走り続ける馬車は適度な振動で目的地である街まで向かっている。
その間、ソフィアとカデリアスはただ静かに寄り添っていた。
そうするのが当たり前のように。
学院に帰る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
「警部さん…」
御者にカデリアスを警察本部まで送り届けるようにと伝え、ソフィアは地面に足をつけた。
そうして、馬車の車輪にひかれないように距離を取るが、カデリアスは名残惜しそうにソフィアの手をそっと握り返してくる。その行動に便乗しそうになる自身に驚いた。
「警部さん?」
「これは失礼しました」
「いえ…」
なんとなく気恥ずかしくて視線を逸らす。血管が浮き出そうになるほど、体全体が沸騰している。
それを悟られたくなくて、俯いてしまった。
「ではまた…」
「はい…」
また…だなんて、よく言える。次があるかどうかも分からないのに。
心底、穏やかな眼差しを向けられて、罪悪感なのか、ときめきなのか理解不能な感情が湧き上がってくる。それを否定するのに必死だった。
再び、カデリアスが馬車の中へと姿を消して、ホッとした。
大きな音と馬の小さな悲鳴と共に彼を見送る。
きっと、この気持ちは十代のソフィアが初めて味わう青春なのだと言い聞かせた。
いつかは通り過ぎる物。私にとっては遠い過去にすらなりえない。
その前に終わるのだと納得させた。
「お嬢様…」
ハッとして振り返れば、青白い顔のシエラが立っていた。
「どうしたの?」
「なんでもありません。それよりも、警部さんとはどうでした?」
「どうって…」
正直なんと答えていいのか分からなかった。
折角この気持ちに蓋をしようとしたのに…。
あの瞬間、確かに私達は通じ合ったのだと思う。
この先、あの人ともっと深い関係になれるかもしれないという期待すら感じた。
そんな事、絶対許されないのに。私には何もかもが過ぎたものだ。
マニエルの件が片付けば、マゴスの生贄になると決めている。
すべてはこの世界の…
いえ、私自身のために…。
「そんな事よりもシエラ。あなたの方が心配だわ」
「お嬢様の手を煩わせる事など何もありません」
「そうは言っても、ここ数日ずっと調子が悪そうだもの」
「気づいておられたのですか?」
「当然でしょ!」
「そのお心づかいだけで胸がいっぱいです」
「お世辞はいいわ。医者を呼びましょう」
「いえ、それには及びません」
「でも!」
ふらつくシエラを思わず支えた。
体中は冷え切っていた。
こんな状態の彼女を私はずっと連れまわしていたの?
「少し休めば落ち着きます」
「でも…」
「お嬢様もお休みください。今日は忙しかったですし…」
いつも元気に笑うシエラとは異なる強い眼差しにそれ以上、何も言い返せない。
彼女の腰に揺れる小さな香袋が目についた。それがなんとなく気にはなったが、その違和感の正体にたどりつく事は出来なかった。
「なら、部屋まで送るわ」
「ありがとうございます」
シエラは静かに微笑んだ。
彼女の中で渦巻く感情や想いにこれ以上踏み込むなと言われているようで、寂しさが募る。
思えば、彼女はソフィアが闇を抱える前からずっとそばにいた。
ずっと友人だと思っていたし、シエラにもそう伝えてきた。
けれど、彼女にとっては違うのかもしれない。
周りに悪態をつき、溢れる怒り、喪失感と折り合いをつけられないかつてのソフィアをシエラがどう思っていたのか知るすべはない。
ただの雇い主として割り切っているのか。
それとも…哀れに思っているのか。
それでも、領都で私を守ってくれたのも事実だ。
「シエラ…」
「なんでしょう。お嬢様」
「話したい事があれば、いつでも言ってちょうだい」
ソフィアの部屋の向かいに与えられたシエラの寝室の扉をあけながら、本心をもらせば、すべてを飲み込んだように目を伏せるシエラが笑っていた。
「お嬢様は私のような者にまで気を回す必要などありませんよ」
「えっ!」
シエラの言い回しが気になったが、質問を返す事はできなかった。
彼女は質素なベッドに横になるとすぐに眠りについてしまったから。
そう言い聞かせて、自分に言い訳した。
彼女の部屋はその性格を表すように整われ、無駄のない佇まいをしている。
部屋中に漂う甘い香りが鼻を通り抜ける。
「ルームフレッシュナーというものかしら?」
ソフィアの好みの香りではない。まるで人工的に再現されたような独特な強い匂い。
正直、清楚なシエラとも似つかわしくはない。
一瞬、腕に微量の振動が伝わったように感じたがそれも一瞬の事で、気のせいかと解釈した。
「おやすみなさい…」
シエラが休めばよくなるというなら、それを信じよう。
静かに自室へと足を進めた。
真っ暗な部屋に風が通り抜ける。
窓が開け放たれている事に一抹の不安を覚えた。
真っ白なカーテンがユラユラとなびく様子はなんともいえない恐怖感すら醸し出す。
「よう!」
真っ暗な中に人影が浮かび上がり、思わず、小銃に手を回した。
月明りに照らされ、その顔が浮かび上がる。
長身で鍛え上げられた肉体は野生的なオーラを放っている。
始めてあった時とほとんど変わらない声色と雰囲気を持つ男が立っていた。
「サイ?」
彼はソフィアが撃たない事を確信していたかのように緩やかな微笑みをたたえた。