自室に戻ったソフィアを出迎えたのは、電気もつけずに考え込んでいるシエラであった。
「おかえりなさいませ。王太子とのお茶会はいかがでした」
「結構楽しめたわ」
初めて感情をあらわにしたパトリックの様子を思い出して、少し微笑みがこぼれる。
「それはよかったですわ」
シエラの声に何か鋭い物を感じるのだが、気のせいだろう。
彼女の表情はいつもと同じく、明るい。
「ハーブティーを入れますね。今日はローズヒップにいたしましょうか?」
「それより、三人から話は聞けたの?」
ポットを持つシエラの手が動かなくなる。背中越しからではシエラの気持ちは読み取れない。
しかし、さきほどまで、笑っていた口は堅く閉ざされた事は分かった。
「シエラ?」
「いえ…。お話ですよね」
再び、映り込んだシエラは侍女の顔に戻る。
今の間はなんだったのだろう。
「面白い話が聞けました」
湧き上がった疑問は、シエラの言葉でかき消されていく。
差し出されたカップを口に付ける気にもなれなかった。
早く、知りたい…。
そう、シエラに訴えかけた。
「あの三人は亡くなった女子生徒の友人だったそうです」
やっぱり…。これはゲームの通りだ。
「で、彼女達の話によれば、例の少女は頻繁に首都の裏路地に赴いていたらしいです」
「どうして?」
「それは…」
なぜだか押し黙るシエラ。
「何?」
「マゴスの瘴気に当てられた者達の治療に当たっていたとか…」
「そう…」
告げられた事実になぜだか、肩の力が抜ける。
「驚かれないんですね」
咎めるようなシエラの瞳とぶつかる。
どうして、私が責められているように感じるのかしら。
多分、そう思うのは気のせいよね。
「彼女なら、やりそうだと思ったから…」
「例の少女の友人達も同じことを言っていました。マニエルという女子生徒は"マゴスの瘴気に当てられた人が可哀そうよ。魔力を少し分けてあげれば、よくなるんじゃないかしら”と言ったそうです。まあ、友人達はその話に乗らなかったようですが…」
マゴスの瘴気に当てられた人々――
その多くは自我を失い、血に飢えた怪物になり果てる。
しかし、そうならない人々もいる。その境界線にどんな違いがあるのかは分からないが、それでも無傷というわけにはいかない。精神を病む変わりに体を蝕むのだ。
気だるさや嘔吐、発熱。体が燃えるような痛みにさいなまれ、肌はただれていく。
それが瘴気がもたらす苦しみだ。
彼らは怪物ではない。人間だ。しかし、瘴気に当てられた者達はマゴスの闇の住人として、差別の対象とされる。その存在自体もない者としてされるのだ。
口に出すのさえ、はばかられる。
「ジュリアさん…。例の少女の友人の一人が言っていました。きっと、マゴスの瘴気に当てられた人に殺されたんだって…」
「それはあり得ないでしょう」
「なぜです?奴らはマゴスの闇に魅入られた人々ですよ」
「それは違うわ。マゴスの闇に落ちた者と瘴気に当てられた者は違うの。彼らは容易に動けないのよ。症状が進めば、石のように固くなり死に絶える。マニエルを殺せるだけの力があるとは思えない」
ゲーム内でもその存在は語られていた。怪物になる事すらできなかった人々。されど、瘴気の痛みに身を焼かれる哀れな者達。そう語られた彼らはゲーム本編ではあまり深くは描かれなかった。
だが、マニエルが聖女として世界を救った後、彼らも痛みから解放されたとあった。
「治療って事は、あのあたりに瘴気に当てられた人がいるって事よね?」
「お嬢様。もう辞めましょう。これ以上は危険です。何かあったら…」
「何かってなんなの?そもそも、瘴気に当てられた人々を放置しているこの現状がおかしいのでしょう。マニエルの死の原因がそこにあるならなおさら…」
何か言いたげなシエラの視線とぶつかる。
だが、彼女は言葉を発する事なく、顔をそむけた。
瘴気を完全に祓う術は今のところ、見つかってはいない。
しかし、聖女であるマニエルの本能が彼らを見つけたのかもしれない。
「で、マニエルが出入りしていた場所はあの近くにあるの?シエラ!」
ここ数日のシエラはどこかおかしい。今まで、ソフィアに反抗した事などなかったのに。
シエラは不満そうな顔を見せつつ、小さな紙きれを渡してくる。
「あの近くに廃業した床屋さんがあるそうです。その地下に症状を持つ人達が隠れ住んでいるとのことです」
紙切れには四つのクローバーのイラストが走り書きされていた。
これが目印と言うわけなの?
「ありがとう。もう休んでいいわよ」
「分かりました。失礼します」
シエラの義務的な挨拶も気にならない。
やっと、マニエルの足取りがつかめたのがソフィアは嬉しくてたまらなかった。
1人になった室内に月明りが差し込む。
夜はすっかり更けてしまった。今からこの場所に向かうのは危険かもしれない。
夜は昼間よりもマゴスの影響力が強くなる。その闇に落ちた者も増える時間帯だ。
けれど、気持ちが浮足立つ。早く、マニエル殺しの犯人を見つけたい。
なら、やる事は一つだ。
すでに寝たはずのシエラを巻き込むのは忍びない。
私一人で行こう。
ソフィアは目立たぬ黒いコートを着込み、スカートの中に短剣を忍ばせて、部屋を出た。
夜の校内は静まり返っていて、誰の気配もない。
この世界にソフィア一人だと思わせてくれるような開放感があった。
「お嬢様?どちらへ?」
足音を立てずに廊下を歩いていたはずなのに、後ろからシエラに声をかけられる。
彼女は神出鬼没すぎる。こんな時まで有能な侍女でなくたっていいのに。
「ちょっと、散歩に…」
「こんな時間に?しかもその恰好は?」
いたずらがバレた時のように背筋に汗が流れていく。
「素敵だと思わない?夜の散歩ファッション」
おどけたように言った所でシエラを騙せる自信はなかった。
あの紙切れの場所に行くのだと言えば、どんな顔をされるのだろう。
大目玉を喰らうかもしれない。侍女でソフィアを怒鳴るのはシエラぐらいだ。
むしろ、自分もついていくと言うかもしれない。
けれど、さすがに若い女性を夜で歩かせるのは忍びない。
どうやって言い訳しようかと頭をフル回転させてもいいアイディアは浮かんでこなかった。
ろうそくの火にともされ、一階ガラス窓に二人の少女が映り込む。
その一方がとても寂しそうにソフィアを眺めている事に当の本人は気づいてはいない。
なぜなら、その関心は彼らの姿の向こうにある人影であったからだ。
思わず振り返ると見た事のある青年達が通り過ぎる。
「どうしてあの二人が?」
一緒にいる所が想像できない彼らがいた。
ソフィアは思わず走り出した。
「お嬢様!」
ちょっとした好奇心が募っていく。
ソフィアによく似た外見の青年と褐色肌を持つ司祭の組み合わせなんて、珍しい。