「マニエル!ああ…どうして…」
土色の手は育てた野菜を収穫する仕事人の手を思わせた。使い古された服を着込んだ男性は…いえ、中年の女性は動かなくなった我が子を前にして泣き崩れている。
ここには女性は入れない。だから、ああいう恰好をしているのだろう。
その夫は女性の隣でただ茫然と立ち尽くしている。
娘の死を受け入れられていないのだ。
「どうして?誰が!何か知ってるんだろ」
今にも殴りそうな勢いで、敵意を向けてくる同年代の青年はおそらくは少女の兄だ。
目元がよく似ている。
「だから、首都なんかに来させたくなかったんだ!魔力が高いだとか言われて、調子に乗るから…」
「あの子は俺達の暮らしが少しでもよくなればと思って…」
「父さんに商才がないせいだろ。せっかくの野菜をダメにしやがって…」
「やめてよ。土地がやせ細ったのは国に充満する邪力の影響でしょ。マニエルは村中を蝕む瘴気を祓う術を学んでくると言って出ていったのよ。その志まで否定するつもり!」
マニエルの母は息子を強い視線で睨んだ。その瞳は悲しくうるんでいる。
「その結果がこれか?大体、マゴスに対処するのは貴族連中のはずだろ?なんでマニエルが魔力を学ぶ必要があったんだ?アイツは村にいた方がよかったんだ。そうすれば…」
妹想いの兄の気持ちが小さく漏れていく。
この家族の中にあった一つの光が消え、喪失感と絶望感が彼らを包み込んでいる。
そんな彼らにかける言葉はカデリアスには見つからない。
この仕事に従事して五年。それなりに人の死を見てきたが、未来を奪われたこの少女の死はやはり胸が痛む。そんな事を署の連中に言ったら、あんな所に行くからだと笑われるだけだが…。
アイツらの頭の中に街を守護するという考えは一つもない。
いかに自分達が楽できるかだけだ。
これでは何のためにこの組織に身を投じたのか分からない。
何かを変えたくて、警察機構に入る事を決めた日。
実家の連中はどうして、お前がそんな仕事をしなければならないのかと怒りを募らせる者と国を牛耳る首都の貴族連中と仲良くなるチャンスを手にしたと喜ぶ者とで意見が割れた。後者の連中はあわよくば王室との人脈や情報収集に役立つという思惑が浮かんだのかもしれない。
そんな親族の言葉にも耳をふさぎたかった。だから、逃げるように領地を出たのだ。
この国の首都には様々な思いを秘めて人がやってくる。
この動かぬ少女もしかり…。
「もっと早く聖女が出現してくれたら…」
娘の色のない頬を触りながら母は言った。
「また、それかよ」
息子はうんざりした様子で地面を蹴り、足早に両親と妹を置いて、去っていく。
「ジョー!」
父の叫ぶ声も無視して青年の足は速くなる。
諦めたように父は肩を落とし、カデリアスに一礼した。
「無理でしょうが、犯人が見つかったら知らせてください」
一本の線だけを頼りに立っているような印象を受けた。
彼らが静かに姿を消すまで、カデリアスはその背を見送った。
それしか自分にはできない。
貴族という理由だけでこの地位についた。
名前負けしないようにと踏ん張って来たが、報われた事などない。
無力感にさいなまれていく。
「聖女か…」
昨今、おかしな奴らが増えたのは身をもって感じている。
それらはすべてこの大陸の奥深くに封印された闇の神マゴス復活が近いせいだと皆が信じている。
その脅威を退け、世界を照らす唯一の希望、アビステアの娘と称される女性の登場を誰もが待ち望んでいる。
『警部さん…女性に軽々しく名前を聞く者ではありませんわよ』
ねっとりとした声で言った聖アビステア学院の女子学生の姿が浮かび上がってくる。
細い指で魔力を操る彼女は…とても綺麗な紫の髪をなびかせたその人が聖女と名乗ったら信じたかもしれない。しかし、直感的に思ったのは必死に背筋を伸ばしている幼子の姿だ。
怒られて不貞腐れているようにも見える。
そして、絶対に本心を見抜かれてなるものかと言ったプライドも感じた。
そう思ったのはきっと、俺も同じだからだ。
逃げ出したいのに、その場にからめとられそうになる感覚。
浮かび上がる願望と現実が食い違う絶望。淑女の笑みの向こうでルビーのような赤く燃える瞳が切なく揺らめいているのが分かって放っておけなかった。
しかし、安置所で出会った彼女は別人のようだった。その視線はもっと穏やかで、もがいている人間ではない。去ってしまった友人への悲しみがそうさせたのかもしれないが、どこか達観していて、凛とした強さを感じた。この数日のうちに凄まじい速さで成長した子供を目の当たりにした気分だ。
それほど、マニエルという少女が彼女にとって大切だったという事だろう。
すべてを変えてしまうほどに…。だからこそ、胸がざわつく。
その心を理解し合えたかもしれない人が風のように消えてしまったような切なさ。
まだ出会って間もないのにおかしな話だ。
きっと、この違和感もあの亡くなった少女の事件を解決しれば収まるはずだ。
カデリアスは深々と帽子をかぶり直した。
まずは誰から話を聞くべきかしら?
