「これは何です?」
クラヴェウス家の女当主の前に投げ出されたのは安物くさいドラゴンが象られた人形だった。
「証拠品ですわ」
「証拠品?」
「ええ…」
淡々と答える孫娘の顔を見る事なく、アンは紅茶に口をつけた。
「つまり、領都を悩ませていた魔物は処理出来たと言いたいのかしら?」
「はい。魔物の数が極端に多かったのは邪術使いが暗躍していたためでした。その人形は彼女が使っていた邪具のなれの果てです」
アンは汚物が視界に入ったとでもいうように人形を地面へと叩き落とす。
「そんな物を私の前に、それもテーブルに置くとは、いい度胸ね。ソフィア」
「ご心配には及びません。使役していた主はこと切れました。もはや、その人形になんの力もありません。ですが、それでも心配だとおっしゃるなら人形を回収すればいいでしょう。とはいえ、それは願いを叶えてくれるというなんとも抽象的な噂と共に領都内外に広まってしまった。その正体がまさか、魔物を創造するための物だったという事実を聖女の一族であるクラヴェウス家が見抜けなかったと知られたくはないのでは?」
「つまり私を責めているのかしら?それもこれも貴女が…」
アンの声が冷たく、鋭い刃のように研ぎ澄まされ、そばに立っていたミルトンとシエラは背筋を伸ばした。だが、ソフィアの表情は変わらない。まっすぐと祖母を見つめている。
「聖女になれば、起きなかったとおっしゃりたいのですね」
「分かっているなら!」
「ですが、起きてしまいました。それを取り消す事はできません。しかし、変わりに私は約束通り、この件を解決しました。それもこれもおばあ様がこのラ・ルチェ・ガンを貸してくださったおかげです。ありがとうございます」
「私をおだててくれるなんて、口が回るようになったのね」
「素直な気持ちを述べているだけですわ。勘繰らないでください」
「まあ、いいでしょう。ソフィアが邪術使いを葬ったというなら信じるわ。けれど、困ったわ。数多くの魔物が出現し、私の領地の民たちが傷つき、亡くなったのも事実。彼らにこの事をどう伝えればいい物かしら。貴女が言った通り、邪術使いの陰謀を暴けなかったと知られるわけにはいないわ。そうなれば、聖女の名に傷がついてしまうもの」
「おばあ様!それではまるで、姉さんを責めているような口ぶりではありませんか!」
口をはさんだのはミルトンだ。
「そんなつもりはないわよ。幸い、まだ聖女ではないソフィアをどうして責めなければならないの?」
「ですが、街の人々は違う。聖女候補の姉さんがふがいないからと妙な噂を信じるに決まっている」
「それはないわよ。私は良い噂どころか悪評の方が立っている。聖女だなんて誰も期待していないわ」
ソフィアはうんざり顔で弟をいさめた。
「あら、自分で理解していたのなら、どうして今まで上手くやってこなかったの?お前がそうだからいつまでたっても!」
「おばあ様も同じ話を何度も繰り返さないでいただけます?これではいつまでたっても堂々巡りから抜け出せませんわ」
ソフィアの顔はどこか青白く覇気が感じられない。
「あの、口をはさんでしまい申し訳ありません。そもそもレイジーナなる邪術使いを招きいれたのは屋台連合です。その事実を普通に発表してしまうのがよろしいのでは?」
「お前の侍女は頭が悪いのかしら?屋台連合と我が家は古い付き合いなのですよ。その権利の半分は我が家が所有しており、クラヴェウス家は彼らを監督する立場にある。そんな場所の中枢にマゴスの脅威が忍び寄ったなどと発表できると思っているのか!それこそ、女神の加護は役に立たないと認めているようなものではないの!」
アンはシエラの顔すらみずに立ち上がった。
「申し訳ありません。出過ぎた真似を致しました」
シエラは肩を震わせながら頭を下げた。
「今度はシエラに責任を押し付けるおつもりですか?」
おばあ様は激高して、持っていた扇をソフィアに向かって投げつける。
「ではどうするつもりです!答えなさい!」
「先ほども申し上げたはずです。元凶たる人形はすでに力を失った。魔力の色に個人差があるのと同様に邪術にも固有の波動が存在します。あの人形はレイジーナなる邪術使いのオリジナルの邪具。彼女以外が使う事はできず、その力を発動する術は破壊しました。あれは一種のはやり物として人々の手に渡った。ならば、このまま、廃れるのを待つ方が得策です。そして、この件を忘れたいのは屋台連合も同じはず。だから、事件の過程をわざわざ説明する必要はありませんわ。人々が知りたいのは脅威が去ったのかどうかだけなのですから」
深々と頭を下げるソフィアにアンは満足した。思わず口元が緩む。
「つまり、大量発生した魔物はすべて討伐したとだけ発表するだけでよいと言いたいのね」
「そうです。信憑性を持たせるためにミルトンが討伐したと言えば、我が家の名声も保てるはずです」
「姉さん!何を言ってるんだ」
「倒したのは本当でしょう?目撃者も多いし皆、信じるわよ」
「姉さんはそれでいいのかよ」
「構わないわ。人々に必要以上の不安を与える必要はないんだもの。ミルトンも分かっているでしょう。不の感情もまたマゴスの力となると言う事を…」
ソフィアに反論されて、言い返す言葉はミルトンには浮かんでこない。
「良い案ね」
貴婦人たるアンの笑いが漏れた。
「もちろん、ご承知の事とは思いますが、レイジーナによる犯行は食い止めました。しかし、その他に脅威が全くないとは言えません」
ソフィア淡々と言葉を付け加えた。
「心配しないでちょうだい。二度も同じ手は喰わない。警戒は強めておくわ」
「さすがです。おばあ様…」
アンは孫娘の成長を肌で感じ、喜びに震えた。すべての貴族の見本となるように育ててきたがやっとその成果が表れたのだ。
この私と対等に渡り合うとはね。
これならば、女神も認めてくださるはず。
「話は以上よ。もう遅いわ。部屋でゆっくりと休みなさい」
「わかりました」
「それと、ラ・ルチェ・ガンはそのまま、ソフィアが持っていなさい」
「よろしいのですか?」
「ええ。今回の褒美だと思ってくれたらいいわ」
「ありがとうございます。それともう一つ」
「何かしら?」
「この件が解決したら、提案を聞いてくださると言いました」
「そうだったわね」
「私…首都に戻りましたらやりたい事があるのです」
「やりたい事?」
「はい。それによって救われる者がいるかもしれません」
「人を助けるのは聖女の務めね」
「ですが、それは既存の常識から外れた物でもあるのです」
「どういう事かしら?」
「今ここで詳しく話してもよろしいですが、実際に見てご判断いただきたいとも思います」
「つまり何をしてほしいのかしら?」
「何も…。望むのはただ、私を見守りくださること。世間がどう語ろうとも…」
「いいわ。ソフィアがこれからやる事に口を出す事はしません。すべては聖女となるためなのでしょう」
「もちろんです。そのお言葉お忘れにならないでください。ご当主様…」