「寄り道をしてしまったけれど、ジェフリー卿。貴方にやってもらいたいのは簡単な事よ」
ソフィアはパワリの屋敷へと足を進めていた。
「お兄様は先に行かせてあります。ご心配なさらないで…」
無言どころか、疑心の視線をソフィアに浴びせつつハーランは後ろを歩いていた。
仕方がないわよね。ほぼ説明も無しに連れまわしている状況だもの。
しかし、ハーランに降りかかった借金問題は早めに片付けておきたかった。
ゲーム内ではマニエルを操作して金を集めるミニゲームが用意されていたし、その借金の金額に応じてエピローグが異なっていく。
しかし、今回は彼を助けるマニエルがいない。その状況でハーランを放置していたら、最悪マゴス陣営最大の強敵として世界に君臨しかねない。けれど、それはおそらく阻止できたはず。ひとまずハーラン自身の危機は去ったと考えておこう。
「マゴスの手下は出て行け!」
パワリの屋敷に近づくと恰幅の良い男達が押し寄せていた。
「絵に書いたような悪役…」
ソフィアは呆れつつ大きなため息をついた。
「またか…」
慌てた様子で屋敷から飛び出したパワリは奴らの一人に蹴りを入れた。
「お待ちになって…」
それを制しすれば、彼はハーランに向き直る。
「ジェフリー卿。対処していただきたいのはああいう手合いです」
「この剣で奴らを斬れとおっしゃるのですか?恐れながら聖女の言葉とも思えない」
「いやだわ。私は候補なだけで正式に認められた聖女ではありません。もちろん、私だって言葉の通じる相手ならば対話で対処したいですわ。ですが、彼らに道理は通じない。手っ取り早く解決するには時として力と権力は有効です。この意味、お分かりになりますわよね?」
ハーランは何も答えず、男達の前に進み出た。
「なんだ。てめえ~!やるか!」
罵声をあげる男達に鋭い視線を向け、ハーランは腰に刺された剣の柄に手を添えた。
それは一瞬だった。
あたりに炎が立ち上った痕が広がる。男達は動けなかった。
抜かれた剣は赤く燃え上がり、男達を見据える。
その剣に掘られた模様に男達はくぎ付けになっている。
「その証は…」
キンレンカの花があしらわれたハーランの剣を前に男達は怖気づいている。
「王宮騎士を相手に命を張る度胸のある奴がいるなら、前に出ろ。相手になってやる」
「ジェフリー卿もお優しいですわね。寄りにもよってクラヴェウス家の庇護の元にあるこの場所にあらぬ暴言どころか嫌がらせまでした者達。捨ておいてもよろしいのでは?」
含みのある声でシエラは微笑んだ。
意外とノリノリの彼女にソフィアは驚くが黙っておこう。
しかし、効果は抜群のようで男達は走り去っていった。
「ありがとうございます。意を察してくださって…」
「いや…。あれでよかったのか?」
「ああいう方々が王宮騎士に真っ向から立ち向かうとは思えませんから」
王宮騎士は王家から直接、騎士の称号を受けた者。そして、彼らが剣を振る事はよくも悪く寛容なのだ。人を切り捨てるという行為もそれに含まれている。
「パワリ。ごめんなさいね。屋敷を貸してくれるように頼んだのはこちらだというのに…」
「いえ…。我々はこういった扱いには慣れていますが、治療を受けている方々には悪影響でしょうから。先ほど、お連れになられた男性も運び込みました」
「それは兄で?」
ハーランはすかさず口を開いた。
「そうです。お兄様はこちらで養生させるわ。さて、文句があるなら聞くけれど?」
「いえ…」
困惑した様子のハーランをよそにソフィアは屋敷へと踏み入った。
最初に来た時よりも整理整頓が成され、清潔感が保たれている。
「オリビア。どう?」
白衣姿の彼女に歩み寄った。
「薬は効いています」
「よかった」
「スクド家の皆さまも良くしてくださいますし、治療をするには良い環境です。先ほどのようにあらぬ邪魔さえなければもっといいのですが…」
