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第13話

「こんにちは、あなたがクラーラちゃん? 初めまして、エアハルトの姉のカロリーネです」




 いよいよ出発の日が近づき、エアハルトは修道院へ足を向けた。


 クラーラへ、カフェに行けなくなったと謝り、一時的に帰国する件を伝えなくてはならない。


 重い足取りで辿り着いた修道院には、なぜか嬉々としてクラーラに話しかけるカロリーネの姿があった。




「エアハルトさんの、お姉さんですか?」




 急に声をかけられたクラーラは戸惑う。


 黒い髪と黒い瞳、そして鼻筋の通った顔つきが、艶のある男装姿を際立たせている。


 エアハルトとよく似たカロリーネを、偽物と疑う余地はどこにもなかった。




「見習いシスターのクラーラと申します。よろしくお願いします」




 エアハルトから聞いていたカロリーネの身分を思い出し、クラーラは院長のドリスに教わった正しい淑女の挨拶をした。




「そんなに畏まらなくていいのよ。辺境伯なんて、肩書だけは立派だけど、基本的に脳筋なんだから」


「ノウキン?」




 疑問符を飛ばしているクラーラをエアハルトが助けに行く。




「姉さん、クラーラの迷惑になるから、これ以上は――」


「クラーラちゃんが誰に会って何を話そうと、それはクラーラちゃんの勝手というものよ。……エアハルト、今からそんなに狭量では嫌われるわよ?」




 ジト目なカロリーネの言い分に、エアハルトは言葉を詰まらせる。


 クラーラに嫌われるのは心が締め付けられるように悲しい。


 しかし背後から、エアハルトを擁護するクラーラの声がした。




「これくらいで嫌ったりはしませんから、大丈夫です」


「クラーラ、俺の女神……!」




 クラーラの両手を握りしめ、感極まっているエアハルトの姿に、カロリーネが瞠目する。




「恋は人を変えると言うけど、エアハルトってそんな感じだったっけ?」




 エアハルトはカロリーネを無視して、訪ねた目的を説明する。




「クラーラ……実は急な用事ができて、一度キースリング国へ戻ることになった。その出発が、次の休日よりも前になりそうなんだ。……せっかくデートに誘ってくれたのに、行けなくなって申し訳ない」


「そうだったんですね。お帰りは、いつ頃になるのでしょうか?」


「できるだけ早く帰るつもりだが、相手次第というか……」




 エアハルトも王家の婚約を断った経験がないので、それにどれだけの時間がかかるのか分からない。


 はっきりと「否」を突きつけて、すっきりした身の上でクラーラの元へ帰ってきたいとは思っている。




「しばらく待たせてしまうが、俺はクラーラとカフェに行くのを、本当に楽しみにしている。だからどうか、俺を忘れないで欲しい」


「もちろんです。忘れたりしませんよ!」




 にこりと微笑むクラーラの頬に、エアハルトは思わず手を伸ばす。


 白くて柔らかいそれが、瞬く間に赤く染まっていくのを、愛おしげにうっとりと眺める。




「クラーラ、君の汚れなき美しさは、髪の長さなんかでは測れない。手間暇かかった美味しいスープも、子どもたちの体調を考えた献立も、食材を大切に扱った保存食も、すべてがクラーラの心の美しさの現れだ。俺の想いはクラーラの側に置いていく。……愛している」


「エアハルトさん……」




 クラーラの瞳が歓びで潤む。


 一途に愛される幸せが、全身を駆け巡った。




「エアハルトさんも、私のお返事を待ってくれていますよね。今度は私が待つ番です」


「クラーラ……!」




 胸がいっぱいになったエアハルトが、クラーラに抱き着こうとしたのを、カロリーネが体を使って止めた。




「はい、ここまで。どうやらクラーラちゃんとは、まだ恋人同士ではないみたいね。それならば手出しは厳禁よ」


「姉さん……」




 エアハルト同様、辺境伯家の常識で育てられたカロリーネもまた、剣術のみならず体術にも長けていた。


 犯罪者のように捕縛されたエアハルトは、名残惜し気にクラーラを見やる。




「クラーラ、必ず手紙を出す。まだ配達業は始まっていないが、フリッツが届けるから!」




 カロリーネに引きずられていくエアハルトは、瞬きも忘れてクラーラの姿を目に焼きつける。


 クラーラもまた、エアハルトが見えなくなるまで手を振った。




(お手紙が届いたら、お返事を出したい。私には海の向こうまで届ける手立てがないから、フリッツさんに相談してみよう)




