「さあ、共に参りましょう。そうすれば、欲しい物が手に入るのですよ。その御身を煩わせるおばあ様も手出しは出来ない…。そのお心を射止めたいと願う王子の瞳に映る事だって出来ますの。なぜなら、ソフィア・クラヴェウス様は素敵なご令嬢なのですもの。誰もが愛さずにはいられないお方…」
レイジーナの甘美な声が血を巡っていく。すべてを見透かしていた。
丸裸にされた気分で羞恥と葛藤が入り混じる。
ああ、ゲーム内のソフィアはこの言葉に引きずりこまれたのね。彼女の十数年の人生の中で一度でも言われたいと願った想いをこの女性が囁いてくれた。自分を理解してくれていると思わせる魅力がある。だから、その手を取ってしまったのだ。これは仕方がない。だって、レイジーナも悲しみを抱えた女性。同じように傷ついていたソフィアが惹かれたのは避けられなかった。だけど…。
「…………」
「何?」
ソフィアが口走った言葉を聞き取れなかったのかレイジーナが耳を傾けた瞬間、その真っ黒な肩越しに球がかすめた。
「うっ!」
レイジーナは肩を抑えて、痛みに耐える。
「ごめんなさいね。私は愛されたいわけじゃないの!欲しいのは真実だけ!」
愛を手にするべきだったのはマニエル。すべての人の太陽である彼女の死を招いた者の正体を掴み、その罪を償わせる事だけが望みなの。それ以外はいらない!
強く輝く瞳にレイジーナはたじろいだ。
ふらつきながら、得体の知れない者でも見るようにソフィアから離れる。
「お前…一体」
それ以上の言葉は彼女から出てこなかった。口から血が溢れていた。
覇気が失われ、邪術使いの女性は重力に見放されたように倒れ込んだ。
「レイジーナ様!」
ソフィアは思わずその体を支えた。
「お願いだから…。私の手を取ってくださいな!出なければ…」
血管が浮き出た細い手がソフィアの腕を掴んだ。
なんて、冷たいの。
ベールの下から涙にぬれた青白い肌の女性の素顔が見えた。
すべてに絶望してなお、一筋の想いだけで生きているような痛々しい姿に胸が締め付けられた。
思わず涙が溢れてきた。それは同情なのか共感なのか自分でも分からない。
それでも何かしてあげたいと思ってしまった。
けれど、出来る事なんて何もないとも思い知ってソフィアは赤子をあやすように彼女を優しく抱きしめる。
「マゴスに何を言われたのかは分かりません。しかし、奴が願いを叶えるほど優しくない事ぐらい貴方が一番よく分かっているはずでしょう?シスターレイジーナ!」
腕の中の女性は驚いたように目を見開いた。
「貴女は神聖なるアビステアの信仰を司る教会の伝道者ではありませんか!」
ゲーム内で語られた彼女のバックボーンは少ない。けれど、洗礼式で与えられたレイジーナという名前は先の聖女、リリアーナにあやかってつけられた特別なもの。そしてその名の通り、管轄する教区の人々から慕われたシスターであったと記憶している。
「随分、古い話を…。やはりただの令嬢ではないのですね」
「いいえ、私は力もないただの女です」
「それでも私よりはマシですわ。女神にお仕えすべき立場でしたのに愛を囁かれ、その気になってしまった。愛の結晶が出来たと分かった途端、私を殺そうとした男の言葉を信じてしまった」
「しかし、お子さんが守ってくださったのですね」
「それもご存じなのですね」
「ただの推測です」
「毒を飲まされ、死の境を彷徨いました。気づいた時は教会のベッドの上で…。しかし、それは死の宣告でもあったのです。お腹に宿った命が終焉を迎えた事を知ったのですから」
「レイジーナ様の悲しみを私ごときが理解する事などできません。けれど、最も許せないのはマゴスがその絶望に付け込んだ事です。これほど衰弱してなお、奴は子供を盾にして脅している!」
命の尽きたレイジーナの子供は生きていると戯言を囁き、彼女を操っているのだ。
レイジーナは諦めたように息をついた。
「もう、いいです…」
「えっ!」
「ソフィア様…貴方様は不思議な方ですね。こうして腕に抱かれているだけで、遠い昔の事を思い出します。お優しい方…」
「シスター?」
「ソフィア様のおっしゃる通りです。本当は分かっていました。愛する男と生き、この胸にあの子を抱く。それは夢でしかないと…。それでも闇の王の言葉にすがりたかった」
レイジーナの瞳はさらに涙で濡れる。
「貴方様のような実直な方ならもしかしたら…」
か細い声を絞りだしたのを最後にレイジーナは穏やかに目を閉じた。
その体がマゴス讃美歌の刻印に浸食されていく。
「ダメ!」
レイジーナの体が突然出現した魔法陣の中に消えていく。
伸ばす手をミルトンとシエラにつかまれる。
「離して!」
「レイジーナ様が…」
「マゴスに呑まれた者の最後だ。その命がつきれば、奴の力の糧となる。それが契約。姉さんだってわかっているだろ」
知っているわ。そんな事分かっている。ゲーム内のソフィアも同じ末路をたどったのだから。
「それでも助けたかった。彼女はただ、純粋に願っただけよ。被害者だったのに…」
ソフィアの叫びにミルトンもシエラも返す言葉はない。
自分の無力さに耐えかねて、その場にしゃがみ込んだ。
私はなんて役立たずなの…。苦しい。どうしてこんなにも思い通りにならないの!
『泣かないでください…』
頭の中に優しい女性の声が流れてきた。
『私は良いんです…。だから、貴女はただ自分の願いを叶えるために立ち上がって…』
マニエル?いえ、違う。これはレイジーナ様。
耳たぶに違和感を感じ、触るとなかったはずの真っ白なピアスが身に付けられていた。
優しい魔力の気配がする。彼女がまだ人だった頃に身に着けていた物だろう。
『これは私のわがままです。いつか役立ててください』
それを最後にソフィア達は賑わう屋台連合本部のエントランスの中央に立っていた。
消えたレイジーナの変わりに視界を捉えたのは彫刻のように横たわる中年の女性。
息絶えた彼女は長い間、この屋台連合の顔として出迎えてきた前受付嬢であった。
邪術の脅威がとりあえず去ったのだと理解したと同時にレイジーナの言葉が真実だったことも証明されたのだ。