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第14話 ハーラン・ジェフリーという騎士

パトリック王子とこれほど長く会話したのは初めてだった。

ソフィアの前ではいつも険しい表情をされていたのに今日は無邪気な子供のようにその気持ちが伝わって来た。


お茶会の最後の時には私を気遣う素振りも見せてくださるなんて…。


ソフィアはそこである重大な事に気づく。


「しまった。チェーンを見せるのを忘れたわ」


マゴス信仰者である事の証である黒薔薇が刻印されたシルバーのチェーン。

王子に心当たりがあるか聞けばよかった。いえ、それは軽薄かもしれない。

これはこの国では忌み嫌われる対象なのだ。

そんな物を軽々しく見せていい物か不安がよぎる。王子は清廉潔白なマニエルが好きなのだ。

そんな彼女がこんなものを所持していたと言った所で、私の言葉を易々と信じるとは思えない。

逆にマニエルを貶めた女として軽蔑するかもしれない。王子と和解したばかりだ。

それは他の攻略対象にも言える事だけれど…。


今回は自分の頭の回転が遅い事が功を奏したのかもしれない。

このチェーンについてはしばらく黙っておこう。


そういえば、シエラの方はどうなっているかしら?


恐れられている私ではマニエルの友人達から話を聞き出す事は難しい。けれど、シエラは人付き合いになれているし、貴族ではない。彼女達の警戒心も緩むかと思ってお願いしたのだけれど、結果はどうなったのだろう。


まあ、私よりはうまくやるだろう。


ハッとして、ソフィアは立ち止まった。寮の自室を目指していたはずなのに、学院の裏庭に来てしまった。ボーっとしていたわね。

人の気配は少ない。この辺りに来るのは密かに付き合っている男女か、よからぬ者を考えている生徒がほとんどだ。しかし、ソフィアにとっては重要な場所でもあった。

マニエルと初めて…そして唯一言葉を交わした場所。

貴族の上級生に目をつけられたマニエルを目撃した日の事を思い出した。

あの時に前世の記憶を思い出していればと自己嫌悪に陥る。


けれど、浅ましい私が思い出した所であの子を助けたかどうは疑問が残る。

今となっては空しいだけだ。ここにはマニエルの気配は何一つ感じられないのだから。

ただ、整った芝生が続くだけなのだから。


“カキンッ”


耳を通り抜けたのは剣がぶつかる音だ。一体どこから聞こえるのだろう。

ソフィアは気配の感じる方に足を向けた。

木々を抜けた先にいたのは一心に剣を振る青年。

切りそろえられたブラウンの髪と同色の瞳は敵に見立てた丸太を見据えていた。

悩みを打ち消すかのように腕を振るうその姿は戦場に立つ英雄を思わせる。


ハーラン・ジェフリー!


平民階級であるが、類まれなる剣の才能だけで近衛騎士に入団。

パトリック王子の護衛騎士として学院に在籍するに至った天才。

そして、マニエルの記憶の中にいたセイント・オブ・ラバーズの攻略対象。


容疑者の一人だわ。


声をかけるべきか、ソフィアは迷っていた。

そのため、足元にあった小枝に気づけず、踏みつけてしまう。

その物音に瞬時に反応したのかハーランはソフィアの存在を確認する。


「ソフィア様…」


汗をぬぐう彼の体はよくできた彫刻のように引き締まっている。


「失礼しました。こちらにいらっしゃるとは…。お邪魔なのでしたらすぐに立ち去ります」


そう言ったハーランはどこまでも礼儀正しい。護衛騎士団は目上の者への礼儀作法にも厳しいと聞く。

彼はそれを自然とできるほど身に着けているようだ。

だが、彼の瞳には疑念の色がうかがえる。ソフィアを招かれざる客だと認識しているかのように。


「私の事はお気になさらずに、続けてください」


特に他愛もない言葉だった。しかし、ソフィアの発言にハーランは何か裏があるのではないのかと思っているようだった。

彼がそれを口に出していったわけではない。全身から醸し出される気配がそう言っているように感じた。


“貴女が人を気遣うなんてどういう了見だ”と言いたげに…。


確かに以前のソフィアはハーランに強く当たっていた。パ

トリック王子の護衛騎士に平民は似合わないと本気で思っていた。

特に自らの才能を頼りに道を切り開く彼が羨ましくて、許せなかった。

この男を視界に入れるだけで体中が嫌悪感に侵された事が思い起こされた。


「取って食おうなんて思ってませんからご安心を…。何かを思いつめているような方の首をさらに絞めるほど私は非情ではありません。貴方がどう思っているかは知りませんけれど…」


