「ねえ、ちょっといいかしら?」
シエラは親しみやすさを意識して三人の少女に声をかけた。
貴族のような独特の言い回しを避け、庶民が使う砕けたトーンだ。
自分達に話しかけてきた学生が同じ立場の人間だと認識したのか少女達の表情はふと緩む。
「何か用?」
後ろで一つにまとめた少女が口を開いた。
引き締まった体系や雰囲気から活発な人柄が見て取れる。
この中でおそらくリーダー格ね。
「ねえ、ジュリア。彼女。ソフィア様の侍女よ。見た事あるもん」
「えっ!」
ジュリアという少女が警戒心を持った事が伝わってくる。
それは後の二人も同じだ。
お嬢様はどうして、こうも恐れられているのかしら。
長年仕えているシエラからすれば理解できない。
確かに言葉はキツイし、清廉潔白な女性ではないのは事実だ。
それだって、大奥様からのプレッシャーに押しつぶされないようにと必死に耐えている故なのに。
何も知らないくせに、勝手につけられたイメージで敬遠する奴らがなんと多いことだろう。
婚約者である王太子も役に立たない…。
あの男はお嬢様という婚約者がありながら、他の女に目移りするような愚か者。
そういえば、王太子とよくいた女子生徒は遺体で見つかったマニエルという少女に似ていた。
あの目立つ金髪を忘れたりしない。間違いないわ。仮にもクラヴェウス家の令嬢の婚約者を奪っておいて、その当事者であるお嬢様に想われているなんて、ますます腹がたつ。
パトリック王子のそばで呑気に笑っていた少女。
ソフィア様だってご両親が生きていた頃はもっと感情豊かだった。
現に初めてソフィア様に出会った時もあの方は可愛らしい笑顔を見せてくれた。
道端で倒れていたみすぼらしい子供。家族にすら捨てられ、生きる希望を失っていた。
それでも本能は空腹に耐えられず、ジャガイモを一つ盗んだ事もある。
薄暗い道の隅で、ひたすら寒さを耐えた日々は今でも思い出される。
そんな中でも通り過ぎる者達は皆、鬱陶しがってシエラを無視し続けた。
「あなた寒くないの?」
白いドレスにカチューシャ姿のお嬢様はおとぎ話に登場する妖精のようだった。
人々が待ち望む聖女が現れたのかとさえ思った。
お嬢様は私を拒絶せずに屋敷に連れ帰り、食べ物をごちそうしてくれた。
「ねえ。私とお友達になりましょう」
お嬢様の一言でシエラは侍女見習いとなった。
あの方からすれば、ちょっとしたお遊びだったのかもしれないし、本当に私を不憫に思ったのかもしれない。今でもそれは分からない。けれど、当時の私は救われたにも関わらず、お嬢様が嫌いだった。
優しい両親がいて、愛らしい弟がいて。食べる物にも困らない裕福な貴族令嬢。
泥をすすっていた自分とは別世界の人間だと思った。
なんの苦労も知らず笑っているソフィア様が恨めしかった。
それでも私は空腹を満たしたいがためにお嬢様の友を演じ、仕えた。
そんな時だ。あれはお嬢様が9歳の夏。馬車の事故でご両親が亡くなり、お嬢様はすっかり人が変わられてしまった。笑わず、引きこもりがちになった。
それでも何も感じなかった。そのうち元に戻るだろうと呑気に考えていた。
けれど、甘かった。正式に後見人となった大奥様からの聖女指導であの方はさらに精神を壊していったから。優しかったお嬢様は人に当たり散らすようになり、成長するたびに悪評がついて回る。
その噂が大奥様の耳に入るたびに指導は厳しくなった。
しかし、屋敷にいる誰もお嬢様を助けない。弟であるミルトン様ですら、姉を非難した。
その時になって、やっと思い知ったのだ。お嬢様もかつての私と同じだと。
私は助けられたのだ。嫌悪していたこの少女に。けれど、暗闇から救い出してくれた彼女を私は助けられない。ベッドに潜り人知れず泣く、小さな体の令嬢のために何かしたかった。
その想いは大奥様への殺意に変わった。殺してしまおうと…。本気でそう思っていたのに。
「私が聖女になればすべて済む話なんだもの」
遠まわしに止められたのに気づいた。
涙をこらえて、必死に手を握って来たお嬢様を見て覚悟したのだ。
私は一生この人のために生きると。
なのに、何も知らなかった。
私だけが、お嬢様の味方だと思っていたのに、いつの間にかマニエルという少女が住み着いていた。
その死を目の当たりにして、あれほど憔悴しきるお嬢様は未だかつて見た事がない。
さらに、彼女の死を受け入れてからのお嬢様からは生やした棘すら消えたようにも感じた。
何かを吹っ切ったような雰囲気を纏った姿は気品に満ち溢れている。余裕すら見せる姿に言葉が出なかった。あんなにおびえていた大奥様にも落ち着いて向き合っていた。
それなのにどこか、はかなげでもある。どうしてだか、お嬢様との間に壁が出来たような気がして、背中が冷たい。それもこれも同級生の死がすべての引き金だ。そう確信した。
何年もそばで見守って来たのに、私はお嬢様を救えなかったのに…。
それなのに…。マニエルという少女は死をもってお嬢様を変えたのだ。
一体誰なの?
