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第5話

「クラーラ、今日は子どもたちだけでなく、あなたにとっても良い日となったようね」


「あんなにスープを褒められたのは初めてで……正直、舞い上がりました」




 女の子たちを寝かせ終え、物置を改装した寝室に戻って来たクラーラは、同じく男の子たちを寝かせ終えた院長のドリスと合流する。


 陽の当たる部屋は子どもたちに明け渡し、クラーラとドリスは窓のない暗い部屋を寝室にしていた。




「エアハルトさんやフリッツさんと話してみて、どうだった?」


「お二人のやり取りがおかしくて、声を上げて笑ってしまって」


「単なる旅人だと言っていたけれど、あの二人はおそらく貴族よ。態度も紳士的だったし、クラーラの嫌がることはしないと判断して招き入れたの。同世代との交流は、垣根なんてすぐに無くなったでしょう?」




 クラーラの秘めた寂しさは、ドリスに見抜かれていたようだ。


 部屋の明かりを消して、サイドテーブルに小さなロウソクを灯す。


 そうするとクラーラの瞳の中に、橙色の星が煌めき出した。


 その美しい星を見て、ドリスがぽつりと心情を漏らす。




「あなたに王族の血が流れていることは、変えられない事実だわ。もしかしたら今後、望む望まないに関わらず、王城へ帰る未来があるかもしれない。――それまで私は、出来る限りここでクラーラを護りましょう」


「でも、王城には……」


「今は王太后となったダイアナさまも、齢を取られたわ。いつまでも、権力を握っている訳ではないのよ」




 クラーラを可愛がってくれた両親はもういない。


 そんな状況の王城へ行くのが、クラーラにとって幸せかどうか。


 不安げな顔を見せるクラーラへ、ドリスは別の話題を振った。




「エアハルトさんは、クラーラに好印象を抱いたようね。あの様子では、また近いうちに訪れてくれるでしょう。そのときはあなたが、おもてなしをしてあげてね」


「は、はい。頑張ります」




 薄暗がりでも、クラーラの頬が赤らんだのが分かる。


 誠実で優しい好青年のエアハルトへ、クラーラが淡い想いを抱くのも仕方がない。


 20歳になるまで、若い男性との出会いすらなかったのだ。




 クラーラが年頃になった辺りから、その美貌を隠すため、なるべく裏手の仕事をドリスは任せた。


 治安が悪化の一途を辿る中、修道院へ不埒な輩がやって来ないとも限らない。


 だが、このまま護られてばかりでは、クラーラは世間知らずに育ってしまう。




(そろそろ、表舞台との接触を図ってもいいでしょう。あまりに経験不足では、かえって危ないかもしれないから)




 王城へ呼び戻されるにしても、どこかで隠れて暮らすにしても、クラーラが身につけた知識は力になる。


 ダイアナだけでなくドリスも、クラーラを預かって10年が経ち、それだけ齢を取った。


 いつまでも堅固な盾となり、クラーラを匿い続けるのは難しいだろう。




(信じてクラーラを預けてくれた国王陛下への大義として、私がこの世を去る前に、クラーラを庇護してくれる者を見つけなくては)




