俺の両親は傭兵業で財を成した。とはいっても、ひと財産と呼ぶにはあまりにも少ない額だったし、6人いる姉弟を養うので精一杯だった。それでも幸せだった。
だが、マゴス復活の兆しは地方で静かに暮らしていた俺達家族にも影を落としたのだ。
みるみる荒れ果てる土地に連動するように市場には食材が消えていった。
年長者だった兄達は家を出て行き、消息を絶った。生きているのかも分からない。
まだ幼かった俺には兄達の顔すら忘れつつある。
ただ、この胸にひしめくのは年端も行かなかった弟や妹、母が立て続けに亡くなった事だけだ。
それもマゴスの瘴気にあてられて…。
近くにいた医者達を訪ね歩いても、マゴスに囚われた者を見るなど冗談じゃないと突っぱねられた。
それこそ、石を投げられ、人として扱われない日々も続いた。
皆が口々に言う。俺達の一族がマゴスの闇に堕ちたから土地は痩せ焦げたのだと…。
すべてを俺達のせいにされた。魔物にすらならずに、ただ苦しみの中で死んだ家族をどこまで侮辱する気だ。悔しかった。
みんな、瘴気に呑まれても意識はハッキリしていたんだ。
「ハーラン。貴方が無事でよかった」
弟や妹の亡骸を抱いて、母は微笑みながら逝ってしまった。
最後まで子供達を心配する良心を持っていた人。マゴスの闇には程遠い。
そして、剣だけが取り柄だった親父と兄妹の真ん中だった俺だけ残された。
それでも俺達を邪魔者のように扱う地元の奴らに悩まされ続けた。
しかし、親父は何も言わなかった。だから、俺もそれに従った。
町の教会にすら葬る事が許されなかった弟や妹、母の亡骸を守るために。
ひっそりと家の裏に埋められた家族の眠りを妨げないで済むならどんな罵倒も嫌がらせも耐えられた。何事もなかったかのようにやり過ごすには一番いいと分かる年ごろには差し掛かっていたからだ。そして、寡黙な親父に剣術を学びながら日々を過ごした。
そうやって、ここで生きていくのだろうと思っていた。
「お前、首都に行け」
「親父。なんだよ。急に…」
「その腕なら王宮直轄の騎士にだってなれるはずだ」
「興味がない」
「母さんの願いでもか?」
もう、語りかけてはくれない母さんを持ち出すのか?
「俺が居なくなったら親父が困るんじゃないのか?」
足が悪くなり、歳よりもはるかにくたびれた様相になった親父の背中が小さく見える。
「気づいているだろ?俺はそう長くはない」
「だから、なんだよ。俺はここで…」
「ずっと、墓の管理をして生きる気か?」
「悪いか?」
「兄達とは違い、欲がないのが欠点だな」
「出て行った奴らを引き合いにだすなよ」
「だから、お前には騎士になってほしい。俺の時代では無理だったが、今は平民でも騎士になれる。そう、お達しがあったからな」
「なんだよ。親父の夢を俺に押し付けるのか?」
「そうかもな。すまん」
そんな話をした一か月語に親父はあっけなく死んだ。一人になった小屋の中で俺は考えた。
ただひたすらに…。
そして、気づいたのだ。
もう、町の連中は俺の家の周りにすら寄り付かなくなったと…。
ただ、忘れられたように並ぶ墓を見て、無性に悲しくなった。誰にも知られず、ただ、偏見の中で亡くなった家族を思うと哀れで悲しかった。しかし、俺が騎士になって名をあげれば、その人生が語られる日が来るかもしれない。その中で、家族の話も未来に紡がれるかもと…。
だから、首都に出たのだ。騎士になるために、ひたすらにまい進した。平民と言うだけで蔑まれ、嫌がらせにもあったが、剣の腕が俺を助けてくれた。そして、パトリック殿下の目に止まり、そのそばにいる事を許されたのだ。彼の護衛も兼ねて、貴族の令息令嬢が集まる学院の門までくぐれたのは思っていた以上の幸運だ。通常よりもはるかに速いスピードで最高位の騎士へ近づけでいるのもすべて、パトリック殿下のおかげだ。さらに家族の墓を教会へと移す許可も与えてくださった。だから、殿下のためにこの剣を振るうと決めたのだ。
