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第18話 幼馴染の音色

両手で開いたカーテンの向こうの日が眩しい。

今日もいい天気だ。


「おはようごさいます。お早いですね」


シエラは驚いているようだ。それもそのはずだろう。

ソフィアは朝が弱い。その人生の中で自分で目覚めた試しがないのだ。

しかし、今は高揚感に満ちている。


「だって、今日は授業がないでしょう。だから、思う存分シエラが入手してくれたマニエルの足取りを追える。場所は彼女の友人達から聞いているのでしょ?」


「えっええ…。大まかには…」


「なら急がなくちゃね」


素早くネグリジェを脱ぎ始めるソフィアにシエラは慌てた。


「着替えなら、私が手伝います!」

「いいの。自分でできるわ。だから、貴女も早く出かける準備をしてきて…」


彼女からの返事がないため、ソフィアは不思議に思った。


「シエラ?大丈夫?もしかして、体調が悪いんじゃ…」

「いえ、何でもありません。お嬢様、すぐに準備してきます」


いつもの穏やかな顔でシエラは言った。

そして、静かに部屋を出ていく。


さっきの沈黙はなんだったのかしら?


何かを訴えてくるような視線だった。

窓辺に二羽の雀が歌っていた。


「あら、可愛い」


きっと気のせいね。


そう思いながら、ソフィアはクローゼットを開けた。

高級そうなドレスや靴、アクセサリーが並んでいた。

まだ、一度も着ていない物も含まれている。

ソフィアが前世の記憶を思い出して、マニエルの死も受け入れた頃、彼女は自分の寮の部屋の有様に驚愕した。

さすがに公爵令嬢なだけあって、備え付けられている家具もソファーもベッドも最高級品ばかりだ。

だが、そこには服の山が出来上がっていた。

自分でいうのもあれだが、ソフィアは相当追い詰められていたらしい。

精神が崩壊していなかったのが不思議なぐだいに…。


まあ、育った環境を思えば、我ながら責められない。

とはいえ、それらのいくつはきちんと畳まれて整頓されていた。

おそらく、シエラが片付けてくれていたのだろう。


本当に仕事を増やしてしまって申し訳ない。

この世界で最も救いを必要としていたのは実は以前のソフィアだったのではないかと思わずにはいられない。だからこそ、少しばかり考えてしまうのだ。


私は本物のソフィアの魂を乗っ取ってしまったのではないかと…。


前世だと思っている記憶も私という別の存在の物で、ソフィアはそれに巻き込まれただけなのではと勘繰ってしまう。


けれど、マニエルの死を目撃した時、彼女がゆいなだと確信したのも事実だ。

そして、酷い絶望感にさいなまれ続けているのはソフィアの記憶があってこそだ。

だから、動かずにはいられない。

彼女の事がすべて片付いたら、これらの私物は売ろう。

いえ、どこかに寄付するのもいいかもしれない。


よし。今は気持ちを切り替えよう。

今日は忙しくなるかもしれないんだから。


以前と同様のシンプルな装いに身を包んだソフィアはコートを羽織る。

今回はソフィアの持ち物の中で一番、おとなしいデザインの物を選び出した。

無駄なレースはなく、淡い紺色ベースのスカート。


こうやって、眺めてみると本来のソフィアの趣味が全くつかめない。

派手な物が好きなのかと思っていたが、こういうものも選ぶセンスも持ち合わせていたのか。

はたまた、あまりそのあたりは考えずに買い込んでいたのか?

どっちにしても、この厚手の生地なら温かいだろう。


アライアンス帝国は各地方に若干の違いはあれど、基本的に気候の安定した土地が広がっていた。

しかし、マゴスの復活の兆しを迎えてからというもの、0度以下の日が続いたり、かと思えば40度を超える日がやってきたりと不安定なものとなっている。


「ファッション一つで大げさに言いたくはないけど、こうも気温差が大きいと萎えてくるわ…」


全身鏡の前で一回転した。我ながら、華奢な体をしている。


「ソフィアはちゃんと食べていたのかしら?」


自分に語りかけるというのはなんともおかしな気分だが、中身は別人なのだから、許されるわよね。

ソフィアは向かい合うように設置されたシエラの部屋の扉を優しくノックした。


「シエラ。私は準備できたわ」


「お嬢様!申し訳ありません」


壁の向こうから切羽詰まったシエラの声が漏れる。


「慌てなくていいわ。先に校門に行っているから」

「そんな。すぐに向かいます!」


慌ただしく動き回る彼女の足音を聞きながら、ソフィアはその場を離れた。


シエラは本当に真面目なんだから…。


微笑ましくて、思わず笑みがこぼれる。

記憶が戻る前のソフィアにとって、シエラは姉のような心を許せる相手だった。


しかし、今の私にとっては彼女も可愛い未来ある若者の一人のように映る。

要は孫を見るような祖母の気持ちにさせられる。

そんな事を考えていると足取りも軽くなった。





多くの年月を重ねた螺旋階段の軋む音すらも気にならない。

ソフィア達が過ごす寮の外観はまさに重厚な城を思わせる佇まいである。

西館は女子寮、東館は男子寮に別れ、その二つは渡り廊下によってつながる。

そして、外に出るのは共同スペースである談話室を必ず通り抜けなければならない。


普段は学生達で賑わう場所であるが、まだ日が昇ってそれほど立っていないのもあり静かだった。

そのため、ソフィアは誰もいないと思っていた。

けれど、とても優雅なメロディーが耳を通り抜けて、思わず足を止める。

談話室に設置されたピアノを誰かが弾いているのだ。

その旋律に導かれるように、談話室の中へと体が動く。


その流れる曲はよく知っていた。この国ではよく知られる歌劇用に作られたもの。

その内容はロミジュリのような男女の悲劇。男主人公がヒロインに送る愛の歌だ。

目の前でその曲を弾く青年にソフィアは切ない気持ちにさせられる。

ピアノに彼の想いが重なっている事に気づいたからだ。


彼はソフィアが知っている限りで言えば、ゲームの攻略対象の一人。

彼女の記憶の中の小さな少年は活発な、いたずらっ子だった。

しかし、一音も間違う事のないその指先とテラス越しから差し込む光も相まって、一枚の絵を鑑賞していると錯覚させられた。

それほどに、幻想的なのだ。ソフィアはその世界観に引き込まれそうになった。

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