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第62話 侍女の嘆き

ああ、寒い…。

なのに体中が熱い。


すべてが矛盾している。

しかし、そんなこと些細な感情だ。


問題はここ数日ますます、頭の中の声が大きくなっている件だ。


一体、私はお嬢様に何を望んでいるというの?


自身の汗で濡れたシーツの上で丸まっても考えがまとまらない。


忠実な侍女として生きてきた。

それなのに、お嬢様の手を煩わせてしまった。


闇市で手に入れた、癒しのお香の効果も薄れてきている。

また、新しい物を手に入れなければならないのに足が動かない。


このままではお嬢様に捨てられてしまう。

役に立たなければならないのに…。


いえ、役に立ちたいと思っているの?

本当に?



また頭の中で雑音にも似た響が通り抜けていく。

心底煩わしいわ。


打ち消したくて暴れまわりたい。

でも、お嬢様だって休んでおられるはず。

騒音をたてて、その邪魔をしたくはない。


それが本音なの?


“お前も母のように生きればいいのだ――”


まただ…。


「やめて!」


シエラは悲鳴をあげていた。


「お願いよ…」


今度は涙した。

ここ数か月、横になるたびに体中を何かが這いずりまわる感覚に襲われる。

今夜は特に激しい。

そして、決まって昔の事を思い出すのだ。


そう、暗殺者として育てられていた頃の…。

だって一族は皆、人殺しだったから。

もちろん、母だってそうだった。

いつも血まみれで帰る人だったけれど、私には優しかった。

他の家族だって同様だ。


母はいつも言っていた。


「私達が誰かを殺すのはお金を貰った時だけよ」

「分かっています。お母様」


私は決意を持って、そう返した。

母も満足そうにしていた。

しかし、その後に続く言葉は今でも忘れない。


「けれど、たった一度だけそれ以外で殺してもいい時があるの。それはね…」


今まで見た事もない妖艶は微笑みを称える母はどこか恐ろしかった。

だから、ずっと思い出さないようにしていたのに。


スクド家で交わされたかつての両家の悲劇の話を聞いていると、どうしても母の顔がちらついた。


厳密に語れば、当主様方と母を比べるのはお門違いだ。

その本質は全く違うのかもしれない。

スクドの当主は愛ゆえにマゴスに堕ち、愛する者を傷つけるに至った悲しい人に過ぎない。


母は違う。


「私達の先祖はね。血を欲する怪物だったのよ。それを哀れに思った女神様が人間の姿に変えてくれたの。それでも先祖の血は抗えない。誰かを切り刻みたいという衝動は抑えられないの。特に、惹かれる者の血はね」


幼い私は母の言葉が理解できなかった。


「うふふふ。貴女にはまだ早かったわね。なら、これだけは覚えておきなさい。人殺しは私達の稼業。だから、仕事以外では人を殺してはいけない。けれど、もし、本能に負けて愛する者を殺したら、その時は貴女の命をもって償いなさい」


やはり、母の言う事は分からなかった。

けれど、それは間もなく知る。母が仕事以外で人を殺したと知ったから。

その人は一族の男ではなかった。だが、周りの大人が話している情報から自分の父だと直感した。

その亡骸を抱いて、母はウットリしていた。

意識はどこか遠くへ旅立っていた。

その時、どこか半信半疑だった女神様と一族の言い伝えに真実味が増した。

私達は普通ではないのだと。


「あやつは本能に負けたか」


祖父だった男は淡々と言った後、母を切り捨てた。真っ赤な血が流れ落ちて、息も途切れたというのに母はやっぱり笑っていた。それが、母が言った償いなのだと直感したのだ。本能に負けた罰とは一族に抹殺されるという事。だが、それももう遅い。なぜなら、娘をあっさりと始末した祖父が私を見降ろしたからだ。


「お前もアレの特質を強く受け継いでいるかもしれぬ」


その目に殺意が込められている事を悟った。本能にまだ負けてはいない私を切り捨てた女の子供という理由だけで目の前の男は私を始末しようとしている。この老人は危険だと私の中の人殺しの血が騒いでいた。そう思うと、足が勝手に出口へと走っていた。

本能的に生きたいと願ったのかもしれない。だが、それでも頭の中では自分も母のようになるのかもしれないと思った。ならば、このまま、死んでしまおうかと…。

それでも、よく分からないとやっぱり言い換えたのだ。


ただ走った。泥水もすすり、人の道理に外れた行いをして何日も過ごした。

そもそも生まれた場所自体、おかしな一族の中だったのだ。


それでも、もう終わりだと思ったその時、手を差し伸べてくれたのがお嬢様だった。

拾われてすぐの頃は一族の連中が追いかけてくるのではと不安だったが、数か月待っても誰もやってくる気配はなかった。

そして私はお嬢様と過ごす時間が長くなればなるほど、彼女のために生きると決めた。こ


の手を汚すのもすべてはソフィア様のためだけだと…。


お嬢様を守れるならそれだけでよかった。そのおそばにいられるだけで幸せになれたのに。

今は私だけのお嬢様…ソフィア様でいて欲しいと思ってしまう。


やはり、あの時、殺されていればよかった。


“本能に従え!”


私も母のようにしろというの?

あの人からすべての色を奪ってしまえと?


“すべてはお前の覚悟次第なのだ”


それでこのざわめきは抑えられる?

ああ、今日も眠れそうにないみたいね。


腰に巻き付いたお香袋がはじけとんでも、気にはならなかった。

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