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第68話 ガラスの天使

真夜中の探索とお礼にと銀の月に頼んだ事はずばり、瘴気の毒に侵された人達の移動兼護衛である。

あの薄暗い地下から連れ出し、速やかにスクド家の屋敷へと運んでもらう。それが願いだった。


「問題はありませんでしたか?」

「滞りなく済んだ。銀の月が本気になれば、半日以内でこなせる仕事だった。何より、スクドの若様も病人のベッドを待ち構えたように準備していたしな。あれもアンタの仕業か?」

「どうでしょう。ですが、パワリは意外と仕事が早いようで、よかったですわ」

「しいて言えば、オリビア嬢さんがかなり苛烈だったぐらいだな。俺んとこの若い連中はみんな尻に敷かれていた」


その時を思い出していたのはサイは愉快そうに笑った。


まあ、医療を志すぐらいの令嬢だもの。気は強いでしょうね。

テキパキと仕事をこなすオリビアの様子が簡単に想像できる。


「ありがとうございます。助かりました」

「やめてくれ。あそこにいた連中も俺の街で生きる者達だ。助けになれるならいくらでも手を貸す。アンタにはそれ以上の恩があるんだ。気軽に声をかけてくれ」

「大げさですわね」


でも、パワリも約束を果たしてくれた。それだけでも今は救いだ。

後でお礼を送らなくてわね。


「ウレナ…コアヌェベレー…ユアニー」


耳元に水辺を揺らすような高音の美声が部屋中を包み込んだ。

思わず、声の方を向けば、子犬のように喚いていた少女と同一人物とは思えないほど、洗練された踊り子が舞台の上を駆け巡っていた。


「ああしてれば、一流なんだがな。エルは…」


考え深そうにサイは彼女を眺めていた。


「とても綺麗な声だわ。まるで天使のよう」


彼女が作り出す世界観に引き込まれそうになる。

練習でも心打たれるのだ。本番なら、もっとすごいのだろう。


「ガラスの天使って呼ばれてるんだぜ。アイツ」

「それはなんだか、すごく繊細なイメージですわね」

「儚く散りゆくような美しさが受けてるんだと…」


なるほど。滅びの美学が好きという感覚はこの世界の人にもあるのね。


「でも、当の本人はまるっきり正反対なのがな…」

「彼女をよく知ってらっしゃるのね」

「彼女か…。いや、昔は銀の月に入るって付け回されたもんだよ。それが、今じゃ、人々に夢を売る歌姫とはね。人生何があるか分からない」

「舞台で見せる顔と素が違うのは仕方がない事だと思いますけどね」

「おっ!その顔。令嬢も舞台に立てば結構いい線いくんじゃないか?」

「あら、お上手ですわね」


笑い合うソフィアとサイの間にふくれっ面のエルが軽やかなステップと共に駆け抜けてくる。


「そこ。いちゃつくな!」

「エル!お前はまた!」


怒るサイを横切り、エルはソフィアにつかみかかる距離で鋭い視線を向けてくる。


「アンタが余計な事するから!」

「エル!」


慌てて、走ってくるジョイズの姿に血相を変えて、再び、逃げていく彼女がなんだか、可愛いと思ってしまう。


「重ね重ね申し訳ありません」


平謝りをするムーンレイルの支配人を諭しつつ、エルという歌姫に想いを馳せる。


「大丈夫ですわ。あの年ごろは複雑なものでしょう」

「なんと、お心のお優しい…」


ジョイズは大げさに涙を流し、お礼を言う。

それは少しやりすぎだと思うのだけれど…。


「お嬢様」

「シエラ。おかえりなさい」


深々と頭を下げるシエラの後ろから大量の服を荷台に乗せて運ぶメアリーがいた。


「ソフィア様。言われた通りに服をかき集めてまいりました」

「ブティックの方はどう?」

「おかげ様で…。何もなくお店を開けられています」

「それは良かったわ。すぐに動いてくれたのね。ありがとう」


色とりどりの服を取り出すメアリーの姿を見つつ、彼女のセンスの良さを直感した。

マゴスの脅威を除外すれば、買い取ったあのブティックの存続に不安要素はなさそうね。


「勿体ないお言葉です」

「続きは支配人と話してくれる?」


ジョリズや踊り子たちが服に群がってくる。


「素敵!」

「前のより断然いいじゃない!」

「ありがとうございます。ソフィア様」

「お役に立てたのなら光栄です」


ジョリズの後ろでそっぽを向くエルは苦々しそうに奥へと引っ込んでいった。

その先に再び、鼻をかすめる邪力の気配が通り抜けていく。


エル…。彼女はもしかしてレイジーナと同類だったりするのかしら。

なら、放ってはおけない。

もしかして、マニエルがここに出入りしていたのにも関係しているかも。


「どうした?」


辺りを見渡すソフィアの様子にサイが問いただす。


「ちょっと気になる事があってね」

「支配人。お手洗いを貸していただけます?」

「もちろんです。奥にございます」

「メアリー。ここをお願い」

「はい…」


服を踊り子たちに差し出すメアリーに声をかけ、奥へと進む。


「お嬢様。私も…」


何かを悟ったのか真剣な面持ちのシエラとぶつかる。


「分かったわ。あくまで念のためなんだけれどね」


雑多に小道具や舞台関連の道具が並ぶ中、奥へと進めば、やはり、吹く風と共に微量の邪力が強まっていく。その中でもひと際強い邪力を感じる部屋に手を添えた。


開かれた先には無数の傷が刻まれた壁が視界を捉える。

控室のような雰囲気があるのに、薄暗く空気の悪い。

誰もいない小部屋を自由自在に動き回る影がソフィアの前に飛び込んできた。

その瞬間、目の前は暗闇一色に包まれたのであった。

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