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第17話

「――話を続けると、僕たちは数年かけて経済の立て直しを図った。母はその間に、肖像画を探したらしい。すでに父上が保有するすべての別荘は調べ済みで、どこにもクラーラがいないことは突き止められていたんだ」


「最後の手がかりを私たちに奪われないように、お義母さまは事あるごとに王城で騒ぎを起こしてまわったの。お義父さまが亡くなってからの数年間は、まるで悪夢のようで――」




 ベンジャミンとファミーが、手を取り合う。


 こうして支え合いながら、苦難を乗り越えてきたのだろう。


 そこには政略による結婚とは思えない、愛の形があった。




「母の死は、本当にギリギリだった。というのも、クラーラの肖像画が父の隠し部屋から見つかった日に、母は亡くなったからだ。ようやく手にした糸口に、よほど興奮したのだと思う。いつもより母は深酒をして、おぼつかない足取りのまま、階段から転がり落ちたんだ」


「あっけない幕引きだったわ。私たちは、お義母さまが逝去したことを公表する前に、遺品を調査したの。そうしたら、側妃コリーンさまに関する証拠が出てきたというわけ」




 クラーラは、早鐘を打つ心臓を上から押さえる。


 急展開する事態に、必死についていくために。




「僕は、このままではいけないと思った。母の罪を明らかにし、王太后の肩書を剥奪するべきだと大臣たちに主張した」


「だけど、大臣たちがこれに反対したの。ようやく落ち着いてきた国政を、またしても混乱させるから……。なにしろベンは、お義母さまのただ一人の息子、影響しないはずがないものね」




 苦しそうなベンジャミンとファミーの心の葛藤が、クラーラにも伝わってくる。


 病死と扱われていたクラーラの母の死の真相を、詳らかにするのが果たしていいのか悪いのか。




「もし、ベンがお義母さまの件に絡んで王位継承権を失えば、次に王座に座る可能性が高いのはクラーラさんなのよ」


「そんな、まさか……!」


「クラーラにはちゃんと、王家の星が輝くだろう? 立派な王位継承者なんだよ」




 ベンジャミンは優しく説くが、クラーラはそれどころではない。


 そんな大それた役を担うために、王城へ来たわけではないのだ。


 細いクラーラのうなじに、冷や汗が流れ始める。


 そんなクラーラの顔色の悪さを察して、ファミーが口を挟んだ。




「私はクラーラさんの意見を聞くべきだと思ったわ。ベンや大臣がいくら検討を重ねたところで、望んでいない地位を押しつけてしまえば、結局はクラーラさんが不幸になるだけだもの」




 ファミーの弁に、クラーラは必死で頷き返した。


 クラーラは10歳のときから王城を離れ、今まで政治とはかけ離れた世界にいた。


 いきなり王座と言われても、訳が分からなくて尻込みしてしまう。




「そこで、どこかに匿われているだろうクラーラを、本格的に探そうということになった。死の間際に父上が言い残した、クラーラの肖像画も見つかったしね。専門家も集まって、徹底的に肖像画を調べたよ。額装を外して、キャンバスの裏面も確認した。でも、どこにも何も書かれていなかったんだ」


