「後はフルーツを漬け込めば…」
「お嬢様?何をされてるんですか?」
寮の一室。日が差し込む中、シエラが覗き込んできた。
ソフィアのそばにはカラフルな瓶と果物が転がっている。
「フルーツティーを作っているのよ」
「それなら、私が…」
「いいの。これは私が作らなきゃいけないものなのよ」
彼のために…。
「どこかにお出かけになられるのですか?最近は外出ばかりされておられますね」
「心配しないで。勉強の方もしっかりやっているから」
「それは分かっています。けれど、昨夜はぐっすり眠られたのですか?私が言うのもどうかとは思いますが…」
思わず、ギクリとした。確かに眠れていない。湧き上がった疑念が頭の中を覆いつくして、気分が悪くなる。だからこそ、そろそろ決着をつけなくては…。
「ベンストック子爵夫人のお見舞いに行こうと思ってね」
「ベンストック宰相の奥様ですか。ですが…」
シエラが歯切れの悪い表情を浮かべるのはナサリエルの事があるからだろう。
彼女からすればナサリエルはソフィアを傷つけた男でしかないのだから。
「行ってくるわ」
「一人で行かれるのですか?」
「今回は留守番をお願い」
「やはり、怒っておられるのですね。つい先日のオークション会場での件を…」
「まさか…。違うわ。貴女がいてくれてどんなに心強かった事か…」
「では、今回も…。次は眠りこけたりなどしませんから」
詰め寄るシエラの腕をそっと包み込んだ。
「大丈夫よ。それに今日はどうしても一人で行かなくてはダメなの」
確かめるのは一人でなければ…。
そうしたいと思うから。
しばらくの間、シエラと見つめ合っていた。
最初に折れたのは彼女の方だ。
「分かりました。そこまでおっしゃるなら…。お嬢様のお好きなクッキーでも作ってお帰りをお待ちしております」
「ありがとう」
まだ、どこか不服そうなシエラであったが、聞き入れてくれたようだ。
ある意味、以前よりも信頼関係が強まった気がする。
ソフィアは小瓶を籠に詰めて、寮を後にしようとした。
そして、誰もいない談話室のそばを通り抜けた。
だが、その足は自然と設置してあるピアノへと向かう。
湧き上がった疑惑のせいで、ここ数日はずっと彼の事で頭がいっぱいだった。
かつて、ピアノを共に楽しんだ幼馴染。今では彼の方が上手い。
幼いころの思い出は美しいものばかりだ。ずっと押し込めていたせいで忘れていた物も多い。
だから、考えもしなかったのだ。
自分の中で整理をつけるように鍵盤を鳴らした。
それはもう無我夢中で…。
気付けば拍手が聞こえてきた。
ハッとして顔をあげると、ミルトンが立っていた。
「姉さんがピアノを弾いている姿を見るのは久しぶりだな」
「なんとなく鍵盤に触りたくなったのよ」
「何かあったのか?」
「あら、どうして?」
「いや…まあ、弟の感?」
「おかしな子ね。昔を思い出していただけよ」
「昔って、そんな長生きもしてないだろう?」
「そうかもね。でも、遠い昔のように感じるのよ」
突然、腕を掴まれて驚いた。
頬にミルトンの吐息がかかる。
「どうしたの?」
「ごめん。ただ、あまりにも儚げだったから…」
「そういうのは好いた女性にでも言ったら?」
「女性…ね」
「おかしな事言ったかしら?」
「いや、別に!」
「そう言えば、プライベートな情報をペラペラ話すのは頂けないわよ」
「何のことだよ?」
とぼけた様子のミルトンは慌てたように男子寮の方へと姿を消していく。
「もう!あの子は落ち着きがないというか…。子供というか」
思わず笑みがこぼれた。
これじゃあ、本物の姉弟みたい。
実際、そうなんだけれど…。
こんなところで立ち往生している場合ではない。
そろそろ、行かなくちゃ…。
「儚げか…」
それだけ、ナサリエルとの思い出が特別で、そして、今の関係がすごく悲しいって思っているのかもね。私の中にいるソフィアは…。
そっと、自身の胸に手を置いた。
まるで、温めるように…。
「大丈夫。ちゃんと確かめてあげるから」
ベンストック子爵邸は宰相という役目柄か首都中心部、王宮にほど近い場所に構えられている。
馬車に揺られながら、腕の中のフルーツティーも波打っていた。
手紙で訪ねる事は事前に伝えてある。彼が逃げてなければいいけれど…。
まあ、早く確かめたい事に変わりはないけれど同じ学院にいるんだもの、また機会もあるかも?
なら、こうやって彼の実家に押し掛けなくてもよいのかもしれない。
そんな考えがグルグル回っていく。
はあ…。緊張でおかしくなりそう。
ナサリエルとの決別の日はハッキリと覚えている。
急によそよそしくなった彼。
理由が知りたかった。
だから、彼を問い詰めたのだ。
ベンストックの屋敷で…。
逃げる彼は厨房へと足を踏み入れ、パニックになっていた。そのせいで、シチューを煮込んでいた鍋をひっくり返したのだ。大けがをした彼の悲鳴が今もこだましている。彼の風の魔法の暴走も相まって、周囲は火に包まれていた。
ただ、知りたかっただけなのに…。
なぜ、私を拒絶するのかと…。
火傷の痕が痛々しかった。
だから、聖女の腕輪で治療しようともしたのに…。
その手を払いのけた彼の瞳には恐怖の色に満ちていた。
あの顔が忘れられない。
騒ぎを聞きつけてとんできた大人達の声も耳に入らなかった。
ただ悲しかった。友情と…恋の終わりを痛感した。
でも、思い出したのだ。ムーンレイルで踊った瞬間、立ち込める火の中にあった真実を…。
彼の腕に出来た大きな火傷。でもその痕は鍋をひっ繰り返す前にすでに刻まれていたと言う事に…。
そして、ナイトキュラムで元旦那の記憶をもったマイケルとの出会いによって推測は色を成していく。
もう、目を背けてはいられない。
少なくとも本物のソフィアのために彼に向き合わなければ…。
「お久しぶりです。ベンストック宰相夫人」
ナサリエルの母を前にソフィアは優雅に微笑んだ。
胸のざわめきに気づかぬふりをして…。