オリビア・ヘカピュロス――
彼女はゲーム内において少しだけ登場するキャラクターだったと記憶している。
それも本編ではなく、ミニゲーム内の案内役として…。
前世の私は攻略対象達との恋愛よりもむしろこちらのミニゲームの方が楽しかったのよね。
この世界に残された古代遺跡の謎を探るというなんとも壮大なキャッチコピーがつけられていたけれど、その内容はダンジョン内に現れるマゴスの手下に見立てたキャラを捕獲していくという仕様だった。とはいえクリアしても結局、謎の答えはぼやけたままで拍子抜けしてしまった。
けれど覚えている事もある。ダンジョン内を駆け回るヒロインことマニエルの体力ゲージがなくなるといつも、オリビアが回復させてくれた。
そういうお助けキャラとしての印象を受ける彼女は医学の知識に優れた令嬢だった。
そのラボはヘカピュロス家の敷地内に隠された古代遺跡の内部に作られていると短いプロフィール画面に表示されていた。
だからきっとここにいるはず…。
ソフィアの前に広がるのはどこまでも続く森林だ。
その中央に忘れ去られたように残された切り株を見つめる。
「あの、本当にこちらに?人がいるような場所はどこにも…」
辺りを見渡すシエラの困惑した声が漏れた。
「ええ、オリビア様。いらっしゃるのでしょう」
ソフィアの声に反応するかのように、風が激しく巻き起こった。
切り株を中心にするように、魔法陣が浮かび上がる。
やっぱり…結界が張られていたわね。
現在は滅びたとされる古代魔術の香りがする。
アビステア由来の魔法でもマゴス陣営が使う邪力を媒体とする邪術とも違う謎の力。
古代遺跡のほぼすべては古代魔術によって隠されている。
そう、今はまさに目の前に出現した巨大な水晶の神殿もまたその謎を示す代物だ。
「なぜここに?」
瑠璃玉のような瞳がソフィアを映していた。その表情はとても困惑している。
布を羽織っただけのラフな格好のオリビアは球体に囲まれた荘厳な神殿の入口に立っていた。くせっ毛のある赤い髪には草木の王冠のように葉や花が張り付いている。その様子はまるで森の主のように美しい。
『まあ、なんてみすぼらしい服なの?』
以前、パーティの場でオリビアの尊厳を傷つけた自身の過去の言葉が頭をよぎって、身震いした。
本当は彼女の前に立つことすら、許されないのかもしれない。
オリビアにこうして会うまで、ずっと考えないようにしていた罪悪感が押し寄せてくる。
「ソフィア様!」
突然ソフィアが膝をつき深々と頭を下げたため、オリビアはさらに驚き、あたふたとし始める。
「ヘカピュロス令嬢。今まで私が貴方に浴びせた言葉を取り消すことはできません。ヒドイ過ちでした。もちろん許してほしいとは言いません。こんな私が貴方にお願いできる立場にない事も自覚しています。それでも、協力していただきたいんです」
例え、記憶が戻る前だったとしても私の行いが正当化されるわけではない。
静まり返る森の中でオリビアの次の言葉をただひたすら待っていた。
心無い一言で誰かを傷つけたソフィア・クラヴェウスへの非難の声はどんな物でも受け止めようと思う。
それが今私にできる最大の謝罪の在り方だと思うから。
古代魔術に守られた神殿の中は荘厳な雰囲気とは異なり、湿った洞窟のような小さな空間がポツンとあるだけだった。しかし、そこにはオリビアが持ち込んだであろう薬品や書物であふれていた。
「それで、お話とはなんでしょう?」
目の前に腰掛けたオリビアはまだ警戒心を緩めてはいない。
そりゃあ、そうよね。会うたびに嫌味を吹っ掛けてくる私が彼女の隠れ家に現れたんだもの。
こうして、招き入れてくれただけでもありがたいと思わなきゃ…。
差し出されたお茶は独特な酸味と匂いを醸し出していたが、素朴な味でソフィアはホッと息をついた。
「単刀直入に伺います。ヘカピュロス令嬢はマゴスの瘴気に侵された者達の症状をどうお考えです?」
「それは瘴気に呑まれていない人々の事ですか?」
「ええ。そうです。マゴス復活の兆しが見える今、国のあちらこちらで瘴気に呑まれ、自我を失う者やその闇に片足を突っ込み、犯罪に手を染める者達であふれている。けれど、そうならず、苦しみの中で死を待つだけの人々も大勢いる。その違いは一体なんだとお考えです?」
マニエルが助けようとしていた人々の事が思い出されて、胸がズキッと痛む。
「どうして、そんな事を私に質問されるのです?呑まれようと呑まれていなくとも彼らが闇に魅入られた事実に変わりはしないでしょう?」
「本気でそうお思いですか?」
「えっ!」
「ヘカピュロス令嬢は本当にそう思っておられるのですか?」
「なんです?質問されたのはソフィア様ではありませんか?大体、貴方でしたら、王宮付の魔法使い達とも縁があるはず。彼らに意見をお聞きになればよろしいじゃないですか?」
「あの者達が世間から見捨てられた人々を気に掛けるとでも?」
「それはそうですが、聖女様が現れればすべて解決する事ではないのですか?」
オリビアはどこか投げやりにお茶を飲み干した。
ソフィアは無意識のうちに聖女のブレスレットを触れ、唇を噛んだ。
「もし、聖女が現れなかったら?」
「心にもない事をおっしゃるのですね。最も聖女に近いとされている方ですのに」
「聖女に近いですか…」
思わず苦笑いがこぼれる。
「ソフィア様?」
「私が聖女に選ばれる事はありませんわ」
「なぜです?先代の聖女様に匹敵する魔法力をお持ちとうかがっています」
「そんな噂が流れているなんてお恥ずかしい…」
どうせ、おばあ様が流したのだろう。
そんな事をして私が聖女に覚醒すると本気で思っているのかしら?
「この際だから告白しますわ。私には聖女となれるほどの魔力はありませんの」