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第88話 国王一家の集い

パトリックは緊張感を漂わせて大理石を踏み込んでいた。


国王と…父上と会うのはおよそ半年ぶりだ。いつ来ても王の住まいたる王宮は居心地が悪い。

まだ、母上が生きていた頃はよかった。もう、おぼろげな記憶の中にいるあの人は穏やかな笑みを浮かべている。そして、艶のある長い髪に真っ赤な唇。黒真珠を思わせる瞳。どこをとっても美しい女性だった。だから、王の愛娼にと望まれて王宮に囲われたのだ。その生まれは平民だと聞いている。王の寵愛を受ける者の多くが由緒ある家の娘から選ばれるのが当然だと言われる中、母の存在が王宮内でそれほど波風が立たなかったのは父上のおかげというわけではない。


パトリックは意を決してひと際煌びやかな佇まいの扉をあけ放った。

そこは王家のメンバーが集う応接室。


「あら、パトリック。貴方が来るなんて珍しいわね」


一見すると棘があるような鋭さを放つ声に出迎えられ、思わず背筋が伸びた。


「長らくご無沙汰しておりました。お義母様」


国王の正妃。メリネリア様だ。

彼女はクラヴェウス家と肩を並べるニュウェル公爵家の娘。

気が強そうな緑の瞳に見つめられると子供の頃は恐怖を抱いていた。特に、長らく男児に恵まれない正妃は母上を嫌っているというあらぬ噂も相まって、近づきたくない人物の上位に挙がっていたのは遠い昔のようにすら感じる。


「お嫌でしたら、またの機会にいたします」

「やめてちょうだ。数少ない家族団らんの時間よ。貴方もその一人だという自覚を持ちなさい」

「失礼しました」


パトリックが席についたのを合図に静かに控えていた執事がせわしなく動き始めた。

その光景を視界にとらえつつ、目の前の正妃の動向を見守った。


相変わらずメリネリア様は表情一つ崩さず、紅茶を口に運ぶ。

完璧な貴婦人だ。やはり、その本心は見えない。分かっているのは、けして道理にそむく真似はしない方であるという事。


「陛下の子を産んだ女にみすぼらしい暮らしをさせるわけにはいきません」


かつて母上を悪く言う侍女に言い放った言葉だ。自身の夫が愛を向ける他の女性達への不当な扱いも絶対に許さなかった。ある意味で母上の後ろ盾のようにすらふるまっていた。

それがメリネリア様である。


かたや母上はとても繊細な人だった。

きっと、国王の寵愛など受けない方が幸せだったのではないかと思うほどに…。

権力欲もお金への執着も小さい。いつも、外を眺めて、慣れ親しんだ町に戻りたがっていた。


「ねえ、パトリック。貴方が女の子だったらよかったのに…」


王女なら、王宮を出て、別の屋敷でひっそりと暮らせたのにと嘆いていた。

王宮の暮らしは母上には向かなかった。だから、気を病むようにして静かに亡くなったのだ。

それなのに、父上は母上の葬式にも顔を出さなかった。いつも、眉間にしわを寄せて、何を考えているのか分からない。戦王と呼ばれるほどの剣の腕で諸外国からの圧力を抑え込んでいる猛者。

それを体現した風貌の男の考えは今も分からない。

皆が、この容姿が父上によく似ていると囁いても共通点など何も見いだせないのだ。

突然去った母上を失い一人ぼっちになった俺に手を差し伸べたのも国王ではなくメリネリア様だった。


「貴方は国王のたった一人の王子。胸をはりなさい!いずれこの国の主となるのですから」


それは暖かな手だった。だが、呪いでもあった。

この時から王になる道しか歩めなくなったのだ。


「エメルナは元気にしていますか?」

「あの子もいい歳だというのに、いつまでも子供で困ります」

「そのようにおっしゃってはかわいそうですよ。あの子はお義母様の一人娘ではありませんか」

「またそのように甘やかすから、つけ上がるのです。陛下の真似をせずとも良いですが、優しいだけでは王は務まりません」

「私がいなくてもエメルナが…」

「女のあの子に務まるとお思いですか?国を統べる王は男でなければなりません」


最初にエメルナに会った時、月のように可憐だと思った。青い髪と緑の瞳はメリネリア様によく似ている。正直に言えば、妹の存在を知った時は嬉しさもこみあげたと同時に残念でもあった。正妃との間に男がいたなら、俺は用済みになれると期待していたからだ。


