オリビアは母を治したかった。その力が自分にあると思っていた。
なぜなら、与えられた魔力で最も上手く扱えたのは治癒だったからだ。
「お母様。私が必ず助けるから」
オリビアの魔法で母は少しだけ元気になった。けれど、それも一時的な物で症状は悪化していくばかりだった。
「どうして?魔法はお母様を助けてくれないの?女神様の力なのに…」
「泣かないでオリビア、貴方は私の聖女よ。でもここに来てはダメ。もし移ったりでもしたら…耐えられないわ」
握った母の手は冷たかった。
「諦めないから」
魔法がダメなら他の術を探せばいい。オリビアは貴族社会の中ではまがい物とされている医学書に目を向け始めた。父はそれを許さなかった。
「医学だと?折角貴族として育ててやったのに、そんな邪道な物に手を染めるのか?やはり、マゴスの闇に落ちた女の娘だな」
「お母様はマゴスの言葉に耳を貸してはいません。その証拠にお母さまは邪力を発していないし怪物にもなり果ててはいません」
「やかましい。屋敷を追い出されないだけありがたいと思え!」
父はオリビアが集めた書物を根こそぎ焼き払った。
「私は諦めないから!」
泣きながら屋敷を飛び出したオリビアの体に雨が激しくぶつかった。
泥まみれになろうと、転んで膝をすりむこうが走り続けた。
そうして、たどり着いたのが謎の紋章が刻まれた切り株だった。
オリビアは何かに導かれるようにその紋章に手を置いた。
その瞬間、現れたのは水晶で守られた小さな神殿だった。
そこには未知の力の知識が詰め込まれていた。
見たこともない文字をなぜかオリビアは読めた。
その理由を探る余裕などなかった。レシピに沿って作った薬を自身の足に塗るとたちまち傷が癒えた。これなら、もしかしたらお母様を助けられるかもしれないと希望を見いだして、オリビアは神殿に籠った。そこで知ったのはこの神殿を立てた者がアビステアとマゴスについて独自の解釈を打ち立てていた事だった。収められていた日記と思われる書物には“両者の神の力はよく似ている”と記されている。
この二つの神に作られた人々は魔法も邪力もどちらも扱えるとも…。
“だが、元からこの大陸に生きている者達は違う。神の力とされた神秘は毒としてその身を蝕む。体が受け付けないのだと私は推測する。しかし、最近はその均衡すら崩れ始めている。神の血を引く者からも魔法への拒絶反応を見せる現象が報告されている。一方で、神々の一族ではない者達から魔法の才能を出現させたり、強い邪力の影響を受け、自我を失う者も出てきていると聞く。これは一体何を意味するのか?すでに神々の戦いから数世紀以上たっている。血が混ざりあった結果なのだろうか?研究を進める”
オリビアが読み進めたページにはそう記されていた。
なるほど。これを書いた人物はかなり古い時代の人間らしい。どんな人物だったかは分からないが、
この神殿を隠す術があったのなら、只者ではないわ。
その治療法の研究も行っていたとも見て取れる。
アビステアが大陸を作ったという神話とは少し異なるが、”拒絶反応“として、記された人々の症状はお母様の物とよく似ていた。
おそらく、アビステア降臨前に住んでいた人々の血を強く引いているのだろう。
だから、魔法の才を持たず、邪力が発する瘴気の毒への抵抗力もないのだ。
私は幸運だわ。この資料を使えば、お母様を救える。
それなのに、急いで屋敷に戻ったオリビアに待ち受けていたのはこの世を去った母の姿だった。
「どこにいたのだ?母親が死んだというのに…」
さんざんお母様を蔑ろにして、地下牢に閉じ込めた癖にオリビアの態度を責め立てる父の言葉には何も感じなかった。
どうしてなの?助けられると思ったのに…。
ひどい無力感にさいなまれた。
なぜだか、母が亡くなった日を最後にオリビアは魔法が使えなくなった。
父は母親の呪いだとまくしたてた。そんな話聞いた事もない。
オリビアは家を追い出される事を覚悟したが、娘という存在は政治的に役に立つと思ったのかそのまま屋敷に置かれた。
けれど私はお母様の死後、お父様の言う事を聞く事を辞めた。
この神殿に籠り、その知識を吸収する事にした。その場所にあった資料のほとんどが、民間で伝わる医学の技術と似ている事に気づいてからは医学書も読みふけった。
そうしているうちに婚期を逃して23歳を迎えた。
父親の思惑を外れて、ヘカピュロス家の変わり者娘の誕生だ。
そんなわけでたまにパーティに出ても、令嬢達のやり玉にあげられるのも慣れてしまった。
目の前で「瘴気に苦しむ人々を助けたいのです。どうか、お力を貸してください!」
ただの男爵家の娘であるオリビアに頭を下げるこのソフィアという令嬢だって、その一人だったのに…。その声は真剣そのものだった。
それにさっきの口ぶりからすると、この神殿の事も知っているようだった。何より、瘴気に対する考えは私によく似ている。
知性がにじみ出ていた。以前、あった時とは別人だわ。
何不自由なく育ったわがまま娘だと思っていたけれど、どうやら、ソフィア・クラヴェウスという少女を誤解していたらしい。
次の言葉を待つ彼女の瞳は私と同じ色をしているようだった。
そうか。貴方もあがいているのね。
思わず、オリビアは口元を緩める。
ソフィア様からの申し出はかなり魅力的だった。私に何をさせたいのかは分からないが、聖女が出現しなかった場合の事も考えるべきだと言ったのは好感度が持てる。
何より、お母様と同じ症状の人をこれ以上増やしたくはない。
その想いだけで、独学なれど医学の知識を仕入れてきたんだもの。
「ソフィア様。私で良ければお話を聞きます」
オリビアは迷いなく答えた。
その決断にソフィアは安心したように微笑んだ。
「ありがとうございます」
こんな風に穏やかな顔もなされる方だったのね。
ソフィア・クラヴェウスの噂は悪評ばかりだった。
そんな得体のしれない物に踊らされていた辺り、私も金儲けばかり考えているお父様たちと何ら変わらないわね。
「それで、私に何をさせたいのです?ソフィア様」
「私と診療所を開いてください」
ソフィアはオリビアの瞳を真っすぐ見つめて、宣言した。