「たっ助けて…」
少年の悲鳴が通りを駆け巡っていく。
その声に反応するようにソフィア達は全力疾走していた。
その視線の向こうに現れたのは先ほど見た邪術陣と同質の印が浮かび上がる光景。
そして、今まさに幼い少年の体は中心部へと沈みこもうとしていた。
サイはとっさに少年の手を掴み、引っ張り上げようとする。
しかし、ビクリともせず、少年の体は徐々にその姿を消そうとしていた。
しばらく、押し問答が繰り返されていた。
「お前らも手伝え!」
サイは集まった仲間達に合図を出す。
それと同時に少年を囲むようにガタイの良い男達の筋肉美で埋め尽くされた。
サイは一旦、少年の手を離し、息をつく。
まるで意識を集中させるように…。
何をする気なの?
サイの体に魔力の塊がまとわりつく。
その量は学院のトップを走る殿下や弟、その友人達にもひけをとらない。
いえ、もしかしたら、その上を行くかもしれない。
「はあああっ!」
気合の入った叫び声と共にサイは強く握られた拳を邪術陣に振り下ろした。
地面が高鳴り、その場にいた者達の足元はふらついている。
攻略キャラでもないのに、なんて魔力量なの!
そう表現するのは彼に失礼ではあるが…。
けれど能力面だけで言えば、貴族の養子に迎えたいという話が出てもおかしくない。
現に邪術陣はサイの魔法の一撃で粉砕され、跡形もなく消えている。
少年の体もこちら側に押し戻せたようだ。
静まる空気の中でも肌がピリピリする。
気迫が違う。
これが銀の月を束ねる者なのね。
「マサト…大丈夫か?」
「うん…。ありがと。サイ兄ちゃん」
「礼ならそこの令嬢に言ってくれ」
サイと少年のやり取りから察するにこの辺りに住んでいる子なのだろう。
その顔も名も前世で慣れ親しんだ人々を思わせる。
「私の手伝いなど不要でしたわね」
かなりの魔力を消費したと推測できるのに、サイはケロっとしている。
並みの人間なら、気絶したっておかしくないのに…。
「さっきアンタが邪術陣に弾をぶち込んだのを見て思いついたんだ。俺の貧弱な魔法でも数撃っちゃ当たるかもとな」
「ご謙遜を…」
サイ…。
やっぱり、この男侮れない。
目の前の男への興味と疑念がうごめくが、今はそれどころではない
ソフィアはすでに消えた邪術陣の跡に目をやった。わずかに残る邪術の香りと線はいびつに歪んでいる。それはサイが攻撃を放つ前から揺れていたようにも思う。そして、最初に見つけた陣もだ。
だとすると…。
ソフィアの額に無意識のうちに力が入る。
「どうした?」
サイはソフィアの様子に疑問を投げかけた。
「さっきも言いましたけれど、誘拐だと仮定した場合、組織化されていると考えるべきですわ。けれど、描かれる邪術陣はとてもいびつな線で構築されている。魔法を例に挙げるなら、達人になればなるほど、描く線は美しい物になるのです。それは邪術陣も変わらないはず…」
「つまり何がいいたい?」
「これは素人の技だと言っているんです。そして、それが事実ならあの邪術陣でテレポートできる距離は限られてくる」
ソフィアが語る中、視界の隅で一台の馬車がものすごいスピードで走り抜けていくのに気づく。
わずかに邪力の香りを漂わせて…。
「あの馬車を捕まえて!」
ソフィアの叫びと同時にサイが動き出す。だが、馬車の周囲から無数の小さな魔物が湧き上がってくる。彼らは先ほど、邪術陣に捕らわれたマサトを狙っているようだ。
「あぶない!」
ソフィアはマサトを庇うように抱きしめ、ブレスレットを高く振り上げた。
その無数の玉が優しい光を放ち、その周囲にバリアを張る。
魔物達は次々と粉砕されていく。
辺りには静けさが戻った。
逃げ足の速い奴らだわ!
ソフィアはマサトを覗き込んだ。
「怪我はない?」
「うん…」
思わずホッとした。
マサトの手の甲にうっすらと真っ黒な円とその中にバツ印を模したような痣が浮かんでいる。
「これは?」
「さあ?なんだろう…」
マサトもよく分からない様子で首を傾げている。
マサトの手の甲にあった模様はすでに消えてた。
生暖かい風が汗にまみれた頬に触っていく。
あの模様、どこかで見た気が…。
わずかに感じるデジャブにつける言葉は見当たらなかった。
「以前からあったわけではないの?」
「うん。さっきまでなかったと思うけど…」
だとすると、邪術陣が原因?
それでもここから邪力の気配はしない。
これは考えすぎかしら?
「お姉さん?」
「なんでもないわ。無事でよかった」
「ありがとう」
彼とこうして話しているとまるで、親しい友にあったような感覚に包まれる。
「僕の顔…変?」
「いいえ。とんでもない」
思わず、首を振って否定した。
「僕の先祖はかなり遠い東の国の出なんだって…だから」
肩を落とすマサト。どうやらソフィアの感情を誤解したようだ。
「私にも貴方によく似た知り合いがいたわ。随分前だけれど…。だから、マサト君を見ているとなんだか安心するわよ」
諭すように微笑めば、彼は嬉しそうに微笑んだ。
まだ小さな子供がこんな事言うなんて…。
彼はどんな生活を送ってきたのだろう。
想像するのも胸が痛い。
なんとも言えない感情に包まれる中、サイが肩を落として戻ってくるのが見えた。
「馬車は?」
何気なくソフィアは問いかけた。
「逃げられた。クソッ!」
サイの悔しそうな舌打ちが漏れる。
「どうやら、逃げるルートも確立されているようですね」
「だが、これで令嬢の推測が正しい事が証明された。礼を言う」
「いえ。解決には程遠いですもの」
この事件の確信をつくであろう手がかりは姿を消したという事なのだから。
「それでも今夜はアンタがいたから、マサトは助かった」
それは彼の本心なのだろう。
だが、ソフィアはその言葉もまた、自分の利益になるかもしれないと考えている。
本当に浅はかね。私は…。
「そう思ってくださるなら、私の願いを一つ聞いてくださる?」
次の一手をソフィアは実行に移した。