「その件はそこにおられるジェフリー卿が対処してくれたわ」
「最年少で王宮騎士となられた方ですよね?ありがとうございます」
オリビアはハーランに深々と頭を下げた。
「こちらこそ、兄を…」
ハーランも同様にお辞儀で返す。
「けれど、あれで済むかどうか…手紙にも書きましたけれど、落書きや石を投げられるのは地味に苦痛です。スクド家の皆さまは今までよく耐えてこられたものです」
「そうね。ジェフリー卿に対応してもらったとはいえ、今後も嫌がらせが続く可能性はあるわ。大丈夫。オリビアは治療に専念して。パワリもね」
「分かりました」
頷き、出て行くパワリ。
「何か手伝う事はあるかしら?」
「では、水を運んできてもらえます」
「お嬢様にそんな力仕事をさせるんですか?」
シエラは食って掛かるが、首を横に振り否定する。
「いいの。それぐらい…」
バケツを手に廊下へと進み出た。
後ろをついてくるハーランに気づき、振り返った。
「ジェフリー卿。付き合わせて申し訳なかったわね。これで貸し借りは無しです」
「貸し借りも何も、貴方は私を…我々兄弟を助けただけで、こちらは何も返してはいない」
「そうだったかしら?」
「クラヴェウス公爵令嬢」
「なんでしょう?」
「なぜ、このような事を?恐れながら以前の貴女様は…」
「分かっています。かつての私は無知でした。そのせいで、ジェフリー卿にも随分ひどい事を…。申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるソフィアにハーランは動けなかった。
「許してもらおうとは思いません。あれも私自身です。ですが、以前にも言った通り人の心とは変わる物です。私は彼らを助けたいと願った彼女の想いに感銘を受け、その活動を引き継いだまでです」
「それはマニエルの?令嬢は彼女と仲が良く?」
それには頷かなかった。
マニエルと縁など結べなかった私は肯定できなかった。
何も言わずにソフィアは再び歩みを進めようとした。
「ソフィア様。こちらこそ申し訳ありませんでした。誇り高きクラヴェウスのご令嬢たる貴女様の腕を掴み、そのお心を汲みもせず咎めるような真似を…」
そんなシーンもあった気はするけれど…。
おおむね、私の方が悪かった。
ハーランはソフィアの前に立ち、膝をつき、丁寧に頭を下げた。
まるで、主に向けるように…。
「兄の件もありがとうございます。ご用立てくださった金についてはこの私が必ずお返しいたします」
「いいの。これは投資だから。貴方は有望な騎士。パトリック王子を今後も助けてくれさえすればいいのよ」
そもそも、返される前に生贄になるつもりだし…。
「では、この身は殿下といずれ国の母となられる貴女様に…」
「随分、たいそうな物言いだわ」
「それだけの価値がソフィア様にはあります。そして、己の視野がいかに狭かったのかと痛感もしているのです。家族を…何も知らず下品な言葉を並べ立てた奴らと何も変わらなかったのだと…」
中々、シリアスな発言が漏れてきて、喉が閉まる。
マニエルなら優しく彼を諭すはずだけれど、困ったわ。
「願わくば、こちらのお屋敷で彼らのお手伝いが出来ればと…。兄もおりますし…」
「それは大歓迎だわ。人手は多いに越したことはないもの」
ソフィアは話をすり替えようと、大げさに喜んだ。
そんな様子に顔色を変えずにハーランは一礼して、ソフィアからバケツをそっと取り上げた。
「水は俺が…」
窓辺から差し込むハーランの瞳はキラキラと輝き、とても穏やかな笑みを称えていた。
ああ、やっぱり彼も攻略対象ね。
思わずキュンとした事は胸に収めておこう。
私はヒロインではない。
本来、あの笑みも慈しみを向けてくれる対象も自分ではないのだから。