いつの間に仲良くなったのだろう。
彼女はお嬢様にとってどんな存在だったのか。
気になる。もし私が亡くなってもあんなふうに思ってくれるのかしら?
モヤモヤとした何かが這い上がってくる。ダメよ。
お嬢様はマニエルとかいう平民を殺した犯人を知りたがっている。
そして、このジュリアと呼ばれる少女やその友人達が情報を持っていると推測して私をつかわしたのだ。何もなかったでは済まない。
「気楽にしましょうよ。私だって、好きで仕えてるわけじゃないんだもの。ほら、分かるでしょう。公爵令嬢のつかいっぱしりってお金になるのよね」
同情を誘うように少し俯けば、案の定、くいついてくる。
欲しい物を手にするためなら嘘だってついてやるわ。
「それもそうね。私も貴族様に媚び売ったりするし…」
「そういえば、エリカ。男爵家の子息様とはその後どうよ」
「シモーヌはいっつもそれなんだから」
ツインテールの女が言った。
「もう、二人とも貴族様に近づきすぎたら、こっちが痛い目に合うのよ。どうせ、私たちの事、虫けらみたいに思ってる奴らばっかりなんだから」
なるほど、ジュリアという少女はお嬢様が嫌いというより貴族全般に嫌悪感を抱いているらしい。
その友人達はある程度は中立の思想を持っているとうかがえる。
さらに言えば、この状況にうまく立ち回ろうと必死だ。
巷にいる多くの女性たちと変わらず、玉の輿を狙っている。わかりやすい少女達だ。
これなら、お嬢様の脅威になる事はないだろう。
「貴族様も使いどころよ。バランスは大切だとおもうけど…」
シエラは彼らに同調する素振りを演出した。
それにつられて、ジュリア達も微笑む。思惑通り打ち解けてきたようだ。
口が軽くなるころだろう。
エリカの手に握られた白い花にゆっくりと視線を移す。
「それは何?」
「これ?」
エリカが差し出してきたのはユリだ。
「マニエルにそなえるの。この場所であの子よく昼寝してたから…」
シモーヌの声は沈んでいる。
大きな木がそびえたっていた。その下は木陰になっている。
眠るにはちょうどいいサイズだ。
「マニエル…事件に巻き込まれた子よね。仲良かったの?」
「まあね。寮だと同じ部屋だったし…」
「どんな子だったの?」
「そうね。優しかったわよね」
同意を求めるようにジュリアは友人達に視線を送る。
「うん。宿題も見せてくれたし…」
「エリカはやらなさすぎなのよ」
シモーヌは呆れているようだ。
だが、笑い合う下でショックを受けているのも伝わってくる。
「マニエルは困っている人を放っておけない太刀なのよ」
「ああいう子が聖女になるんじゃないかって思ったんだけどね…」
ジュリアの発言は必死に場を盛り上げているような印象だ。それが、少し痛々しい。
彼女達から語られるマニエルという少女はかつての主を思わせた。
「やっぱり、それで殺されのかな」
「エリカ。やめてよ」
「どういうこと?」
シエラはあえて、興味がないといった様子で聞き返した。
あくまで、世間話の一つだと思わせるように…。