「聖女様なんて言われると罪悪感で胸がいっぱいになるわ」
実家の自室よりも安心感をもたらす学院の寮の部屋でソフィアは盛大なため息をついた。
「女神に認められていなくても、彼らにとって、お嬢様は間違いなく救世主たる聖女なのですよ」
シエラは床に投げ出されたソフィアの素足を触り、マッサージを始める。
「なんだか、それって虫が良すぎるわね。だって私は…」
「お嬢様が他者を気にかけるのは良い事ですが、自分を卑下しすぎるのはいかがなものかと思います」
ソフィアはシエラの言葉に反論する事なく、顔をそむけた。
思わず眉間にしわがよっていく。
「今まで誰も彼らに手を差し伸べなかったのです。お嬢様以外は…」
「オリビア様だって賛同してくれたわ」
「あの方を連れてきたのはお嬢様でしょう」
「そうね。あの人達に生きられるかもしれないという希望を与えたのは事実だわ」
「でしたら…」
「いいの。シエラの優しさは十分伝わっているわ。ありがとう」
長年の友人の心遣いはありがたく受け取っておこう。
確かに彼らを救うと決めたのは私だ。
だから、失敗は出来ない。やっぱりダメだったではすまないんだもの。
再びあの人達を地獄に突き落とす事は絶対にしちゃいけない。
マニエルだってそれは許さないはずだから。
フッと笑いが漏れた。
死を待つだけの私が誰かを助けるために動くなんてとんだ皮肉だわ。
「ですが、どうするおつもりです?オリビア様のおっしゃる通り、彼らをあそこに置いておくのは得策ではありません」
「ええ、だから、環境のいい場所に移すのよ」
「恐れながら、簡単な事ではないはずです。クラヴェウス家の力をもってしても彼らを受け入れてくれる施設があるかどうか…」
「それは、はなから期待していないわ」
「では、どうなさるのですか?」
「クラヴェウス家に関係のある屋敷を使うのよ!」
「そんな事できるんですか?」
「首都の周辺にはクラヴェウス家が管理している屋敷が数多くあるわ。そのどれかを使うのよ」
「それら、ほとんどの屋敷の管理は分家の方々やその縁者が行っていると聞いております。いくら、本家の令嬢であるお嬢様がお願いしたとしても承諾してくれるかは怪しいのでは?それに、大奥様がなんとおっしゃるか…」
「心配ないわ。私が首都で何をしようが口を出すなと約束を取り交わしたんだもの。あの人は扱いにくく厄介極まりないけれど、約束は守る方ではあるのよ」
だからこそ、危険を冒しておばあ様に直談判したんだもの。
けれど、シエラの懸念も分かる。
貴族である彼らがマゴスの瘴気にあてられた人、それも庶民を好んで助けるとは思えない。
本当なら街の中で適当な建物を見つけたい所だけれど、密集地帯の中心部ではどうやっても彼らは目についてしまう。空気も悪いし、心無い者達からの誹謗中傷や妨害に妨げられる可能性は高い。
それはオリビアの治療に悪影響を与える可能性はある。
「何も片っ端から声をかけると言っているわけではないわ。周りに何もなく、大人数を受け入れられる広さのある場所。瘴気の濃度も低いに越したこともないわね。できれば、中心部からそれほど離れていないというのも考慮に入れたいわ」
「そんな理想的な場所があるんですか?学院の周りは魔力を持つ者が集まっているせいか、瘴気の濃度を気にする事はありませんが、首都のどこへ行ってもマゴスの脅威を感じざるおえない」
「確かにそうだわ。でも、郊外はまだ自然が残っているし、中心部に比べれば格段に瘴気の濃度は下がる。それにどんな所だって、地下のあの場所よりはずっといいはずよ」
「そうですね。私が浅はかでした」
肩をすくめて申し訳なさそうに頭を下げるシエラ。
「気にしないで。心配してくれているんでしょう」
「そのご様子ですと、候補となる屋敷をすでに見つけておられるようですね」
「ちょっと心当たりがあるっていうだけよ。シエラの言う通り、その一帯は古くからクラヴェウス家と深いつながりを持つ一族が守っている」
「その方々ならお嬢様の話に耳を傾けると確信があるのですか?」
「う~ん。それはなんとも言えないのよね」
何かを至難するように頭を抱えるソフィア。
「他の分家の者達よりも、本家のクラヴェウス家の令嬢をもてなしてくれるかもしれないけれど、逆に私の首を狙うかもしれないわね」
「そんな危険な人物がクラヴェウス家の縁者にいらっしゃるのですか?」
「おばあ様の事を思えば、案外気性の激しい家門なのかもよ。私達は…」
かつてのソフィアだってなりふり構わず八つ当たりしていた。
それを思い出して、笑いが漏れる。
「申し訳ありません」
また失言してしまったと言いたげなシエラの瞳が下を向いていく。
「いいのよ。身内の自虐ぐらい許されるわよ。それに彼らは正確にはクラヴェウス家の血縁ではないし…」
昔はともかく今はね…。
そして、彼らは…。
「もしかして、スクド家の者に頼むおつもりですか?」
「あら、シエラも知ってるのね」
「それは…だって彼らはクラヴェウス家に刃を向けた反逆者ではないですか!」
「やっぱり、結構有名な話なのね。でも門前払いされる事はないはずよ。多分…」
おどけたように肩をすくめるソフィア。
「お嬢様がそうおっしゃるなら…」
不安そうなシエラの手元は震えていた。
「なんだか喉が渇いたわね」
「お茶をお入れますね」
主の期待に応えるようにシエラの動きは速い。
「シエラの分もね」
「私のもですか?」
「ええ、リラックスできるカモミールティーがいいわ」
「分かりました」
シエラの表情が少し和らぐ。
反逆者ね…。彼らに会うのは一か八かの賭けである事に変わりはない。
マニエルの件が片付く前に殺されなければいいけれど…。