マニエルの記憶で印象に残る男達はゲームの中では彼女を愛していた。
故にソフィアが彼らから話を聞くのは容易ではない。
パトリック王子に関して言えば、まだ話す機会もあるだろうけれど、彼が私に本音を語ってくれるかは疑問だわ。
それは他の攻略対象達も同じね。
皆、ソフィア・クラヴェウスを嫌っている。
安易に話を聞きに行った所で門前払いを喰らう可能性の方が高い。
それに少し気がかりなのは、愛していた少女を一人であんな治安の悪い場所に行かせるのかと言う事だ。彼らは基本的にプレイヤーが素敵だと思うような美男子で性格がよく女の子を守ってくれるキャラとして作られているはずだ。
この世界がどこまでゲームと一緒かは分からないが、それにしたって不用心すぎる。
綺麗に掃除が行き届いた学院の廊下をゆったりと歩きながら考えを巡らせていると、遠くで同世代の三人の少女達を見つけた。
「彼女達は…」
右からポニーテールの活発な少女に中央はショートの大人しい少女。そして、ツインテールの女の子。特別目立つような容姿ではない彼女達には見覚えがあった。
セイント・オブ・ラバーズシリーズの初のアプリゲームでチュートリアルを進行するモブキャラ達だった。物語にはほとんど関わってこないが、マニエルのお助けキャラとしてそれなりに知名度がある。
この世界であの子と面識があったかは不明だけれど、同じ平民出身者だったのは確かだ。貴族の学生達よりは情報を持っているかもしれない。
「ちょっと、いいかしら?」
ソフィアは奥ゆかしい令嬢を意識して彼女達に話しかけた。
「ひっ!」
しかし、その気遣いもむなしく、その反応は完全に招かれざる客同然だ。
三人の表情は引きつっている。
「申し訳ありません。お邪魔でしたよね。すぐに失礼しますから!」
「えっ!ちょっと、話を聞きたいだけなのだけれど…」
ソフィアの言葉もむなしく、遠ざかっていく少女達の後ろ姿を眺めながら、ため息を漏らす。
そんな疫病神みたいに言わなくたっていいのに…。
確かに以前の私は横暴で、怒らせると何をしでかすか分からない所はあったと思う。
それでも、学院に来てからは比較的おとなしかったはず。あそこまで怯えられる事に心当たりはないのだけれど…。
こんな事では先が思いやられるわ。
「お嬢様…そろそろ王太子とのお約束の時間では?」
後ろに控えていたシエラに視線を向ける。いつも思うが、音もたてずに現れるこの侍女はどこでそんなスキルを覚えたのかとちょっとツッコミたくなる。
「分かっているわ」
定期的に時間を割り当てられるパトリック王子とのお茶会。
名目上は未来の国王と国母となるかもしれない若い二人の仲を深めるためと言われているが、いつもギスギスした雰囲気で終わりを迎える。
それなのに、王子はすました顔で毎回やってくる。それに応戦するように参加していたソフィアも何を考えていたのか今の私には理解できない。
どうせ、あのおばあ様の顔色を窺っての事だろうが、よく耐えていたものだ。
しかし、今回はチャンスだ。マニエルとの仲がどこまで進んでいたのか確認できるかもしれないし、運が良ければ、マゴス陣営に落ちていないかを確かめられる。
さすがにアビステア信仰の象徴たる王家の者がそれに加担しているとは思えないけれど…。
王太子と会うというのに、いつもより、心は軽かった。
ガラス窓の向こうで先ほど逃げていった少女達が佇んでいた。その表情はどこか浮かないが、それでもソフィアの姿を目のあたりにした時よりは落ち着いている。
どうしてだか、彼女達の存在は気にかかる。
けれど、あの様子ではソフィアに何かを告げてくれるとも思えない。
堂々巡りだわ。
そう思っていると自身の履いているヒールが音を鳴らした。
その瞬間、あるアイディアが降りてきて、口元がほころんだ。
「シエラ。頼みがあるのだけれど?」
「なんでしょう?」
私がダメなら他の人に頼めばいいのよ。
その最適な人間が目の前にいた。
「あそこにいる三人にマニエルの事を聞いてきて」
「私がですか?ですが、お茶会は?」
「一人で十分よ。いつもの事なんだから」
シエラの不満そうな瞳とぶつかる。だが、引き下がるつもりはない。
「お願い。私はなぜだか怖がられてるんだもの。その点、シエラは適任だと思うの。お願いよ」
「分かりました。お嬢様のためです」
「ありがとう」
運よくあの子達から話を聞き出せたら幸いだわ。
これで私はパトリックとのお茶会に集中できる。
決戦と呼ぶには大げさだけれど、身が引き締まるわね。