「思いつめている?俺が?」

「違うのですか?」

「ソフィア様には関係ありませんね」

「例の亡くなられた女子生徒の事でしょう?」

「なぜそれを…」


ハーランは動揺していた。いつもソフィアに嫌味を言われても、徹底して騎士を全うしていた彼が握っていた剣を落としたのだ。

何より、ソフィアに見た事もないような殺気を向けている。

相当、胸の内はざわついているらしい。


「私を誰だと?仮にもパトリック王子の婚約者。あの方の周りにいる女子生徒の情報を集めていないとお思いですか?」


それは全部デタラメだった。ソフィアはそれほど策士的な人物ではない。今も昔も…。

何より、王子と面と向かって話したのはついさっきだ。しかし、ハーランはそう思ってはいないように思える。私が王子にゾッコンだと信じているのだ。

それでも、自分の事となると冷静ではいられないらしい。


「マニエルは殿下とは何も…」


ハーランは自分の言葉を咄嗟に飲み込もうとしていた。

それは王子への嫉妬心からくる言葉だろうか?

彼の言動を見ると、彼女はこの青年とも相当仲が進んでいたとみる。


「マニエル…随分親しげですのね。彼女とお付き合いされていたのですか?」

「まさか、俺たちは…」


ハーランの言葉はそこで区切られた。

彼の中でマニエルとの関係をどう呼んでいいのか分からないでいるようだ。

友達と呼ぶには軽すぎる。かといって恋人同士でもなかったと言いたいのだ。


「とにかく、殿下と彼女は何もありませんでした。ですからソフィア様が気にすることでは…」


あくまで、王子とマニエルの関係を押し出して、自分と彼女の間には何もなかった事にしようという魂胆ね。中々、煮え切らない人。彼の立場を思えば、仕方のない事かもしれないけれど…。


ゲームでもハーランルートの中盤で彼はマニエルは王子と結ばれるべきだと考えて、身を引こうとしていたシーンがあった。

ハッピーエンドへはハーランが自らの願望に素直になれるかがカギだった。

プレイヤーとして操作していた時はどうなるのかとハラハラしたりもしたが、現実で自虐に走る姿を見たら、なんとなくイライラしてくるのはなぜだろう。


「彼女との関係は王子からすでに話を聞いています。ジェフリー様が心配することではありません」

「殿下が?」


ハーランは驚いていた。琥珀色の瞳が大きく見開いている。

王子がなんと言ったのか気になって仕方がないといった様子だ。


「気になるのなら、直接聞いてはいかがです?」

「そんなつもりは…」


刈られたばかりの芝生を一点に見つめる近衛騎士はまるで進路に迷う学生そのものだ。

以前のソフィアなら、嫌味の一つすら言うのだろうが、何十年と生きた記憶のある私の前では彼は可愛い十代の子供だ。

まるで孫でも見るような気分にさせられる。

なんだか、いじらしい。思わず、彼の頬に手を添えた。

ハーランは女性に体の一部を触られた事に動揺している。その顔は真っ赤である。

どうしていいか分からないのか固まっていた。

天才騎士とは思えない普通の青年が目の前にいた。だが、剣を握る手のひら血まみれで痛々しい。

マニエルの死を彼もまた受け入れられていないのだ。その悲しみ、喪失感を埋めるためにもがいている。ハーランという若き騎士が犯人とは思えない。

思わず抱きしめたくなる衝動に駆られ、その大きな背中に手を回した。


「ソッ…ソフィア様…」


うろたえているハーランの声はソフィアには届かない。


「貴方の当面の課題は、自分の気持ちに素直になる事ですわね」


その言葉を聞いた途端、ハーランはソフィアを突き飛ばした。


「素直になるだなんて…。彼女はもういないのに…意味はないっ!」


これ以上、俺の心に入り込むなと彼が言っているようだった。

ハーランは怒りを露わにして、尻餅をついたソフィアを見下ろした。

震える人差し指が部外者は黙っていろと告げている。

しかし、彼も武人だ。最後の悪態は胸に収めて、立ち去っていく。


その場には、やはり悪女だけが残された。

確かに私は部外者だ。マニエルの事だって、彼女を通してかつての親友を見ているだけだ。

それでも、ゆいなの魂を持った彼女が愛した人達を放っておけないと思った。

例え、自分が傷つけた相手だとしても…。

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