故に殿下の婚約者候補筆頭たる令嬢に一抹の不安も覚えたのだ。聖女の一族。美しいが性格に難があり、下の者への敬意すら払わない。未来の国母にはふさわしくない。ソフィア・クラヴェウスとはそういう女性だと思った。
むしろ、殿下にはマニエルのような女性に並び立って欲しいとすら思っていた。
魔法の才を認められて、学院に踏み入れた少女。愛らしく天真爛漫な彼女はまさに天使だった。
そして、同じ目線で物を見れる相手。だから、意気投合したのだ。
マニエルは俺の家族がそうだったように見放された人々を助けようとしていた。
その慈善に胸にこみあげるものがあった。
彼女こそが本物の聖女なのだと…。そうであってほしいと願った。
殿下とマニエル。そして俺。三人で過ごす時間が楽しかった。
一番、充実した瞬間。そして、この時期に思わぬ再会も果たしたのだ。
「ハーラン…」
買い出しのために降り立った繁華街で声をかけてきたのは親父によく似た男。
それが、かつて家を出た兄の一人だと気づいた。随分、くたびれて目は虚ろだったが、嬉しかった。俺が王宮騎士になったのを知ると心底喜んでくれた。
兄はムーンレイルで用心棒の職についていた。踊り子たちのショーを見られないのが残念だが、お金がもらえるだけマシだと笑っていた。だが、そんな矢先、やはり兄にもマゴスの瘴気が迫っていた。しかし、兄は必死に隠していた。ただ、体調が悪いから変わりに仕事に言って欲しいという頻度が増えていった。
穴をあけたらクビになると懇願されて…。
だから、兄の知り合いの男だと偽ってムーンレイルの用心棒を買って出たのだ。
名ばかりの変装はしたが…。
それでしばらくは保っていたが、そのうちお金をせびってくるようになった。
その時にいかがわしい連中に借金をしている事も知ったのだ。
すべてが追い詰められていくようだった。マニエルと最後に会った日もそうだった。
彼女にも悩みがあったようだが、俺を気遣ってくれた。
「何か悩みがあるなら。教えてね。友達なんだから」
しかし、彼女は死んだ。大切な人達が次々、消えていくのになぜ、俺は生きているんだ?
いっそのことマゴスに取り込まれたかった。
兄の事だって…。体調が悪いと言った時点で気づくべきだったんだ。
マゴスの瘴気に当てられていると…。
なぜ、俺はこんなに無力なんだ。
そして、最も頭を悩ませているのはこの状況だ。
「これで彼の借金は帳消しよ。それで構わないですわよね」
未来の国母にはふさわしくないと思っていた女性が兄の借金相手である街の胴元に大金を差し出している。明らかにカタギには程遠い男達を前にしても彼女はひるむ事なく真っすぐに立っている。
ただ当たり散らしていた女性と同一人物とは思えない。
俺を助ける理由などないはずだ。実際、嫌われていたと自覚している。
人とは思わない態度だったじゃないか!
俺を見下してきた奴らと同じ目をしていたのに…。
「ジェフリー卿。これで借金はなくなったわ。貴方がこの件で頭を悩ませる事はない。でもお兄様には治療が必要ね。分かっているとは思うけれど…」
だが、今、俺を見据える彼女には軽蔑の色は感じない。
彼女は何者だ?
いや、俺が何も見えていなかっただけなのか?
クラヴェウス令嬢…彼女は元々、こういう人物だったのかもしれない。兄がマゴスの瘴気に充てられているとすぐに気づかなかった俺だ。あり得る話だ。
何もかも間違っていた。
マニエルのように純粋で聖女のような優しさが溢れている目の前の女性に敗北感と罪悪感が入り混じるのであった。