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第12話

「カロリーネさま……どうして、ここに?」




 フリッツは、オルコット王国にいるはずのない、忘れたかった人物に出会って面食らう。


 騎士のような服に細い剣、麗しい黒髪を高く結わえた女性は、びしりとフリッツの背後を指さした。




「それはエアハルトに聞いてちょうだい。再三の私の呼び出しを無視した愚弟にね!」




 声がよく通るのは、エアハルトにそっくりだ。


 意志の強い黒い瞳と、それに見合う威厳を備えた男装の麗人は、エアハルトの姉カロリーネだった。


 事務所で仕事をしていたエアハルトとフリッツのもとへ、護衛騎士をぞろぞろ引き連れたカロリーネが現れたのはついさきほどだ。


 エアハルトはぎしっと音をさせて椅子の背もたれに寄り掛かると、唇を突き出し不平を漏らす。




「無視しただなんて、人聞きの悪い。俺が姉さんの手紙を受け取ったのは、オルコット王国に入る前の一度だけ。それ以降は、一通も届いてないからな」


「そんなはずはないわ! 私はこの数日間で十通も出したのですからね!」


「残念ながら、カロリーネさま……オルコット王国には手紙を配達する仕組みが、まだないんですよ」




 姉弟ケンカの仲裁に入ったのはフリッツだ。




「おそらく、ハルの居場所を探してまで手紙を届ける人が見つからず、港あたりで止まっているのでしょう」


「なんてこと! ……ここへ入国した後、フリッツから知らされていたホテルに行ったら、すでにエアハルトは出た後だと言うじゃない。もしかしたら入れ違いになっていて、オルコット王国にはもういないのかと思ったわ」




 カロリーネはエアハルトの真正面の椅子に座ると、溜め息をついた。


 どうやらこの場所を探すのに、相当の手間がかかったようだ。


 エアハルトが気まずげにしていると、カロリーネの前にカップが出された。




「どうぞ。お茶を飲むと、気持ちが落ち着くよ」




 それは空気を読んだデレクだった。


 エアハルトが怒られているらしいと察して、カロリーネを宥めようと思ったのだろう。


 主と同様に、叱られている気分だったフリッツが、ホッとした顔をする。




「あら、気が利く子がいるのね。まだ小さいのに感心だわ」




 カロリーネがデレクの亜麻色の髪を優しく撫でる。


 孤児院の中では一番の年かさで、あまり子ども扱いをされ慣れていないデレクは、顔を赤らめて引っ込んでいった。


 その後ろ姿をにこにこと眺め、カロリーネはカップに手を伸ばす。


 エアハルトとフリッツは互いに視線を交わし、カロリーネの出方を待つ。


 温かいお茶をゆっくりと飲み、心を鎮めたらしいカロリーネがいよいよ本題に入った。




「エアハルト、至急キースリング国へ戻りなさい」


「俺はこの国で事業を始めたばかりだ。今、抜ける訳にはいかない」


「まだ本腰を入れていないなら、むしろ離れやすいでしょう?」


「すでに何十人も雇って、その生活を預かっているんだ。無責任なことはしたくない」




 カロリーネがちらりと、デレクが去った方を見る。




「さっきのデレクだけじゃない。この事務所の他にもいくつか拠点があって、城下町にあふれていた失業者たちを、順次採用しているところなんだ。まだまだ俺は、会社を大きくするつもりがある」