 このときクラーラとエアハルトは、この別れを軽く捉えていた。


 二人とも、つかの間のことだろうと思っていたのだ。




 ◇◆◇◆




 もうすぐクラーラは21歳の誕生日を迎える。




 これまでにエアハルトから届いた手紙は、キースリング国へ到着したという最初の一通のみ。


 それから数か月、なんの音沙汰もない状態が続いていた。


 エアハルトを心配したクラーラは、何度もフリッツを介して、安否を確認する手紙を出した。


 しかし、それに対する返信が全くないのだ。


 不審に思ったフリッツも、エアハルト宛ての報告書を出すが、そちらにも反応が返ってこなくなったという。




「考えにくいことですが、エアハルトの身に何かが起きているとしか思えません。カロリーネさまにも尋ねてみましたが、どうやらエアハルトは辺境伯領ではなく王城に滞在しているみたいで、様子が分からないそうです」




 エアハルトはキースリング国へ旅立つ前に、フリッツに詳細な仕事の指示を残していったので、つつがなく準備が整った配達業はすでに始動している。


 本来であれば、よい滑り出しを祈願して式典のひとつも執り行おうという話だったが、エアハルトが不在なため中止にしたそうだ。




「ハルに事業を任されていなければ、僕がキースリング国へ行って、現状の確認をしてくるのですが……」




 項垂れるフリッツは、エアハルトの無事を確かめたくて、仕方がないのだろう。


 クラーラもまた、遠く離れたエアハルトの息災を祈るしか出来なかった。




 ◇◆◇◆




 気懸かりがあると、どうしても暗い顔つきになるのか、このところクラーラはよく体調を案じられた。


 理由を知っているドリスは、あえて触れないようにしてくれるが、幼い子どもたちはそうではない。




「クラーラお姉ちゃん、今日も具合悪い?」




 顔を覗き込むようにしてチェリーが訊ねてくる。


 それを止めたのは兄のデレクだ。




「チェリー、大人には大人の事情ってもんがあるんだ。今はクラーラお姉ちゃんを、そっとしておいてあげよう」


「そうなの? じゃあ、チェリー黙ってるね」




 自分の口を両手で押さえたチェリーは、クラーラへ頷いて見せた。


 これで何も聞かないよ、と態度で示しているのだ。


 デレクやチェリーの配慮が有り難くて、クラーラの瞳に涙の膜が浮かぶ。




(これくらいで泣いては駄目。強くならなくちゃ!)




 瞬きの回数を増やして、なんとか涙を蹴散らす。


 そしてデレクへお礼を伝える。




「デレク、ありがとう。今は少しだけ、エアハルトさんがいないのが寂しかったの。きっともうすぐ、戻ってきてくれると思うから――」




 そうしたら元気になるわ、とクラーラは続けるつもりだった。


 だが、その前にデレクがぽろりと零してしまう。




「エアハルトお兄ちゃん、帰ってこないかもしれないよ。クラーラお姉ちゃんも、そう思っているから落ち込んでいるんだろう?」


「帰ってこれない? それは、どうして……」


「クラーラお姉ちゃんは聞いてないの? エアハルトお兄ちゃんに、婚約の申し込みが来ているんだ。しかも相手はお姫さまなんだって。さすがに断るのは……恐れ多いんじゃないかな」




 デレクだって、子どもながらに知っているのだ。


 王家がこれと言えば、臣下も民も逆らえない。


 そうやって重税が課され、今もオルコット王国はその後遺症に苦しんでいる。




「エアハルトお兄ちゃんが王族でない限り、王家には従うしかないよね?」


「デレクはその話を、エアハルトさんから聞いたの?」


「事務所にエアハルトお兄ちゃんのお姉ちゃんが訪ねてきて、そういう話をしていたんだ。僕はちょうどお茶を出したから、聞いてしまっただけ」




 仕事をしていると言っても、デレクはまだ未成年だ。


 聞きかじった話を、誤解している部分があるかもしれない。


 クラーラはフリッツにちゃんと確認をしようと思った。




(もしフリッツさんが、デレクの話を肯定したら……)




 エアハルトの言葉を信じたい思いと、いつまでも届かない手紙の件が、クラーラの心の中でぐるぐると渦巻いた。

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