「マニエルを知ってるの?」
「もちろんだよ。彼女は僕達に手を差し伸べてくれた唯一の一般人だもの」
“一般人”――
マゴスの瘴気にあてられた人々がそれ以外の者達を総称して呼ぶ言葉。
そこに込められた意味は複雑なものだろう。自分達を憐れみこそすれど、助ける事ない人達だと揶揄している。
「お姉さんはマニエルお姉ちゃんのお友達?」
少年の無垢な問いにソフィアは戸惑った。
「そう…ね」
絞り出した言葉は途切れてしまう。
お友達…。そう音にするだけでおこがましいと思ってしまった。
私は彼女のために何もしていないのに…。
「だから、魔法を扱うのがうまいんだね」
「マニエルはよく来ていたの?」
「うん。マニエルお姉ちゃん言ってたよ。僕らにだって生きる権利はある。こんな所に押し込めておくなんて許されるわけないって」
本当に優しくて正義感のある彼女らしい発言だわ。
「浄化水だって沢山作って持ってきてくれたんだよ。マニエルお姉ちゃんは気休めにしからないけどって嘆いてたけど、僕らには救いの女神だったんだ」
マニエルは正真正銘、本物の聖女よ。
まだその自覚も目覚めも来ていなかっただけ…。
「お姉さんもお母さんを助けてくれたから聖女様だよ」
無垢に笑うユウと温かいまなざしを向けてくる人々の視線が突き刺さってくる。
やめてよ。私は悪役がお似合いなの。その役すらまともにできない半端者でもある。
マニエルの気配がした浄化水も他の誰が作った物よりも瘴気…邪力の気配を打ち消すはずだ。
私には手の届かない力。
「マニエルお姉ちゃんに言われてきてくれたの?」
「えっ!」
ああ、ここにいる人達は知らないんだ。
「失礼。マリエル・リードという少女は数日前、殺されました」
カデリアスは淡々とした口調で言った。一見すると事務的な行為だ。けれど、帽子を脱ぐそのしぐさは敬意を表していると思った。
「どうして?」
「あんないい子が?」
薄暗い空間に悲しみや絶望、衝撃が広がっていく。
そうよ。彼女が死ぬ理由なんて何一つない。絶対に許されない。
「何かご存じの事はありませんか?」
言葉を続けるカデリアスに人々は押し黙った。余計な事を言って、自分達が処罰されるのではないのかと恐れているのだ。
「ご心配なく。あなた方をどうこうするつもりはありません。私も今の国の体勢には思うところがあります」
「なら、お前が何とかしろよ。警察だろ!」
どこからともなくカデリアスへの怒りの声が上がる。
彼はそれを受け止めているようだった。
やっぱり、この人には道徳的な精神が備わっている。
この世界の人には珍しいとさえ思った。
「ひとまず怒りは抑えていただけませんか?私はマニエルをあんな風にあわせた犯人を許せないです!」
ソフィアの訴えに再び、場は静まる。
「関係があるか分からないけれど…」
たどたどしく答えたのは、先ほどソフィアが助けた女性だ。
「マニエルさんがここに来た最後の日、男性と一緒にいたんです」
「この場所で?」
「いいえ。外の道です」
「外に出られたんですか?」
ソフィアは思わず聞き返した。
「いいえ。お店の中からです。マニエルさんが私達のために食料を持ってきてくれたんです。それを地下に運び込もうと一階に上がった時に見えたんです。彼女は知り合いを見かけたみたいで一瞬、表に出て行きました。窓ガラス越しに男性の姿がありました」
「その男性はどんな人でした?」
カデリアスは問い返した。
「顔までは。本当にチラッとでしたし…正直な所、後ろ姿だけなんですよね。それも一瞬でしたけど…でも多分、軍人っていうのかな。多分騎士様だと思うわ」
「軍人?騎士?」
「腰に差してあった剣はかなり上等の物に見えたから…柄の部分にも装飾が施されていたの。それに…」
「それに?」
「とても品があったのよ。服装はかなりみすぼらしかったけれど、雰囲気ってものがね。この辺りにいるのは傭兵がさらに崩れた連中ばかりだから。まあ、普通の傭兵もたいがいだけど。とにかく、異質だったんだよ。お嬢さんがこの場に馴染んでいないようにね」
話を振られて、ソフィアは思わず肩をすくめた。仮にも公爵令嬢である自分は浮いているらしい。今はそんな事どうでもいい話よね。
「戻ってきたマニエルさんに聞いたんだけどね。あれはいい人かいって…」
「マニエルはなんて?」
「違うって笑っていたわ。でも、あれは絶対訳ありね」
軍人って事は王宮直轄の機関の人間って事かしら?
なら、攻略対象達が犯人というのはやっぱり、間違いかしら?
そうよね。聖女の腕輪だって反応しなかったんだもの。
でも、学院の生徒にも軍や騎士機関に属している人間はいる。
答えを出すのは時期早々かもしれない。
ああ、頭が混乱してくるわ。やっぱり、私に探偵役は荷が重いのかも…。
「刑事さん。犯人は絶対捕まえてくださいよ!一階の散髪屋は祖父母が開いたお店なんだ。私がこんな事になったものだから潰すしかないと思っていたけれど、マニエルさんはそんな事言わないでと慰めてくれた。いつか、彼女の髪を切る約束だってしていたのに。まさに天の使いのような子だったのよ」
そうよ。でも、捕まえるだけなんて生易しすぎる。犯人にはそれ以上の苦しみを与えなくては…。
この場にいる誰も彼もがマニエルの死を悼む中、ソフィアは今一度決意を固めるのであった。