メロディは諦めたように息をはいた。
「あなた方にはお気に召しませんでしわね…。重ね重ね申し訳ありません。前任者には何も教わらなかったものですから。何せ、私が殺してしまいましたので…」
物騒な発言と同時にずっと萎縮していたメロディはゆったりと微笑んだ。その瞬間、厳粛なムードに包まれていたエントランスに黒い闇が立ち込める。邪力の香りが鼻を駆け抜けて、気持ち悪さがせりあがってくる。さっきまで賑わっていたのに誰の声も聞こえない。その場にはソフィア達しかいない。背筋が凍る感覚に襲われた。
「どうなっている!」
ミルトンは困惑していた。その声に恐れと不安が混じっている。
「彼女の結界内に招かれたのよ」
マゴスの復活が近いとはいえ、いまだ国は女神の加護を受けている。そんな中で邪術を最大限に発動させるのは難しい。だから邪術使いの多くが一定の結界を張る事で魔法の力を弱める術を身に着けている。つまり、ここは彼女のテリトリー。
「あら、それもご承知とはさすが、今世の聖女と目されるソフィア様ですわ」
視界に小さな影がちらついた。だが、それがソフィアの体に直撃する前に叩き落とされる。
床をはいずりまわるのは何度も見かけた願い人形。しかし、それよりも幾分か大きい。
布で出来た腹に鋭く光るナイフが刺さっていた。
「お嬢様を傷つける者は許さない!」
シエラが投げた物だとすぐにわかる。
先刻の男の家での一件の際も見かけた彼女の力。ただの侍女とばかり思っていたのに一体どこでそんな戦闘能力を身に着けたのか。驚かされるばかりだわ。
そうこうしている間にも無数の人形が三人を目掛けて飛んでくる。
それをシエラとミルトンが応戦している。
今はシエラの隠し技能に感謝すべきね。
二人とも余裕があるようだ。これならしばらくは持つだろう。
彼女とゆっくり話ができそうね。
あどけなさとは無縁の不気味でねっとりとしたいやらしい声色が空間に広がった。すでにさっきまでそこにいた少女の面影はない。その女の手に握られた真っ白な仮面を表情の見えない顔に収まるとその姿は黒いベールとドレス姿の人物へと変わった。
ゲームをプレイするたびに画面に映し出される彼女そのものが目の前にいた。
「人形作家レイジーナに言われても嫌味にしか聞こえませんわね」
「どうして、お分かりになったの?」
「ちょっとした裏技を使ったと申し上げておきます」
ただ単にゲームでプレイしたレイジーナのイベントの内容を覚えていただけなのだけれどね。
「我が領地で邪力を込めた人形をばら撒いておいて、ただで済むと思っているのかしら?」
「ちょっとしたデモンストレーションのつもりだったんですわ」
なるほど。時系列を考慮に入れると、ゲームの本編エピソードの前段階って事かしら。
まあ、ゲームをプレイしていた時は首都以外で彼女が暗躍していたという話は出ていない。
そもそも、プレイヤーに語る必要のない情報とカテゴライズされていたのかもしれない。
つまり、ここで彼女を抑え込めば、首都の事件を食い止められる可能性は高いという事にもなる。
「屋台連合にいたのはなぜだ?」
殺意をむき出しにしたミルトンが声をあげた。
「なぜって、好きだからですわ」
「はっ?」
「屋台連合には金も人も集まる。その顔として人々に笑顔を振りまくのは良い気持ちでしょう?」
「そんな理由ですの!」
「何よ!文句があるの?」
「てっきり、人形を効率的に人々に行きわたらせるのに屋台連合の流通手段を利用したかっただけかと思ったのだけれど…」
「もちろん。それもあるわ。でも、やっぱり楽しまなきゃでしょう。何事も!」
その瞬間、視界が歪んだ。地面が揺れていると気づいたのはすぐだ。
「本当は首都で使うつもりだったんですけれど、仕方ありませんわね」
レイジーナはニヤリと笑った。何かを企んでいる顔だ。
「何をしましたの?」
「人形はある程度、この街全体に行きわたらせた。それらが一斉に触媒として発動したら、数えられないほどの魔物が出現する。そうなったら、止めるのは至難の業でしょう。マゴス様、見ていてください。貴方様の言いつけの通りに首都での計画遂行にはまだ時間がかかりますが、聖女の一族の地を先にささげてごらんにいれましょう!」
レイジーナは高らかに宣言した。その目は恍惚としている。
「そんな事させるか!」
ミルトンがその剣を振るう中、レイジーナは余裕の表情で佇んでいた。
「無駄よ!」
地割れはますます強くなる。肌で邪力の濃度が高まったのを感じる。
領都内に出現する魔物の姿が一瞬、頭をよぎった。
けれど、そうはさせない!
――バンッ!
「えっ!」
空間に銃声が響き渡る。
「魔物が出現しない…」
予想した通りの展開が訪れない事にレイジーナは困惑する。
彼女の瞳に美しい装飾が施された真っ白な小銃を天井に向かって掲げるソフィアが映った。
シャンデリアの飾りが粒子のように砕け、二人の女性に降り注ぐ。
何が起きたのか分からないのは彼女だけではない。
ミルトンもシエラも状況を理解するのに戸惑っていた。
「よかった。推測が当たったわね」
この場ですべてを見透かしているのはソフィアだけだ。
「お前、どうして…。上手く隠していたのに…」
「だから、裏技を使えるって言ったでしょう?」
レイジーナは得体の知れない恐怖を小銃を握る少女に覚えた。