 女手では限界がある。


 できればクラーラを心から大切に想い、クラーラも同じ想いを返せる男性が望ましい。


 果たしてエアハルトは、その大役を果たせるかどうか。


 今はまだ芽生えたばかりだろう二人の想いを、ドリスは見守ると決めた。




 ◇◆◇◆




「この前のお兄ちゃんたちだ!」


「また来てくれたんだね!」




 結局、エアハルトとフリッツは野菜や果物が詰まった木箱を抱え、孤児院を再訪した。


 玩具はどうだろうか? と思ったが、エアハルトもフリッツも、子どもたちの年齢に適したものが何か、まるで分からなかったのだ。


 エアハルトは幼児の頃から、玩具として木剣を握らされていたが、それはベルンシュタイン辺境伯家だけの常識だろう。


 同じくエアハルトの側近として育てられたフリッツも、遊びなど二の次で、勉強漬けの少年期を過ごした。


 ふたりとも、この分野の経験則が不足していて、早々に諦めざるを得なかった。




「俺たちの当たり前が通用しない場面は、世の中にたくさんあるな。これもまた、貴重な学びだ」


「食べ物をいただいたのですから、食べ物を返すのが一般的かもしれませんね」


「貴族同士だと、相手が思っている量の倍は贈れと言うが……普通はどうなんだろうな?」




 こうして知識の偏りを自覚しながら、エアハルトはフリッツと共に、持てるだけの量を持っていくと決めた。


 それが大きめの木箱に山盛りの野菜と果物だったのだ。


 ちゃんとフリッツの持っている木箱は、エアハルトよりも軽くしてある。




「お久しぶりです、エアハルトさん、フリッツさん」




 子どもたちに呼ばれて、クラーラが庭へ顔を出す。


 どうやら奥で洗濯をしていたらしい。


 クラーラからは、しゃぼんの香りがした。




「先日のスープのお礼になればと思って、勝手に持ってきたのだが……」




 本当にこれで良かったのか、今でも分からない。


 その自信のなさがエアハルトを口ごもらせた。


 多くの部下を従え、いざとなれば越境してきた敵と剣を交えるエアハルトだが、クラーラの前では初心な少年のようだった。




「こんなにたくさん! ご支援に心から感謝します」




 大量の野菜と果物を前に、クラーラは笑みを弾けさせる。


 これだけあれば、数週間はやりくりができる。


 想像していた以上にクラーラに喜んでもらえて、エアハルトはホッと胸をなでおろした。




「よかったら今日は、夕食を召し上がっていきませんか? ニンジンは入れませんから」




 クラーラからの申し出に、エアハルトは一も二もなく頷いた。


 ニンジンのくだりは、赤い顔で聞き流して。




「ハル、僕は子どもたちと遊んでくるから、クラーラちゃんのお手伝いを任せます」




 フリッツはしびれた腕を揉むと、子どもたちと庭へ出て行った。


 どうやら持ってきた木箱が、フリッツには相当な負荷だったらしい。




「どちらも厨房へ運ぶよ。クラーラは先に、洗濯を済ませてくるといい」


「洗濯は院長先生が交代してくれたんです。私は、エアハルトさんたちに挨拶をしてくるように、と言われて……」




 クラーラの紅潮した頬からは、再び会えたエアハルトへの好意があふれていた。


 それが嬉しくて、自然と口角が持ち上がったエアハルトは、フリッツが置き去りにした木箱も軽々と肩に抱え上げる。


 今ならどんな敵が現れたって、簡単に倒せそうだった。




 ◇◆◇◆




 クラーラの夕食作りの邪魔にならないように、厨房まで木箱を運んだ後は、エアハルトも子どもたちの仲間に混ぜてもらった。


 フリッツが絵本を読み聞かせている隣で、エアハルトはカード遊びに参加する。




「これは頭を使う。みんな、よくカードの場所を覚えていられるな」




 伏せられたカードをめくり、絵合わせをしていく単純なルールだが、そもそもカードの枚数が多い。


 それが床にバラバラに配置されていて、エアハルトは自分がどれをめくったのか、もう怪しかった。




「なんにでもコツがあるんだよ」




 カードを一番多く取っているデレクが、内緒話をするように教えてくれる。




「全部の位置を、最初から完璧に覚えるのは難しいよ。頭の中でカードの配置を、東西南北に分けるんだ」


「四分割するということか?」


「そして最初は北にあるカードだけ、確実に覚えていく」


「ふむ、それならなんとかなりそうだ」


「そうして北のカードを取ったら、次は東……って順番にね。僕くらいになると、同時に北も東も南も覚えられるよ」




 えっへんと胸を張るデレクに、妹のチェリーが手加減をしろと憤慨していた。


 そんなチェリーよりも枚数が劣っているエアハルトは、また知見を得たと喜ぶ。




「本当はもっとズルいやり方もあるんだけど、それをしちゃうと面白くないからね」


「ズルいやり方?」


「エアハルトお兄ちゃんは強そうだから絡まれないだろうけど、フリッツお兄ちゃんは気を付けた方がいいかも。昼間から酒を飲んでるおじさんたちに、賭けを挑まれても絶対に乗っちゃ駄目だよ」




 名前を出されたフリッツが、振り返ってデレクを見る。




「僕がどうかしましたか?」


「フリッツお兄ちゃんが弱そうだから、カモにされるって話。イカサマのカードゲームに誘われて、お金を巻き上げられる観光客がいるんだ」


「なるほど……」




 フリッツは自分の細腕をつまむ。


 体質なのか、フリッツはいくら特訓しても筋肉がつかなかった。


 それゆえ早々に鍛錬するのを諦め、戦略を習得する方へ能力を全振りしたわけだが。


 痩身のフリッツを心配してくれたデレクへ、エアハルトが訊ねる。




「デレクはそんな場面を目撃したのか?」


「そうだよ、実際に見て分かったんだ。おじさんたちはやり方が汚い。あらかじめカードの裏に、分かりにくい小さな印がつけられていて、それを覚えているから狙ったカードを正確に引けるのさ」


「これだけカードには種類があるのに……全て違う印が付いているのか?」


「その才能を、もっと別のことに使えばいいのにって思うよ」




 呆れたようにデレクが言うが、エアハルトも頷かざるを得ない。




「才能のある者まで、犯罪に手を染めているのが、オルコット王国の現状なのだな」


「数年前に、あちこちで工場とか潰れちゃって。そのときに、酒場のおじさんたちは失業者になったんだ」




 僕の両親もそうだよ、とデレクが付け足す。




「僕とチェリーを院長先生に預けて、必ず迎えにくるって約束して別れたんだ。でも全然……戻ってこない」




 デレクの表情からは諦めがうかがえる。


 エアハルトは孤児院の子どもたちだけでなく、失業者もまとめて何とかできないかと考え始めた。

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