自分の在り方に悩む少女…いや、少年であるエル君の話に耳を傾けただけだ。
それなのにどうして私がダンサーに!
確かに協力するとは言った。
けれど、それは彼が素直になり、父親たる支配人と向き合えという意味だ。もちろん、繊細なガラスの天使以外の魅力がエル君の中にはある。そう示すのに新しいキャラを作る事が手っ取り早いと言うのも理解している。だからこそ、その手伝いとして、この身に宿るダンス技術も惜しまなく提供するつもりだった。でも、口が裂けてもステージに立つとは言っていない。
あくまで演出家としてだったのに!
それもこれも付け焼刃とは言え、キャラ付けが固まった辺りでエルが弱音を吐きだしたからだ。
「一人じゃ怖いから、一緒に出てよ」
さすがはガラスの天使。とても愛らしく胸打つ瞳に胸が捕まれたのは否定しない。
だが、隣で高らかに足をあげるエル君からは恐怖ではなく、高揚が伝わってくる。
完全に乗せられたわね。
エル君に一杯食わされた事に気づいても、実際にパフォーマーとしてステージに立ってしまっている。
ぼやいたところで、もはや笑いごとにしかならない。
すでにスポットライトの光を浴びて、数分は立つ。
ソフィアは作られた笑みをたたえて、浴びる視線を肌で感じていた。
その中には身分を隠した貴族や裏社会の大物の姿まである。特に気になるのは銀の月を従える一派と二分する勢力に属する者の姿もある事だ。自身の縄張りではないこのムーンレイルに姿を現すなんて馬鹿なのかそれとも思惑があるのか…。
とはいえ、その正体に気づいている者は少ないだろう。
闇王と称するその男はほとんど、表に出てこないから。
それでもソフィアが知っているのは奴がゲームキャラとして登場しているからだ。
それも一人の攻略キャラのエピソードに深く食い込む悪党。
しかし、今はそれはどうだっていい。
余計な事言わなきゃよかった…。
正直、自分がお人よしだとは思わなかった。
本来のソフィアにしろ、前世の私だって、泣いている人間を見つけても自ら動くタイプではなかった。
ゆいなと違って…。
「変な所で感化されちゃったかな」
小さくつぶやくが体はストッキングを履き、本来よりも美脚に見える足をラインダンスのごとく放り投げている。
それにしても、ソフィアは意外と万能よね。
こんなに動けるなんて…。
まるで、他人事のようにその人生を振り返る。
おばあ様は聖女とするべく、あらゆる事を身に付けさせた。語学にしろマナーにしろ、知識にしろ…。その中にはダンスや歌も含まれる。
ソフィアは血のにじむ努力の末にプロレベルの力量を身に着けたのだ。
もちろん、それは社交界で目立つためであり、聖女として完璧なふるまいを要求されてのことだ。
大衆向けにパフォーマンスを披露しているなんて、おばあ様に知られたら卒倒するどころか、怒りを通り越して天昇してしまうかもしれない。
幸い、メイクと真っ赤なウイック、衣装は完璧に着こなしている。
知り合いがいても気づくとは思えないが…。
にしても、舞台袖で唖然としたり、ため息を付いたり、喜んだりしている支配人が視界に入り、面白いというか笑えると言った感情が湧き上がってくる。
隣でアクロバティックな動きを見せるエル君が最初に登場したときはこの世の終わりといった様子だったが、今は彼の新しい可能性に期待していそうな表情すらうかがえる。
あの態度は父親としてなのか、純粋なムーンレイルの支配人としてなのかは分からないけれど、エル君の思惑は上手く行きそうだ。
この茶番に付き合った私にどういった態度をとるのかは不明だけれど…。
むしろ、これならエル君単体で出てもよかったんじゃないの?
過激な音楽に乗りながら、なんとなく湧き上がる不満を感じていた。
しかし、ステージ上に大きく花開く炎の演出が瞳を捉えた瞬間。
遠い過去の記憶が呼び起こされる。
小さな少年が泣いている姿だ。
あれは…。
しかし、その悲鳴は鳴りやまない拍手の中に溶けていく。
ステージは終わったのである。
「お嬢様!凄すぎます!」
舞台袖へと引っ込んだソフィアの元に駆けつけたのは涙目のシエラと、呆気にとられるような苦笑いをこらえているサイだ。
その何か言いたげな顔を説明してほしい。
「ソフィア様!さすがは衣装を肩代わりしてくださるほどのお方だ。華やかな才もお持ちとは…。どうです。今後も、ショーに立っていただけませんか?」
エル君のターゲットたる支配人は金の色嗅ぎつけたように活き活きしている。
勝手にステージに上がった事を咎める気はないらしい。
「その話はまた今度で。今は、エル君とお話しされては?」
「そうだった。全く、勝手な事を…」
急に怒りのオーラを放った支配人の腕を咄嗟に掴む。
「ガラスの天使にならなかったのはこの際、置いといてはどうです?今の彼とちゃんと向き合ってください。この先の息子さんの人生にも関わるものですから」
「それはどういった…。おや、アイツが男だと知っておられるので?」
「ええ。とにかく、今宵のショーは成功しました。だから、怒る前にエル君の本心を…。親子として…」
「分かりました」
ジョイズはため息を付きながら、控室に引っ込んだエル君の元へ消えていく。
「ちゃんと話し合ってくれるといいんだけど…」
ふくよかな背中を眺めながらソフィアはつぶやいた。
「令嬢は優しいんだな。厄介な親子の問題に首を突っ込むとは。さすがは聖女様であられる」
なんか、棘があるような?
皮肉を言われている気分になる。
ソフィアは揶揄うようにサイを見上げた。
「ちょっとした成り行きよ。それに衣装を提供したのに、無駄になると嫌だもの」
マニエルなら善意でやっただろうけれど、彼女の情報を仕入れるには彼らと仲良くなっておいて損はない。本当に出入りしていたのかどうかも分からないけれどね。
なんでもやるに越した事はないのよ。悩んでいる暇はない。
「着替えてくるわ」
「お手伝いします」
「いいの。シエラは休んでいて」
「分かりました」
名残惜しそうなシエラを置いて、薄暗い廊下を歩いていく。
すれ違うダンサー達は黒髪やブラウン、金髪など様々だ。
それが彼女達の地毛かどうかは分からないけれど、探せばマニエルに似た女性もいるかもしれない。
ついさっきまで、覚悟したばかりだというのに、本当に出入りしていたのか疑いたくなってきた。
華やかな夢の舞台を降りたばかりだからかもしれない。
なんとも不思議な気分だ。
誰もいなくなった狭い通路をさらに進む。だが、突然、片腕を握られ、体が一瞬浮遊する。
突然の事態に対応できずに体が引かれるカーテンの袖へと吸い込まれていく。
しかし、予想した衝撃はやってこない。
変わりに体を包み込むような人の体温が伝わってくる。
急かされるように見上げれば、麗しい顔の男が立っていた。
「警部さん」
カデリアスに抱きかかえられていた。
彼はソフィアの問いに答える事もなく、その鍛え上げられた腕がさらに腰に回った。
その瞳に熱が込められ、射抜いてくる。
心臓が跳ね上がるのを抑え込みたいのにソフィアはただ、見つめ返すしかできなかった。