手紙ならば途中で紛失したりせずに、相手まで届くのではないかと思うんです」
「ふむ、クラーラの手紙だけでなく、友人の出す手紙も届いていないのか」
「こちらの手紙が届いていないのか、あちらからの手紙が届かないのか……それも分からないのですが」
「キースリング国はうちと違って、配達業が発展していたはずだが?」
おかしいな、とベンジャミンも不思議がる。
「その方の力添えで、オルコット王国でも城下町に限って、配達業が始まりました。身をやつしていた多くの失業者を雇用しているのです。将来は、成人した孤児たちの就職先にもなるでしょう」
「そう言えば、聞いたことがあるぞ。うら若き青年実業家の目覚ましい活躍を」
「私にとっても、大切な方なのです。せめて息災かどうかだけでも、知りたくて……」
ベンジャミンの視線がクラーラにまじまじと注がれる。
わずかにクラーラの頬が赤らんだのを、ファミーも見逃さない。
「クラーラさんとその青年実業家には、どういった繋がりがあるのかしら?」
興味を隠せない夫婦の質問攻めに、クラーラは洗いざらいしゃべらされてしまうのだった。