「あのときは失望したわね。お義父さんが何を伝えたかったのか、私たちは分かっていなかったんじゃないかと落ち込んで……」


「でも、修道院へ馬車が来たということは、お兄さまたちは答えに辿り着いたんですよね?」




 そうでなければ、迎えが来るはずがない。


 ベンジャミンはクラーラを見つめると、柔らかく笑った。




「思い出したんだよ。誰がその肖像画を描いたのか。絵にはサインがなかったけれど、僕はクラーラがスケッチされる場に居たからね」


「私の絵を描いてくれた人が、手がかりを持っていたのですか?」


「当時のクラーラは、まだ3歳だったかな。あの方はすでに――髪が短かった」


「っ……! もしかして……」


「そう、ドリス院長だよ。著名な画家に師事していた経験があって、その腕前は玄人はだしだった」




 クラーラとドリスが、あの始まりの夜よりも以前に会っていたなんて、驚きだった。




「私……院長先生のこと、覚えていませんでした」


「仕方がないよ、3歳だもの。でもドリス院長は、大きくなったクラーラに会って、懐かしく思っただろうね」


「あとでその肖像画は、クラーラさんに届けるわ。額装を外したから、今は修繕に出しているの」




 ベンジャミンたちは、微かに繋がっていた糸を辿って、クラーラを探し出してくれた。


 そして――もう、この王城から脅威は去ったのだ。




「クラーラ、今日からは王城で暮らして欲しい。そして今一度、兄妹愛を深めよう。僕たちは不幸にも、すれ違う時間が長かった。これからはその溝を埋めて――」


「また始まった。ベンのこれは病気ね。どれだけクラーラさんが好きなの?」


「ファミーだって、生まれたてのクラーラを見ていたら、心を射ぬかれたと思うよ! それはもう、ほやほやのふにゃふにゃのぷにぷにで――」


「私も妹が生まれたときに、初めて赤ん坊というものを見たけど、小さすぎて逆に怖かったわ」


「イライザも甘えん坊で可愛いよね。クラーラがいない間、僕がどれだけイライザに慰められたことか……」


「ベンが甘やかすから、あの子が調子に乗るのよ。私はもっと、厳しく躾けた方がいいと思うわ」


「息子のオーウェンみたいに、男の子ならそれでもいいけど――」


「今の時代は男も女も、逞しくないと駄目よ!」




 目の前で国王と王妃による育児論争が始まって、クラーラは一気に力が抜けた。


 強張っていた手足に、やっと血が通い出す。


 それまで毒殺だとか王位継承権だとか、クラーラの想像の及ばない話が続いた。


 クラーラの張りつめていた糸が、ぷつんと切れる。




「あら、クラーラさんの血色が良くないわ。鬱々した話が多かったせいね」


「大変だ、僕が抱えて運ぶよ!」


「クラーラさんは子猫みたいな少女じゃないのよ。ひょろひょろのベンに、任せられるはずがないでしょう」




 ファミーが部屋の外で護衛をしていた騎士を呼ぶ声がする。


 その声を最後に、クラーラの意識はことんと落ちた。




 ◇◆◇◆




「エアハルトさま、今日は少し体調がいいんです。それで良かったら……ご一緒に、散策でもいたしませんこと?」




 ヨゼフィーネに誘われて、エアハルトは手入れの行き届いた王城の庭園を歩く。


 多少、でこぼこした道のりもあるが、エアハルトの力強い手押しのおかげで、ヨゼフィーネの乗った車椅子は難なく進む。


 ずっと室内にこもりきりだったエアハルトにとっても、外の空気は開放的で気持ちがよかった。




「快晴ですね。こうして日光を浴びるのは、健康にもいいそうですよ」




 エアハルトは礼儀正しく、ヨゼフィーネの相手をした。


 なにしろ婚約の申し出を引っ込めてもらわなくてはならない。


 ヨゼフィーネの機嫌を取っておいて損はないのだ。




「エアハルトさまと一緒なら、外に出るのも楽しいですわ。……また、お誘いしてもいいかしら?」


「ヨゼフィーネさまの体調次第ですね。無理をさせてはいけないと、侍女長からは厳しく言われているので」


「侍女長は大げさなんですわ。心配してくれるのは嬉しいけれど……わたくしはもっと、エアハルトさまと過ごす時間が欲しいんです」




 ヨゼフィーネはエアハルトを見上げ、美しいと評判の金色の瞳を潤ませた。


 キースリング国でも珍しいピンクゴールドの髪がそよ風になびき、ヨゼフィーネの色白な肌をくすぐる。




「その意見には賛成ですね。俺もヨゼフィーネさまに、相談したいことがあるんです」


「でしたら、この後にお茶をしましょう。もう少し先にガゼボがあるんです」




 やっと婚約について話しができる。


 そう喜んでいたエアハルトだったが、楽観視しすぎていた。


 辿り着いたガゼボでは侍女長が目を光らせていて、とても言い出せる雰囲気ではない。


 始終ヨゼフィーネのご機嫌をうかがい、別れ際には手の甲にキスを求められた。




(何なんだよ、これは。俺はヨゼフィーネさまの騎士でもないのに、どうして――)




 嫌々ながらもエアハルトは従う。


 いつかヨゼフィーネと、婚約の話ができると信じて。


 そのときはキッパリ断ろうと心に決めて。




 だが、状況はエアハルトの思わぬ方へ転がっていくのだ。

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