「お兄様。いらしてたの」


それでもこの瞬間にも昔と変わらずに走ってきた妹を大切に思っている。


「エメルナ!」

「お母様。申し訳ありません」


肩をすくめたエメルナは背を丸くしてパトリックの隣に座り直した。

そのすぐ後ろから足音が近づいてくる。それだけで、背筋が凍りそうになる。


「なんだ。今日は全員集合したのか」


抑揚のない言葉が身を切り刻もうとしていた。


この国の主が現れたのだ。最も緊張する集いが始まる。

しかし、引き下がれない。ずっと、王になるのを避けてきた。

産みの母には女であったらと言われ、育ての母は王になれと強要する。

絶対的君主たる父上には優しい言葉をかけてもらった記憶はない。


ずっと空虚な面持ちで生きてきた。それを変えてくれたのはマニエルだ。

けれど、救い主だった彼女はもういない…もういないのだ。

手放したのは俺自身。

その罪を償って生きていくしかない。だから、もう逃げない。

王にでもなんでもなってやる。


そう覚悟したのに、やはり、父上を前にすると震えが止まらない。

出されたガトーショコラも喉を通らない。

ソフィアと約束したというのに…。ずっと誤解して傷つけて、蔑ろにしてきた婚約者。

彼女の助けになれば、この重たい胸も軽くなる気がする。


「あの、陛下」

「なんだ?」

「瘴気に苦しむ者達をどうお考えですか?」

「マゴスの闇に堕ちた者の事か?悩みの種だな」

「違います。マゴスの瘴気にあてられ苦しんでいる人々の事です」

「同じであろう」

「父上!いえ、口が過ぎました」

「お前が私に意見を求めるなど今までなかったな?どういう心境の変化だ?」

「ソフィアが…。クラヴェウス公爵令嬢がマゴスの瘴気にあてられた人々の治療を支援してまして…」

「うむ。闇に堕ちた者にも手を差し伸べるか。さすがは聖女の血縁者だ。だが、その労力をマゴス復活阻止に役立ててくれれば嬉しいのだがな。聞けば、まだ聖女の証たる紋章は出現していないとか?」

「彼女以外に聖女はありえません。陛下といえど、ソフィアを侮辱するなら…」

「ふっ!婚約者を庇うか?それはいい。実に愉快だ」


まるで戦場に立つ野蛮な傭兵のように父上は高らかに笑う。


「そうです。ソフィアは婚約者です。ですから、力になりたいのです。彼女が立ち上げた診療所を王家直轄にしてはいかがかと思うのですが…」

「バカか!女の言いなりになるとは情けない。マゴスの瘴気に毒された者など捨て置いても構わない。どうせ、聖女が力を発動すればすべて収まる話だ」


その鍛え上げられた腕が勢いよくテーブルに叩きつけられた。

そうやって、母上と俺を長らく放っておいた男の口から当然のように飛び出すのは戯言ばかりだ。


「よろしいじゃないの。陛下に意見をするなんて、今までのパトリックではありえませんでしたもの」


助言に入ってくれるのはメリネリア様だ。


「王の勅命はさすがに度が過ぎますが、王太子であるパトリックの名前を貸すぐらいならよろしいのでは?婚約者たるソフィア嬢との仲も国中に示せますし、未来の王はどの民も見捨てないと言うアピールにもなりますわ」

「確かにそれは一理ある。さすがだな」

「恐れ入ります」


良くも悪くもお義母様は俺を助けてくれる。王の正妃として夫を上手くあしらう才女。そう言えば、ソフィアが苦手だったのはずっと、この人に似ていると思ったからかもしれない。公爵家の誇り高き令嬢。だが、今は少し違う気がする。彼女はすべてを受け入れる広大な海であり、穏やかな川のように穏やかでもある。とにかく奥深いのだ。

そう気づくまでに時間がかかってしまった。


「勝手にしろ。パトリック。この件はお前に一任する」

「ありがとうございます」


始めて、父上とまともに会話が出来た。

これもマニエル…いや、ソフィアのおかげだろう。

この機会を間接的にでも提供してくれたのだから。


「難しい話はそこまでにしてよ。折角、全員そろったのに。もっと楽しい話をしましょうよ」


場にそぐわない穏やかな言葉が響いていく。


「エメルナ!」


メリネリア様の注意に口をとがらせる妹はまだ、どこかあどけない。

だが、彼女の存在は王家もただの人なのだとなぜか思わせてくれる。

ホッとするのだ。

心なしか父上の表情も明るい。


「食べるか?」


手つかずなガトーショコラを妹の前に差し出す。


「うわ~。いいの?さすが、お兄様」


自身の感情を裏表なく示す妹はとても自由に生きているように見える。

その姿に少しの嫉妬と憧れを抱く兄をどうか許して欲しい。

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