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第31話 ソフィア、帰る

クラヴェウス邸の威厳ある門構えを前にして、ソフィアは重い足取りで馬車を降りる。

一瞬、ピリピリした感触が駆け抜けていった。


邪力?


辺りを見渡しても、のどかな風景が広がる。しかし、それは一見すればの話だ。

邪力が込められた瘴気が漂っているのが分かった。


「この辺りにもマゴス復活の影響が出始めているのね」

「お嬢様?」

「何でもないわ」


不安そうなシエラに笑顔を向ける。

首都の方が濃度は高いはずなのに、どうして胸騒ぎが収まらないの?


「ミルトン!おかえりなさい」


おばあ様の明るい声が通り抜けて、顔をあげる。

いつの間にか隣に立っていた弟をおばあ様は優しい面持ちで抱きしめた。


「あら、ソフィアも一緒だったのね」

「ただいま戻りました」


礼儀正しく裾を持ち、深々とお辞儀する。

そのしぐさは淑女の鏡のようだ。


「元気そうね。よかった」


ミルトンにしたように、その温かい腕はソフィアに回される。

学院で会った時とは別人のように穏やかな表情だ。


こうしていれば、孫を思う普通の祖母の姿なんだけどな…。


ソフィアの中で寂しさがこみあげてくる。


「私はそろそろ帰るよ」


屋敷の中から姿を現した気品ある老紳士は優しげに微笑んだ。

整われた白髪は重ねた歳の分だけ魅力を増している。


シブい…。

思わず胸が高鳴る。


「お嬢様?」


シエラの何かを察したような視線で我に返る。


だってしょうがないじゃない。

前世の歳からすると、私と同じ年代の男性なんだもの。

普通に恋愛対象としてアリだわ。


しかし、今はうら若き乙女である。

ソフィアとして考えた場合、守備範囲が広すぎ超年上好き少女と映るのだろう。

まあ、この世界で乙女ゲームを地で行く気をはない。


「エルモンド伯爵。ご機嫌うるわしゅございます」

「堅苦しくしないでくれ。ソフィア様。私の事はルベルトと呼んでくれと何度も言っているだろう」

「そう言われましても…。やはり、恥ずかしいですわ」

「ソフィア様は若いころの君にそっくりで純粋だね」

「ルベルト。やめてちょうだい。そんな昔の話を…」


この男、ルベルト・エルモンド伯爵はおばあ様の古い友人だ。

そして、大陸中に彼の恋人がいるという噂が立つほどの女好きとしても知られている。

未婚の女性だろうが、既婚者だろうがお構いなしに口説き、女性の夫から切り付けられたというスキャンダラスな話題に事欠かない人物。だが、外交分野で高い能力を発揮したというのも有名な話で、長い間、緊張関係にあった隣国との貿易を成功させた。


「アン。また来るよ」

「貴方もいい歳なんだから、女性との関係はほどほどにしておきなさい」

「それはそうだが…私を好いてくれる女性がいるのだから仕方がない」

「そのたびに私がしりぬぐいをしている事を忘れないでください」


たまに屋敷に訪れるエルモンド伯爵は気さくなおじいちゃんといった印象だ。

おばあ様との関係を疑った事もあったが、そんな素振りもなく大学生の友人同士のやり取りのような雰囲気がある。

古い友を気遣うおばあ様は以前、司祭様から見聞きした言葉と重なる。


懐かしそうに祖母との昔話に花を咲かせる司祭の顔が頭から離れない。

アン・クラヴェウスという女の事を語る者は皆、声をそろえて褒めたたえる。


さすがは聖女の妹と…。


何度も言い聞かせてきた。外で見せる顔と中では違うのは当たり前だと。

理解しようとした。けれど、今は許せないという気持ちの方が強い。

気が狂いそうになるのを必死に耐えながら、足先の冷たさを感じていた。

祖母たちの世間話が終わるのを必死に待つ。


「君はいつも手厳しいな」

「道中気を付けてくださいね。ここ最近、この辺りも物騒ですし」

「物騒?」


祖母たちの会話にソフィアは思わず割って入る。


「ソフィア様は知らないんだね。魔物の集団発生が頻発しているんだよ」

「領内でですか?」


話を切り出したのはミルトンだった。


「ああ、それも人が突然怪物の姿に変わると聞く」

「それは最近の首都ならよく見かけますわ」


マゴスに魅せられて狂暴化する人。


私も何度か遭遇したもの。今更驚く事はない。


「確かに。人の多い首都ならマゴスの闇にとらわれてその欲望を増幅させられる者が後を絶たないのは仕方がない。だが、この辺りはクラヴェウス家の監督する場所だろう?ある意味で国の中で最も聖なる魔力が強い。魔物の出現率も極端に低い事で知られている。それなのにだ…」


伯爵は含みのある顔で一度言葉を区切って、空を見上げた。


「魔物の発生は何を意味するのか?もしかしたら、建国以来初めてマゴス復活を成功させてしまうという前触れなのかもね」

「伯爵。口が過ぎます!」

「もう歳ですな。本気にしないでください。ミルトン殿」

「いえ…」


ミルトンはばつがわるそうに引き下がる。


「ルベルトはいつまでたってもいたずら心が直りませんね」

「こりゃあ、言い返せない」

「心配しないで。貴方がおっしゃりたい事は分かる。私達はクラヴェウス家。聖女の一族ですわ。このままにはしておかない。もちろん、根本的な原因であるマゴスの脅威にだって慣例に乗っ取って対処するわ。すべては聖女の力の名のもとに。そうよね。ソフィア?」


隣で囁くおばあ様の声はゾッとするほど冷たかった。


結局はその言葉で締めくくられるのね。おばあ様はどこまで、私を…いえ、ソフィアという孫娘の心を鎖で縛るつもりだろう。湧き上がる感情を必死に抑える。


「もしや、聖女の刻印が現れたのか?」

「いえ、それは…まだです」


伯爵の問いかけにも小さく否定するしかできない。


「そうか。もしソフィア嬢が聖女に選ばれれば、この国は安泰だな」


この老紳士には他意はないのだろう。ただの世間話をしているぐらいの認識しかないはずだ。

その安易な発言が目の前の少女を苦しめているなんて微塵も思っていない。


おばあ様がどんな心境でいるのか、怖くて顔をあげられない。でもきっと、こちらを責めるよな鋭い視線を向けられているはず。


私は聖女じゃないと叫びたかった。でも、そんな事したって誰も助けてくれない。

賢くならなければ。せめて、マニエルの死の原因が分かるまでは…。だから今は、


「そうですわね」


世間知らずな令嬢の仮面を被って微笑んでおこう。

それが上手く切り抜ける最短の道だと信じて…。

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