「なるほど……慈善事業も兼ねていると言いたいのね」


「そんな恩着せがましいつもりはない。オルコット王国が不況から立ち直ろうとしているこの時に、俺が出来ることは何かを考えただけだ」




 カロリーネが足を組む。


 そしてエアハルトの黒い瞳を、探るようにじっと見つめた。




「やけにオルコット王国に肩入れするじゃない? 本来の旅程では、もっと多くの国を見て回るはずだったでしょう?」


「っ……!」




 図星をつかれたエアハルトは、ふいと顔を逸らす。


 それでカロリーネは確信した。




「さては、惚れた女ができたわね。フリッツ、そうでしょう?」


「カロリーネさま……それは」




 フリッツはカロリーネに弱い。


 しかし、エアハルト専属の付き人となったからには、ここは口を閉じる場面だと頑張った。


 カロリーネは口を割らないフリッツから、エアハルトへ視線を戻す。




「エアハルト、それならばなおのこと、キースリング国へ戻るのね」


「だから、それは出来ないと――」


「あなた宛てに、王家から婚約の申し込みが来ているわ」




 エアハルトもフリッツも、息を飲んだ。




「なぜ……俺に?」


「私がローラントさまに見初められた、王家主催のパーティがあったでしょう?」


「昨年の、末姫さまの成人祝いの日だな。国中から高位貴族の嫡男が招待されて、俺は姉さんをエスコートして参列した」


「あの日に見初められたのは、私だけではなかったのよ」




 国境にある辺境伯領は、王都から遠い。


 めったに顔を見せないベルンシュタイン家の姉弟が揃い踏みし、会場中の注目を集めたのは仕方のないことだった。


 そこでカロリーネは、退役間近だった騎士団長のローラントに一目惚れされ、その日のうちにプロポーズされる。


 頑健で屈強なローラントが、カロリーネの理想像にぴったりだったこともあり、12歳の年の差を物ともせずに二人は結ばれた。


 しかし、その夜に発生した恋物語は、それだけではなかったらしい。




「末姫であるヨゼフィーネさまが、エアハルトとの婚約をご所望よ」




 成人したヨゼフィーネのお披露目の場は、目ぼしい降嫁先を探す場だったのだろう。


 高位貴族の嫡男ばかり集められたのがその証拠だ。


 エアハルトよりも爵位が上な嫡男もいたはずだが、ヨゼフィーネのお眼鏡には適わなかったのか。




「どうして今になって? あのパーティから、随分と間が空いている」


「それは私たちのせいね。ローラントさまが退役後に婿入りして、私がベルンシュタイン辺境伯家の当主になったのが関係しているの」




 それでも理由が分からぬエアハルトが首をかしげていると、横からフリッツが解説する。




「ハルが辺境伯家の跡継ぎから外れたからでしょう。ヨゼフィーネさまのお相手の条件は、後継者のみと定められていたのではないでしょうか」


「その通りよ。だからヨゼフィーネさまの希望は、一旦は退けられた。でも……エアハルトを諦めきれなかったみたいね」




 カロリーネが肩をすくめる。




「ローラントさまが小耳に挟んだ情報によると、ヨゼフィーネさまが国王陛下に直接、我がままを言ったらしいわ」


「爵位のない俺と婚約したいって?」




 呆れたエアハルトの口調に、フリッツも同意した。


 末姫とは言え、王女が嫁ぐ相手に爵位がないなどあり得ない。




「まさか国王陛下は、それを了承したんじゃないだろうな?」


「愛娘かわいさとは言え、さすがに否定して欲しいですね」




 主従が話し合っているところに、カロリーネが口を挟む。




「国王陛下は条件をつけたそうよ」




 そして、びしりと人差し指を立てた。




「エアハルトと相思相愛になること。幸せな結婚以外は、認めないと仰ったの」




 顔をしかめるエアハルトと、納得するフリッツ。




「なんだそれは?」


「末姫さまの我がままを叶えたのではなく、ハルと両想いだから仕方なく認めました、という建て前が欲しいのでしょう」


「そんなのお断りだ。俺の心にいるのは、クラーラだけだ」




 惚れた相手はクラーラちゃんという名前なのね、とカロリーネが胸中でこっそり呟く。


 憤慨しているエアハルトをフリッツが宥める。




「ハル、この話を断るにしても一度、帰国せねばならないでしょう。きちんとクラーラちゃんに、説明をした方がいいと思いますよ」


「せっかく、次のデートで行くカフェを、決めたばかりなのに……」




 はああああ、と大きな溜め息をつくエアハルトの両肩に、フリッツが手を置く。




「オルコット王国には僕が残ります。せっかく軌道にのりかけている事業を、頓挫させるわけにはいきません。デレクも含めて、社員たちのことは安心して任せてください」


「あら、フリッツは帰らないの? 久しぶりに、ハインミュラー伯爵夫妻に顔を見せてあげたら?」




 カロリーネの言葉に、フリッツは首を振る。




「両親は僕の旅の目的を知っていますから、帰らなくても気にしませんよ」


「エアハルトに付き合っているだけじゃなく、フリッツ自身にも目的があったのね」




 知らなかったわ、と驚くカロリーネは、自身が原因だとは知らない。


 フリッツは長らく幼馴染のカロリーネに恋をしていた。


 それが昨年、騎士団長ローラントの登場により見事に砕け散ったのだ。




(ただの筋肉ダルマだと思っていたら、頭脳も明晰だなんてズルいですよね。それだけ優秀でないと、騎士団長なんて職位には就けないんでしょうけど)




 カロリーネが連れてきた婿ローラントは、すぐにフリッツの片想いを見抜いてしまった。




『君が恋した人はすごいね。生まれてこのかた40年、女性にときめきを感じたことのなかった私が、瞬く間に堕ちてしまったのだから』




 カロリーネを褒められて、悪い気はしない。


 男としての包容力も甲斐性も、ローラントには敵わないと思った。


 だからフリッツは、見苦しくあがくこともせず、身を引いて傷心旅行へと出たのだ。




(両親もそれを知っているから、カロリーネさまと一緒に戻るなんてしないと、理解してくれるでしょう)




 まだフリッツの心は、癒えてはいないのだから。

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